【私小説:閉鎖病棟シリーズ3】続けることは輪廻じゃなくて螺旋なんだよ

☆☆☆

 タイトルから書いています。話が逸れていったら申し訳ありません。

☆☆☆


 ──この文言は一体何?


 はい。こんにちは。挨拶はきちんとしないと入院期間が長くなる。


 しかし、不意に思い付いたこの文言は一体なんだろう。タイトルってなに?


 「はい。こんにちは。看護師の井上和音です。早速血圧を測りますね」


 いつも思うけれど、精神科の閉鎖病棟なのに、毎朝血圧を測る理由ってある?


 ていうか、井上和音さんですか。


 適当過ぎませんか、4年半後の井上和音さん。


 「いや。入りが難しくてね。どう。今、どこらへん。──とか野暮なことは聞かないでいいか。どこでもいいよな。米朝首脳会談が行われている頃とか、そこらへんでよくないか」


 僕はベッドに横になりながら、小豆のようなプラスチックが入った寝心地が悪い枕に、両手を入れて、眺めていた天井から。ゆっくり目を閉じる。


 「俺のほうは、正月三が日で休み二日目だ。今日は2023年1月2日(月)、21時10分だ」


 2023年1月2日。21時10分。


 「はい。こんにちは。井上和音です。というか挨拶したじゃん。看護師に扮した井上和音さんが、挨拶したじゃん」


 「どうでもいいことを言いに来たのですか。4年半後の井上和音さん。というか僕は。4年半後ってかなり微妙で、打ち込みづらいのですが、半年後の5年後にまた改めて来てくれませんか」


 「未来って分かんないから、今、会いに来てるんだよ。えーっと。シリーズ初のタイトルから書いています。逸れていったら申し訳ありません。ですか。ああ。どうしようかな。というかお前にも見えているだろ。このタイトルは」


 「ぼんやりと、目蓋の裏で、妄想しています」


 4年半後の僕が、僕に対して説教なりを行うこのコーナー。ただ僕は天井を見上げて妄想している。ただそれだけなんだけれど。


 このコーナーは需要があるのだろうか。今の僕には需要が何もないと思うけれど。


 需要どころか、服すらまともになかった。青い患者着を着せられて下着は下半身だけで、まるで旅館の和服のような姿で毎日を過ごしている。


 隔離室の際には、その患者着と、水を飲むための紙コップと、眼鏡だけしか隔離室には入れられなかった。


 暴れなかった分、ワンピースのエースが監獄に入れられていた時のように、手錠で壁に貼り付けられるというのは無かったけれど。


 隣の人は、貼り付けられていたらしい。「ワシを殺すつもりか!」「お茶!」「なんやて!」みたいな叫び声が、分厚い隔離室の壁を通して聞こえてきていた。


 何もなかったから、聴覚が異常に敏感になっていた。


 貼り付けられていたとは、後になって知った。まず僕が隔離室から出て、その数週間後にその人が出て。言ってはなんだが、わがままなおじさんと言っていいのか。そんな感じだった。


 僕が外に出れるようになったときには「お菓子を買ってきてくれや。これはホンマに頼んどるんや」みたいなことを言われ、残念ながら規則に反する行為になるので丁寧に断った。


