統合失調症にならなかったら、母親は生きていたかもしれない

 2018/05/17(水)。私は警察官に保護される形で、一方通行の道に乗り、そのまま統合失調症患者となりました。


 2018/05/20(土)、母はHさんと一緒に、京都に旅行に行くついでに、私のマンションまで会いに来るということを、事前にメールで知らせていました。


 しかし、05/17に警察に保護され、当然両親にも連絡が入り、母親の土曜日の旅行は当然キャンセルとなり、母親は拘置所に保護された私を見て、医療保護入院の措置を泣きながらとっていました。


 そして、私は閉鎖病棟隔離室に入り、幻聴が聞こえだします。

 一ヶ月、隔離室に居ました。心が壊れました。


 そんな母は、私が実家に帰ったのち、ガンが見つかり、数日前に亡くなりました。


 母はいつも言っていました。「あんたが心労をかけたから、私はガンになったったい」


 母が生きている当時は『どうしろと……』という気持ちが大きかったです。


 正直、家族のことはここには書きたくないし、母が亡くなったことも、統合失調症とは関係ないので、書くつもりはありませんでした。なんでもかんでもネタにするつもりは全くありません。


 しかし、先ほど、父から言われた言葉に私は衝撃を受けたのです。


 「マンションの部屋に置いてあった俵屋吉富のようかんが、お母さんとHさんの分、二人分が用意してあって、それを見てお母さんは『もっと早くに来てやればよかった』と号泣しとったと聞いとったよ」


 衝撃でした。全く覚えていないのです。


 どころか、旅行に来るであろう二人を、もてなす用意をしていたとは?


 私は、正気を失ってはいなかった?


 母親とHさんが旅行に来る、土曜日まで、ベッドにくるまるなり、無理やりにでも大学に行き続けていたら、統合失調症になる運命では無かった?


 統合失調症に、一度でもなれば一生統合失調症なので、本当に負けていたのは、その三日間、耐えることができなかったこと、ということになります。


 正直、頭のピークは統合失調症陽性期になっていた頃でした。普通に一人暮らしもできていたし、就活や大学の講義にも出れていた。


 私は、正気を失っていなかったら、心労で母親がガンになることも無かったのか?


 私の我慢できない、あり得ない行動のせいで、母親の寿命を縮めてしまっていたのか?


 私は一人暮らしを続けていて、あこがれの東京暮らしを満喫することができていたのか?


 自分の判断で、自分の責任で生きる、大人になることが出来ていたのか?


 母親が、もういないから、父親がそんな話をしたのかもしれません。


 運命の三日間で、人生が本当に、家族を巻き込み変わってしまった。


 後悔しかありません。全てが暗号に見えても、今の現状のように無視を続けていれば。


 終わります。

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