【☆】親戚と無縁だった人生と、2018年12月に死のうとした話。誰を信じればいいのか。

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 タイトルは決めていません。

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 たいした内容もない記事をまた書こうとしている。


 友人たちからは、全くLINEの返信が来なくなった。あまりにもくだらないことと、寂しさでLINEをしたが、神さまは私に孤独の道を歩ませようとしているのかもしれない。


 この『統合失調症(本物)になると、起こること。』を親が書いていると知ったらどんな反応を見せるだろうか。何か書いているのはバレているが「また、井上和音か。戯れがあっていいな、お前は」とだけ言われた。内容までは知らない。ウクライナ情勢について書いたことや、自分が統合失調症になっていること、それで苦しんでいることなどを、自分の子供が公に出していると知ったら、なんと思われるだろうか。「消せ」と言われるか。無理矢理ルーターでも破壊されるのではないかと思っている。


 私は何も知らない。親戚のいとこと、ようやくLINEを交換したが、統合失調症であることすら伝えていない。ブログだってもちろん伝えていない。実家がいかに親戚関係から私に接触させないようにしてきたかが見て取れるだろう。私はという者に出会えるのだろうか。出会えないように、神さまが孤独の道を歩ませようとしているのか。それとも私がやっぱりおかしいのか。実家もおかしいようなそんな気がする。


 親戚同士の付き合いで、人間関係が成立していたら、精神病にもならなかったような気もする。全ては過去にさかのぼるが、もう遅い。親に言われるがままに仕事に行き、安い賃金で働きながら、こうやって愚痴のようなブログを書き続けるのが私の運命なのかもしれない。いや、ブログが書けるだけでもマシかもしれない。家族から「消せ」と言われたら、そこでこのブログは終わるだろうし、言論の自由もそこで終わるだろう。また、夢を見ることを諦めて、「諦念の人生」を歩むことになるだろうと思われる。


 統合失調症は避けられなかったので、「諦念の人生」を歩むくらいならば、2018年12月のあの冬、終わらせておけばよかったとふと思ってしまうことがある。京都の北部まで、鴨川沿いを夜中、自転車で行けるところまで行った。人生は終わったし、死のうと思っていた。鴨川の滝のようになっているところまで自転車で行った。そのときも、老夫婦が夜中なのに、反射ベルトを付けていて私を監視していた。もし川に飛び込んでいたら、また、警察に連絡され、閉鎖病棟隔離室に入れられていたことだろう。統合失調症は最後まで、徹底的だった。


 自転車を乗り捨てた。滝を上から見下ろし、滝の音に圧倒されながら、「なんてちんけなことで悩んでいたのだろう」と自然の迫力を前に、私は滝に飛び込むのをやめた。自転車のところへ戻っていくと、老夫婦が安心したかのように、道端からどこかへ行った。私は生きることを選び、実家に帰ることを選んだ。実家がどんな家かを知りながら、実家に帰ることを選んだ。


 終わりだ。語ることは何もない。結局自傷行為すらできないだけのビビりと言うことで幕を閉じよう。

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