【質問:ブログ】「1000文字ルール」を守って投稿することに意味はあるのか?
前回投稿した『【感想】なぜか伸びた後の記事は結構書きにくい。質問ありがとうございました。』はPV数が3しかない。果たして時間がある時にとにかくブログを書き続けることに何か意味があるのか? そんな気になった。
友人にLINEで聞いてみたが、全員既読すら付かなかった。見捨てられたのだろうか。毎週毎週ブログの小さな悩みでLINEされるのも、たまったものではないのかもしれない。
「毎日続けることには意味があるよ」「毎日やるといいことが起こる」などと、継続の大切さ、というか、継続をした者だけしかチャンスが得られないのは事実だと思う。なんのチャンスなのかはわからないが。
お金と名声が欲しいな、と誰もが思うのかもしれない。しかし、残念ながらそういうチャンスに恵まれずに人生を終える人もたくさんいる。
3月は焦って、「書きたいこと、書き残したことが無いように、今までの思想などを書ききらなければいけない」と書き続けた。文字数や、PV数も格段に上がったが、これ以上に何を求めるかは、全く分かっていない。
昔の「統合失調症(本物)になると、起こること。」は「本当に自由だったな」と読み返して感じる。本当に「文字版TikTok」と呼ばれていたこともよく分かる。何の計画性も無かったこともよく分かる。だからこそ、最近の「1000文字以上は必ず書く」と勝手に自分に制約を課したことも、なんだか馬鹿らしくなってきた。とはいえ、1000文字くらいを平気で書けなければ、ブログとして「やりきった感じ」が起きないのだ。全ては私の感想に過ぎないのだが。
本当に書きたいこと、伝えたいことを書くと、伸びることは伸びる。それに、文字数などは勝手に1000文字を超えるから楽なのだ。何も伝えたいことが無いとき、1000文字も書くことは果たして有効な時間の使い方なのか、全く分からない。
1000文字書いて、PV3。300文字書いて、PV2500。こういうことがブログではざらに起きる。「1000文字ルール」は撤廃した方がいいのか悪いのか、友達からLINEの返信が全く来ないので誰にも相談することができない。
無駄な時間の使い方をしているのかもしれない。統合失調症という一生背負わなければならない病気を、全面的に出して活動することに、なんの意味があるのか。また問い直さなければいけない時期に入って来たのかもしれない。
「燃え尽きるには早すぎるよ」と友人から言われた。しかし、燃え尽きそうだ。固定ファンや、熱狂的な信者などは私にはほとんどいないのだから。
多くの文字を書き続けた人の最後を知っているし、統合失調症を前面に出して書いている人がどのような結果になったかも知っている。果たして「1000文字ルール」はそのまま残しておいた方がいいのか。悩ましい日々は続いていく。
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