「どうでもいい」の線引きをどこに置くかで、その人の鬱具合がわかる。
2022年12月11日(日)。15時50分。
「はい。こんにちは。年賀らせです。いやがらせと読みます。はい。本日3回目の更新となりましたが、なんですか? 井上さんはnoteに出すためのストックを早めに創っておかないとブログの弾が切れるとか、そういうことを不安に思っているのですが? え? 暇で引きこもっていて色々考えてしまった? はあ。ところで今日はブログを書く以外に何をしたのですか?」
え? と聞き返してらせさんに延々としゃべらせるのも良くないと思い、僕が、井上さんが自ら筆を執って今日、何をしただろうかということを逡巡することにする。
ポケモンカードVstarユニバースのシュリンク付きをなんとなく開けました。
ポケモンセンターオンラインの抽選販売で当てたやつなのですが。
開けずに取っておけば、なんか、中古買取で上がるような気もしたけれど、計算的に動くのも自分らしくないというか、中古を売るための資格? 1万9千円するやつですかね? も持っていないために、なんかこれから先もメルカリとかで売ることもないだろうし、そういう資格を取ろうとも思わないし、努力しようとも思わないし。
なんか、色々と思って、暇だったのでポケモンカードVstarユニバースのシュリンク付きを開けました。
一番の当たりは、ヒスイダイゲンキのSARでした。中古で50円くらいでしょうか。
不運というか。不運が普通なので、「取っておけばよかった」とかの感想は特に持ちませんでした。
やっぱり不運。自分は成功することが一切無いなという感想で終わりました。
多分、僕がシュリンクを開けたことによって、Vstarユニバースのシュリンク付きの中古の値段は上がるだろうし、多分、そうなります。それで「ああ、あの時開けなければよかったな……」とか思わせて来るのが運命なのかなと思います。
不運自慢ではないですが。統合失調症でもないですが。私が勝った時の喜びとか、そういうのも感じることはこれから先も無いのではないのか、とか思いました。
今日も、これから、ダスキンで床掃除した後、お風呂を洗って、日曜日のお楽しみ、外食の時間になって、今日は丸亀製麵に行くらしいので、丸亀製麺に行って、帰ってからお風呂に入って寝る。そして、また、朝になり、パートタイマーの仕事に行き、時給900円くらいでのたくらのたくら仕事をして、それでもくたくたになって帰ってきて、来週には公務員試験の面接試験の結果などが発表されるのですが、まあ、100%落ちていて。それくらい将来に絶望を持っていないと、自分の不運には到底太刀打ちできません。
部屋にこもって、成長も変化も何も感じないから、こんなことを思うのかもしれませんが、ここまで不運で、ここまで決まりきった人生を歩んで、生きている意味ってなんなんだ、と思ってしまうほど、やはり鬱状態になりました。
手取りで87000円くらいの給料に対して、今月のカードの支払いが51000円となっております。親が食費などを出していなかったらとっくに死んでいてもおかしくないような人生を歩んでいます。
ほら、ネガティブなことを考えていたら、幻聴なんかも聞こえてくる。「マジ?」とか。
生きてる理由ってなんなんですか。
働く理由ってなんなんですか。
働くことは暇つぶしですか。
私の価値ってなんなんですか。
家や風呂を掃除することだけが私の価値ですか? なんのために大学に行かせてもらったのですか? なんのために同志社大学に行ったのですか? なんのために哲学科に行ったのですか?
統合失調症になった瞬間に死んだ方が良かったのですか? 閉鎖病棟の中で主治医から「統合失調症と聞いて、あまりショックを受けていないことが驚きです」と言われた意味が、段々と分かってきましたよ。ええ。そうです。
「ストップストップ! 井上さん! しっかり!」
他に何かしたっけ。
てか、家の掃除とか、お風呂の掃除とか、毎日しなければいけないことなのかな。
どうでもいいことを、個人的な規律として自分に押し付けられているような、そんな気がしてならないのですが。それは最初の頃に感じていたことなのですが、最近は静かに従ってはいるのですが、どうでもいいことをやっているのだなあと思いながら、生きています。そこで、また、悩みが生じる。
どうでもいいことを、どこまでどうでもいいと割り切るかで、その人の価値観というか、鬱の具合も分かりそうな気がします。
生きることすらどうでもいいと感じる人は、結構多いような気がします。特に仕事とかで重役にいない人や、結婚もしていないで、特に子供などもいなくて。守るものが何もない人なんかは「なんで我慢してまで生きていかなければいけないんだ」みたいな気持ちにさせられてしまうのも普通なんじゃないかと思いますね。
一日引きこもってしまったので、こういう思考に取り付かれてしまっているのだと思うと、パートタイマーであっても、外に出て、誰かと交流しながら生きていくことは、生きていくことそのものにとって重要なファクターを演じているのかもしれません。
まあ、なんだ。ここで言いたいのは「どこまでがどうでもいいことで、何がどうでもいいことなんだ」と線引きするのは人それぞれなわけなのですが、その「どうでもいい」と思う線引きによっては、人は自分に価値が無いと思い込んだり、もしくは、「どうでもいい」の線引きが合わないために人と人とが衝突してしまうことがよくあるということです。
正直、自分としては、家の掃除や毎日お風呂掃除することは「どうでもいい」という線引きの中に入っているのですが、統合失調症患者が毎日何かしらの文章を書いて情報発信することは「最終的には全くお金にもならないけれど、残しておく価値はあるかもしれないし、この残した文章に価値を見出すかどうかは他人が決めることなので、どうでもいいかもしれないけれど、他人様はどうでもいいと思わなくなってくるかもしれない。」というわずかながらの希望を持って文章を打ちこんでいるわけです。
続けることが一番大事、というのは、自分が発信するためのモチベーションとして、自分が自分に課した命題のようなものではあるのですが、「続きを選び続けたその道筋」に価値があるのかどうかは、読者の皆さん、もしくは時の運が決めることなので、このブログに価値があるのかどうか、どうでもいいことなのかどうかなのは、井上和音さん自身が決められることではない、というのもブログという面白さというか、続けていくことの面白さでもあるのかなと思いました。
「どうでもいい」の線引きを、どうか間違えないように生き残って生きていきましょう。
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