 「俺、話していい?」


 ああ、4年半後の井上さん。どうぞ。


 「まだ成長したいか? というか、知ってるから言うけど、成長するしかこの試験に立ち向かうには……」


 「いや、もういいです。多分何かしらの力によって僕の成長は止まると思われます。多分僕は、何も努力しても無駄だと思うことになると思います」


 「ん。うん。その通り。残念ながら4年半後の井上さんは、なんの資格も取っていないし。ファイナンシャルプランナーとかの資格も取っていません。努力するのを諦めました」


 やっぱり。というか。実家に戻っているのならば、ファイナンシャルプランナーの試験会場だって相当遠くなるし、……やるわけなさそうだな。


 京都だったら、西陣会館だったから、自転車で数分の所にあったのだけれど。


 勉強をしてもいいけれど、受けるためのお金がない。


 そして、多分、ITパスポートの試験と同じように、何かしらの意味の分からない工夫か工作か何かをされて、恐らくファイナンシャルプランナーも受からないだろう。


 なんで、同じ問題が3回も出るんだよ。なんで最後の得点の集計が小問と合計があってないんだよ。僕の5,000円を返してほしかった。


 「そうだ。和音。そこなんだよ。5,000円ぽっちなんだよ。それだけで和音はものすごいショックを受けたんだ。たかが5,000円で。俺なんかギラティナSRに33,000円使ったんだ。どういうことか分かるか? 和音は経済的にも追い込まれ過ぎていたんだよ」


 「さぞかし楽しそうな人生ですね」


 成長をしていないならば、ずっと同じことを繰り返しやる。輪廻りんねの中に入りこみ、ハムスターがあの回るやつをころころ走り回って、なんの意味もなく毎日を過ごしているのかなあ。


 と。思ったところで。


 なんか4年半後の井上さんが、手に木でできた看板みたいなのを持っている。らんま1/2に出てくるパンダみたいな看板を持っている。


 『俺は努力はしてないと言ったが、成長はしていないとは言ってないぞ』


 「はい。タイトル伏線回収ありがとうございます。和音。この世は輪廻だって思って、繰り返し皿を洗わなきゃいけないから、毎日紙皿を使って、紙コップを使って、百均のプラスチックスプーンやフォークを使って、割り箸を使って。ご飯はコンビニか、スーパーの総菜か、ラーメン屋か、ラーメン屋に行って毎日を過ごしていた。地球温暖化にめちゃくちゃ貢献しているような、最悪なプラスチック製品の使い方をしていたわけで。まあ、輪廻な生活は嫌だ、ということで、贅沢な毎日を過ごしていたわけなんだが。結局その輪廻への反骨心は、壊れる。実家に帰ったらな」


 美味しいラーメン屋が近くにあったもんな。らーめん扇とか。てんぐらーめんとか。てんぐらーめんに行った後は、小説の材料探しで目の前にある「古本市場」で古本を探しまくる。それが日課だったな。


 ここらへんで、全国の一人暮らしの大学生から「クズがそんな贅沢な生活をしていた上に統合失調症になって、自分は不運だとか思っていたのかよ。ただのクズやん」みたいな批評がたくさん出てきそうで怖いけれど。


 こういう生活をしていると、どうしても食事の栄養とかは偏っていく。また、ある意味でこういう生活しかできなかったから、他の品物に手を出すことのできないほど、貧困の中を生きていた。


 ケンタッキー・フライド・チキンが贅沢品だった。あと、交際費とかに一切お金を使わなかった。それで、ぎりぎり実現できていた一人暮らし。


 「話を戻そうか。お前は輪廻りんねで、同じ場所をくるくるとまわっているだけの人生が嫌だ、と思っていたが、実はこの世には輪廻なんて無いんだ。直線的に成長していくだけが成長では無くて、同じことを繰り返し行うなかで、徐々に徐々に人間ってもんは成長していくんだ。輪廻だと思っていたことは実は螺旋らせんなんだよ。徐々に徐々に上へ上へと成長してくのがこの世の真理の一つだったんだ。というか、そうでないと生きていけない」

 

 僕は生きていけたのだけれど。それは親からの仕送りが多かったことと、あとは交際費を全く使わなかったからだけれども。


 輪廻りんねでなく、螺旋らせん


 逃げずにやり続けていたら、いつの間にか高みに来ていたとかそういうこと?


