自分で選ぶことができなくなった
2022年12月14日(水)。11時12分。言っていたのか、言っていないのか覚えていませんが、今日は休みで精神科に行く日です。
今月から自立支援の上限額が2500円から、5000円に上がった記憶があります。うう。しんどい。
☆☆☆
カタールワールドカップ、準決勝の結果と試合予定。
アルゼンチンvs.クロアチア、3-0。
フランスvs.モロッコ、明日早朝。
☆☆☆
はい。こんにちは。井上和音です。
なんで、朝から書いているの。精神科まであまり時間が無いのだから、ブログを更新する手間とか考えて、なんで、朝から書いているの、と聞きたくなりますが、なんとなく、今の気持ちを書き残しておこうかなと思いました。
起きたのは九時過ぎだったと思います。
一人で起きて、朝を迎えて。現実を見た瞬間に、ものすごいレベルの絶望感が襲ってきました。
なんで、昨日、2022年12月13日の夜に書いたのはテンションが高かったのだろう、と自問自答するくらいには、起きた瞬間の絶望感は半端じゃなかったです。
「そうか。また、素の自分を受け入れてくれる職場は無かったのか」とそんな気になりました。
今まで、面接対策とかしてて落ちたので、今回は面接対策などせず、素の自分で臨み、コンタクトレンズを付けたり、ヘアワックスを付けたりと、まあ、見た目でいろいろやってみた──というか今までが見た目に気を使っていなかったので、見た目に気を使ってみたのでしたが──、それでもダメでした。
また、ダメ。
一夜明け、朝になってみると、本当に絶望感が半端ないですね。あと、自分が双極性障害っぽい感情を持っていることもなんとなく分かってきました。夜は、どんな出来事が起きても、ご飯を食べてお風呂に入って、お風呂で糖分補給のための黄金糖をなめれば、なんとなく、なぜかは分からないけれど楽しい、面白いことがぽんぽんと浮かんできて、面接試験で落ちたとしても、なぜか現実を受け入れず、楽しいことばかり考えていました。
それが、朝になると、絶望感。起きたのが遅かったのもあるかと思いますが、あかんくらいテンションが低いです。
そう。このテンションが低い状態も記録しておかないと、「井上さんって数ヶ月に渡る試験で最後の最後でまた落ちたのに、全然気落ちしていなくて、なんかムカつくなあ。実家が太いとか、そういう理由があってお金とかに困っていないのだろうなあ。ポケモンカードとか買ってるし、なんも苦労していないのだろうなあ」とか思われそうな気がしたので、まあ、落ち込んでいるし。これから先の私の未来は一体どうなるのだろうね、という不安しかありません。
バイトをはしごするとか、昨日の夜に書いていましたが、ゾッとするとしか言いようがありません。実を言うと、今のパートタイマーで既に充分限界を感じています。
しかし、外に出ることで抑うつ状態から解放されている面もあり、今のパートタイマーだけは絶対に続けなければ、お金の問題だけでなく、精神的な問題も多大にして降りかかってくるというのは、なんとなく思うところではあります。
もう、昨日の夜、「お前はもうダメだ」と家族に言われ、いや、分かっているけれど、どうなるの? とどこか他人行儀というか、諦めというか、結局他人に運命を任せた結果、こんな人生になっちゃいまいした、としか言いようのない人生になってしまいました。
そういえば。昨日の夕方、仕事から帰ってきて「バナナを食べてもいいですか」と尋ねたところ「なんでそういうことをいちいち聞くんだ?」と逆に言われましたが、これなんですよね。多分。私の一番いけないところかつ、統合失調症で世の中に絶望してしまったから、かつ、強権的な教育を受けてきてしまった人間の末路のような性格が分かってしまいました。
