統合失調症が久しぶりに起こった、次の日の休日の憂鬱。

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 タイトルは決めていません。

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 毎日書かなければいけないわけではないし、毎日書いたからといって、PV数が増えるわけでもない。だから、この記事だって、なんの意味も持たないのかもしれない。


 水曜日で、友達が誰もいなくて、寂しすぎて電話するけれども、もちろん仕事中で、誰も電話にでなかった。


 寂しい。そして仕事は虚しい。その繰り返しだ。


 昨日からツイッターのアイコンを変えた、というか戻した。すると途端に、統合失調症に襲われた。書籍化などどうでもいい、という嘘を心の奥にしまっておきながら、アイコンを漫画のキャラを勝手に複製して、利用をし始めた。何も知らなかった大学時代に創ったものに変えた。統合失調症になってからの3年間を唐突に思い出した。一気に胸が苦しくなると同時に、なぜ戻してしまったのか? という疑問と、「見栄えがする方がいい」という気持ちと、二つの気持ちが交錯した。自分から統合失調症に逆戻りするようなことをしてしまい、昔の自分に申し訳なく思った。


 地獄のような何もない日々。統合失調症は何もない日々を創り出した。この世の全てが、論理的に狂ってしまったと思っても仕方がないくらいの日々を過ごしていたことを忘れていたし、思い出した。


 なぜ私は今の生活に満足することがないのだろうか。なぜ、わざわざ職場から提示された休息日に、寂しさを覚え、色んな人に電話をかけたり、孤独で寂しいとLINEしたりしなければいけないのだろうか。


 原因は私にある。全て私が悪い。


 『人生のネタバレ 『死ぬ』っぽいな』という歌詞があるが、仕事をしていたら「どうせいつかは死ぬのに、何をやっているんだろうな」という気持ちになってしまうし、休みの日に勉強していても「どうせいつかは死ぬのに、何をやっているんだろうな」という気持ちになってしまう。休みの日に中身の何もないエッセイを書いていても「PVが増えるわけでもないのに、何やってるのだろうな」という気持ちになる。鬱が日常茶飯事の私にとって、鬱にならない人が一体どうして鬱にならないのかが分からないのが、本音のところだ。


 全国民が仕事をしなくなったら、うつ病のリスクは高まるだろうか。


 大学時代は貧しかったが、本を自由に買えた。そこで、本の名言を抜き出し、ネット上で紹介することを、もはや生業としていた。「お金さえあれば……」と思っていたが、自由にお金を手に入れることは30近くになっても、まだ不可能となった。


 この世は、働いて、納税するのが当たり前。のはずなのだが、結局、泣きたいような日々をただ過ごしているにすぎない状態に、今なっている。


 ごめんねみんな。こんなヘタレで。休みもつらい。仕事もきつい。とか言ってたら、毎日がきついと言っているのと同じことだ。


 統合失調症は、人生を潰しにかかる病気だ。大学時代は贅沢だったのだ。認めざるを得ないし、お金の使い道を誤ってしまっていた。神が怒った。それだけだろう。

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