 「別に高みとか、なんか、成功しているわけでもなんでもないけれどさ。例えばさ、料理とか。皿洗いとか。掃除とか。まあ、面倒だ。お前は一切やらなかったが、やっていけば。続けていけば。いつの間にかやるのが早くなったり、お金を使わずにやれるようになったりするんだ。限られた時間の中で『やらなくていいことはやらないほうが良くないか』みたいな感情は出ると思われるが、例えば料理とか、やらなければ飯食えないじゃん。つまり生きている限りは、それの一つが継続──続けていくことだ」


 僕は自分一人で生きていくには、思考の方向性が間違っていたとそういうことなのか。


 「まあ、俺も料理はしてないんだけど」


 なにそれ。


 「けど続けてはいるよ。結局お前と同じで、文章をただひたすら打っている。毎日な。落ち込んでいる時も、浮かれた時も、アイデアが浮かんだ時も、何も浮かばない時も。すっと続けた。まるで輪廻の中だ。一生終わらねえと思っているし、一生終わらせねえとも思っている。ただ、多分終わるけれど。俺は従順に生きているんだ」


 続けている。


 「どのくらい」


 「半年くらい」


 適当に答えたのが見え見えな返し方だった。


 「それよりも大事なことは。続けてきたからこそ見える景色ってもんが、本当にあるんだよ。ちっぽけで、他人様には分からないことだろうけれど。ブログを、統合失調症患者がどう考えているのかをただひたすら毎日打ち続けているブログを、書いていて、書き続けていて、いつの間にか、一記事に書く文字の量が格段に増えていった。自分でもなぜだか分からねえ。これが正しいのかさえ、分からねえ。これが求められている姿なのかも分からねえ。だけど、こいつが成長ってもんなのかなって最近思い始めたわけよ。なーんにも考えてなくても、何かを打たなきゃ気持ち悪い。そのレベルに入ってきている。もう一度言うが、これが良いことなのか悪いことなのか、正直分からねえし、お前が言っていた、半年後の、5年後の井上和音さんなら分かっているかもしれねえけれど。俺が気が付いた唯一のことは、続けるってことは生きることの本質で、輪廻だと思っていたことが実は螺旋で、同じことを繰り返して生きているように見えて、実は自分は成長しているんだなって、まあ、気付いたわけよ。半年くらいブログを続けてな。苦痛じゃなくなったんだよ」


 これって閉鎖病棟にいる僕に語り掛ける必要性のあった話なのだろうか。


 続けることですか。


 僕には無理そうですね。


 僕に対してのアドバイスとか無いのですか。


 いや。そういうことか。同じ僕の、4年半後の僕は、続けていることに何かしらを見出しているのだということ。


 完全に人生を諦めたわけでもなんでもないということ。


 趣味程度で、お金が入っているかどうかは聞かなかったけれど、──成功しているとかは言ってなかったので、多分お金は入っていないのだろうけれど──、それでも、続けていくことの大切さは、知っていると、そういうことを伝えたかったのだろうと思う。


 多分、それが、4年半後の僕は、生きがいを見つけて、人生の真理を見つけて、意気揚々とやってますよ、というようなメッセージだったのかもしれない。


 確実に言えることは、4年半後も僕は生きているということだけだから。


☆☆☆



 はい。こんにちは。井上和音です。【私小説:閉鎖病棟シリーズ】第三弾でした。いやー、長いですね。4000字を超えてますよ。小説のリハビリみたいな感じで書いているわけですが、毎回このシリーズをやると、文字数が長くなる。毎回終わらせることも、まあ、難しい。右肩が痛い。小説じゃなくてブログを毎日書いていて本当に良かった。


 多分、毎日小説を書いていたら身体を壊しています。明日も休みだから、まあ、勢いで書きました。


 「はい。こんにちは。年賀らせです。はい。あとがき座談会。今回は二人しか出ませんでしたね。あとがきにも私は登場する必要性はありませんでしたね。


 しかし、まあ。小説っぽいのを書き終わった後のやり切った感。良いものがありますね。適度な疲労というか」


 はい。あとがきが長すぎても、読むのが大変なだけなので。あとがきはこのへんで。


 不定期開催の【私小説:閉鎖病棟シリーズ】もどうかよろしくお願いいたします。


 

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