大学に行った理由としては、「親から離れて自由に生きたかった」というのが一番の目的で、なおかつ「一人で生活するのなら、ある程度都会の大学に行った方が刺激も大きいだろうし、生活もしやすいだろう。たくさんの社会経験を積もう」とか思って、親は旧帝大学か地元の国立大学しか許してくれませんでしたが、自分の頭の悪さも分かっていたし、なぜか昼間が眠いとかの症状とか、自覚していたので、高校時代から「早稲田大学に行きたい」と言っていました。お金が無いからダメということで旧帝大学を受け続けたのですが、センター試験中に睡魔に襲われるので、当たり前ですが、旧帝大学には何度受けても通りませんでした。
浪人した後もセンター試験を失敗したので、「もう後がない」という気持ちで、予備校の寮の近くの内科で睡眠導入剤をもらうことにしました。これは自分の勝手な判断です。マイスリーを初めて貰うことになりました。
それで、夜に眠ることができるようになった。
そして、浪人最後の時に「早稲田大学を受けてもいいよ」みたいなことを言われたので、早稲田大学を受けました。マイスリーを飲んで受けていたので、何も言い訳は出来ません。そして、一回だけ早稲田大学を受けましたが、落ちました。模擬試験とかはB判定くらい出ていたので、受かるかなあとか思っていましたが、落ちました。
それで、結局、同志社大学に行くことになりました。
なんか、長くなりましたが、結局は自分で選ぶ、ということをさせてくれなかった過去があり、同志社大学に行った後は、自分で選ぶ、ということをするしか無かったのですが、「自分で選ぶ」という先にあったのは、「小説家になりたいから、本や漫画をたくさん買って読む」「大学時代くらいしか遊ぶ暇がないから、他人とはあまり関わらず、自分のやりたいことに専念する」とか、そういう幼稚なことしか思い浮かびませんでした。遊ぶことしか考えておらず、また、真の実力というのは同志社大学にも付いていけないほど、記憶力とか弱いことに気が付きました。
また、誰一人として助けてくれない生活の中で、何にも挑戦ができなかったこと。とにかく卒業してどっかの会社に入ればいいや、くらいの気持ちでしかいなかったこと。教員免許なども、考え始めた時には時すでに遅しというか、大学一年の頃から考えておかなければ取れない資格だったようで、色々と、何も考えていない生活を送っていました。
そして、挙句の果てには、自分で選択をしていった結果、統合失調症になります。
統合失調症の何がすごいって、「自分が選択した人生は全て間違っていた」と根本から考え直させられる点です。「自分が作家になろうとしたその選択は誤りだった」「本や漫画をたくさん読むことは、他人から見たらただの趣味でしかなく、それを修行とか投資だと思っていた自分の判断はダメだった」みたいな感情にしてくれました。
そこで、自分で何かを選択することをやめました。
すると、何も自立できていない自分に逆戻りし、一人暮らしで学んだことも、何もかもパーになり、親の言いなりでしか動かない、徹底的に幼稚な自分がそこにはいました。
自分で選んでいいのなら、公務員になりたいのか、と問われれば「そうでもない。けれど田舎で生きていくには公務員以外に考えられない」という答えが出ます。統合失調症になる前は公務員になる気などさらさらありませんでした。統合失調症になって、親元で暮らし、親元から一生離れられられないだろうと覚悟したからこそ、公務員試験を受けまくりました。
それで、落ちて。面接の結果を鑑みるに「あなたは必要ありません」というのが、その組織からも突き付けられた現実で、ピンチに陥っています。
「こんなはずじゃなかった」「どうすればいいんだ」「親元から離れることもできない」「自分で考えることもできない」「精神科の薬が無いと生きていけない」「就職する先もない」といった、絶望的な感情が、朝に起きた時にぐるぐると頭の中を回りました。
ここが関東とか、中部とか、関西とかならまだ選択肢は色々あるのかもしれませんが、ここは九州で福岡でもありません。
自分で選択権を持つという意志が、無いんです。無くなってしまったのです。
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