カクヨム依存症
2023年1月15日(日)。11時31分。共通テスト二日目。受験生の皆さんは頑張ってください。と。私が言ったところで既に頑張っていると思いますが。
共通テストというか、センター試験とかは、頑張る、頑張らないの問題では無くて、処理能力が高いか否か、過去問研究してちゃんと対策を取っているか否か。前日によく眠れたか否か。結局、生活基盤がしっかりしているか否か。そこらへんで得点の幅は変わっていきそうな気がします。
はい。こんにちは。井上和音です。
昨日からずっと引きこもりで、目覚めた時には常に Windows を開いている状態なので、「井上和音」という文字がゲシュタルト崩壊して見えてきました。音として認識しているのではなくて、「なんだこの形は」と思ってしまうようなそんな感じです。
書くことがない。というよりかは、パソコンを開いて文字を打たなければいけないという恐怖感みたいなものが先ほど起こりました。
私は一生、よく分からない文章を打たなければいけないのか。
これで金銭とか入ってきて、これが仕事とかなら分かるのですが。別に金銭が入ってくるわけでもなく。なぜ続けているかというと、結局、統合失調症患者で、暇で、他に何か有益なことがあるだろうかと考えてみても「何をやっても特に無し」という結論に至ってしまっています。つまり「ブログを書かない自分には意味が無い」くらいにまで思ってしまっています。
かつての自分は「カクヨム依存症には気を付けたい」とか言っていたかと思いますが、ここ最近の更新頻度や、文章の長さから推察するに、確実に「カクヨム依存症」並びに「何か書いていないと不安になる」「ブログを書いていない自分にはなんの価値もない」といった症状が出始めています。
やっぱり、こういう状態になると思い出しますね。2018年サッカーワールドカップロシア大会。閉鎖病棟の中で再放送を観ていた時の思い出。
統合失調症の女性の方がこう仰っていました。
「私はサッカーを見たくないのですが、三浦カズさんが『サッカーを見ろ』って言ってくるんです。私はどうしたらいいのですか?」
普通に答えれば「それは妄想です」とか「見なければいいのでは?」とか返してしまいそうですが、私も統合失調症で散々苦しんでいた時期(今もですけれども)だったので、その女性の気持ちもよく分かっていました。
なので不用意なことは言わずに「看護師さんに相談してください。私では判断しかねます」とだけ答えて、看護師さんのところへ連れて行くことにしました。
こういう女性を一例にあげたのは、自分も同じ状態・症状に襲われているのではないかと危険視しているからですね。
「ブログを書きたくないけれど、ブログを書く以外に価値を見出せなくて、泣く泣くブログを書いているのですが、どうしたらいいでしょうか」みたいなことを、誰にも相談しませんが、そういう気持ちになってしまいます。
返答としては「書かなければいいのでは?」「ブログを書いていても特にあなたには価値はありませんよ」とかが最も正しいというか、社会保健福祉士などの資格を取っていない方はこういう反応を見せると思います。ましてや、もっと言うなれば「ブログを書いているのは自分の個人情報をダダ洩れしている状態なので、自分のことをブログに残すことはリスクでしかないし、危険なので、ブログを続けるよりも、それよりも全文削除したほうがいいですよ」くらいのアドバイスまで頂きそうですね。
全て正しいので、その通りにしてしまう可能性は充分にありますね。
しかし。まあ。続けていった先に何が待っているかは続けた者しか分かりません。たとえ無価値であったとしても。たとえ、世に認められたり、人気が出たりするのが数十年後であったとしても。
「井上和音さんはここに居ました」と記録を残しておくことは、何も持っていない、パソコンとインターネット環境と、自分の部屋と、ちょっと高めのキーボードを持っていないと出来ない行為ではあります。
大学生活時代の自分は、本気で小説家になりたかったのだろうなとこの装備を見て思います。正直言ってこれらの装備以外を大学生活の一人暮らしから持ち帰ってきたものは他には無いのです。
本とか。全部捨てましたしね。大学図書館ともおさらば。淡々としたパートタイマーが始まり、一年くらいが経ってから、ようやく、自分の人生や周りの出来事を日記のように記録していくことの意義みたいなことを思い付き始めました。
大学時代は自由だったので「やらなくていい自由」というものがあったので、「毎日更新するとかただ暇がる馬鹿のやること」もしくは「自分の近辺のことをブログで書いていくことは、リスクだけが高まる馬鹿のやること」くらいに思っているのだろうなとは思いますが、淡々と生きていく中で分かっていきましたよね。
自分には何もない。と。
あるとしたら寿命くらいか。と。
結局、昨日も書いたように検閲とかが特に無いから、自分の意志さえあれば続けられる環境になったから続けることが出来ているのですが。はい。周囲の環境というのも続けるための要因の一つであることは間違いないようです。
周囲の人間から「ブログを頑張れ!」と応援されことは微塵にもありません。というか周囲の人間の前ではブログの話題など、自分からはまず出しません。周囲の人間は自分のしたいようにすることに対して邪魔をするリスクのほうが高いと思っています。
自分の気持ちを正直に言って、賛同された経験がほとんど無いから、自分の本当にやりたいことを周囲に告げるということは、あまりしないようになりました。
誰からの援助も無く成功したとしたら、それは奇跡でしかあり得ないと思っています。よく成功者は「自分の努力で成功した」と言いがちですが、大半の成功者には仲間がいて、背中を押す人がいて、それに気が付かずに「自分の努力で成功した」と言いがちです。
自分も仲間がいれば、そんなことを言える成功者になり得たかもしれませんが。
結局、何が言いたかったかというと。結局、私にはブログしかなく。とうおこしかなく。続けるという誰でもできることを、自分だけは続けていくというそれだけしか能は無いのだなあ、と悲しく思いながらキーボードを打鍵しています。
お金になったりしたら、少しは楽になるのかもしれませんが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます