161記事以降

【疑問:人間関係】友人を一人失ったかもしれない。友達と話したことをブログに書くことは友達側からしたら不快なことなのか?

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 特定の個人、または組織に誹謗中傷を目的とした記事ではないことを明確に記しておきます。

 また、友人とLINEは「公表された著作物」に一切触れていないので、引用することは無く、そのようなニュアンスのやり取りがあった、とだけ記しておこうと思います。

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 『【ウクライナ情勢:考察】歴史主義だけにかたよると、間違った帰結を生むことになる。』


 みたいな記事を書こうと思っていた。それは、友人との会話の中でたまたま生まれた発想だったし、友人に『【ウクライナ情勢:考察】歴史主義だけにかたよると、間違った帰結を生むことになる。』といった記事を書いていいか、一応尋ねてみた。


 返答としてはNOだった。というか、説教のようなことを聞かされた。「私が友達としてLINEで話したことを勝手にブログにあげられるのは、どれだけ不快かわかっているのか」といったニュアンスで返答が来た。「これからも、ブログのネタとして私と会話しようとするのならば、友達をやめる。不快極まりない。そんなことしてたら友達がいなくなっていくよ」とのことだった。


 私はあせった。統合失調症になってから、自由に話せる友達がいかに大事かを充分に理解し、友達だけは大切に付き合っていかなければならないと強く思っていたからだ。


 社会人で、パートタイマーで、これから先友達が増えることはまずないだろうと見越して、せめてもの学友や部活の友人だけは、これから先もつながりを大切にしたいと心の底から思っていたのだ。


 だが、友達は減ってしまったようだった。ブログを進めるうえでも充分承知していることの一つに「人と自由に話さなければ、新たなアイデアなど生まれるはずもない」ということだ。孤独に、一人、部屋の中にいても、何のアイデアも浮かんでこないし、アイデアの種となるのはテレビの報道くらいのもので、というのを重々承知している。


 友達を、ブログのネタにしたいという気持ちはないのだ。人と会話して、そのあと孤独になり、たまたま考えて出てきたアイデアを書き記したいと思うのが本音のところなのだ。「これは真ではないのか」「この考えはこうなって、こうなっていくから、こういう帰結を生むのではないか」と新たなアイデアが浮かぶのだ。それを、一応文章という形で残しておきたい、と思うのは私がおかしいからなのか。


 「自分の発言を勝手にブログに使われたら不快だと思わないのか?」と問われ真剣に考えて「思わない」とだけ答えてしまった。夜中にポパーの『寛容な社会であるためには不寛容な出来事に対しては、不寛容な姿勢で臨まなければ民衆の自由は無くなる』という言葉を思い出し、やっぱりブログに書いておこうと思ってしまい記事にした。


 その友人からは、今朝から既読すら付かなくなった。友人を一人失った。統合失調症を悪化させる出来事とならなければいいが。

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