なんでも話せる友達や親がいなくなると、精神疾患にかかりやすい。
熱も下がり、暇だったので友人と久々に電話をしました。
あっという間に一時間くらい話をしました。そこで言われた言葉は、精神疾患になる前の自分と、なりかけの自分と、なった後の自分とが、客観的に話されていました。それぞれ残しておこうと思います。
☆☆☆
統合失調症など微塵も感じていなかった小中学校、高校時代。
・友達が多かった。
・運動部に所属し、毎日倒れるくらいまで運動をしていた。
・とにかく、誰かと話す人がいた。
・コンタクトレンズを付けていて、背筋が伸びていた。
☆☆☆
統合失調症のみならず、精神疾患になりかけていた一浪、二浪時代。
・人と話す時間が極端に減った。
・とにかく上を目指すことだけを考えていた。
・地元の友人とLINEを交換することを避けていた。
・眼鏡を掛けて猫背がひどかった。
・運動をしなくなった。
・「どこか怖い」と言われるようになった。
☆☆☆
統合失調症まで数年となった、大学一二年生時代。
・出身高校の偏差値が高い中で、二浪して私立大学に行ったことにコンプレックスを抱えていて、地元の友達はおろか、高校時代の友人ともLINEの交換を拒否するなど、接触を避けていた。
・二浪を経験し、講師という人に対して接触を避けるようになっていて、書物に没頭するようになった。
・「哲学など意味がない」と哲学科の最初の会議形式の講義で言い放つほど性格がねじれていた。
・学歴&多浪コンプレックスで最初の入学式や、哲学科の懇親会などに参加することを避けた。
・自分はダメ人間で、自分は日本の中でも不幸な大学生だと思い込んでいた。
・サークルなどには一切入らなかった。
・朝から起きることをしなくなった。
・朝から行われる第二外国語の講義に付いていけず、4年間第二外国語に苦しむことになった。
☆☆☆
統合失調症まで一年となった、大学三年生時代。
・急性アルコール中毒で倒れ、不安障害が起きて初めて心療内科へと行く。
・心療内科で発達障害と診断され、コンサータを貰う。
・大学の保健センターから合理的配慮措置をもらい、コンサータを飲みながら48単位のフル単を達成する。
・大学生協が出しているSPI模試で偏差値70を超えてどこの企業だろうと筆記で落とされることはないと思い始める。
・食堂のミール制度を両親が使い始め、金銭的に余裕が出てくる。
・シフト制のアルバイトをようやくみつけ、金銭的に余裕が出てくる。
・就職セミナーなどには必ず参加し、名の知れた企業に積極的にアピールしていく。公務員は考えていなかった。
・TOIEC ipで500しか取れず、自分はやはりこの程度かと思う。
・就職に少しでも有利に働くよう、あらゆる資格を受けるための準備を始める。
☆☆☆
その後、統合失調症を発症します。
人とのつながりが無くなっていくにつれて、精神が摩耗していく姿が見て取れるように思います。
また、向上心や、周囲との比較、「何とかして生き残らなければ」という追い込みが統合失調症を誘発したかと思います。
また、コンビニ食やスーパーの総菜に頼りすぎた生活をしていたことも、原因の一つかなと考えます。コンビニ食やスーパーの総菜だけでは、どうしても栄養は炭水化物寄りになり、たんぱく質不足になりがちです。また、「お腹いっぱいになった」という満腹感が得られないのも、コンビニ食や総菜のよくないところかと思います。
原因は全くわからず、真相もまたわかりません。
ただ、人生を焦って、「一人勝ちしてやろう」という気持ちになっていたことは事実だと思います。
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