第18話 星の涙

 意識を落としてからどれくらい経ったのだろうか。湿気が酷いこの場所では、長時間横になって眠っていられない。光を感じることの無い奥深い地下から、どうやって抜け出せるというのだろう。

 

 いつになったら――外に出られるというのか。そう思いながら崩れかけた天井を眺めていると、地下であるにもかかわらず、暗闇の中から星が見えた気がした。星は一つだけではなく、無数の輝きが何度も揺れて自分に向かって来るような、そんな感じだった。

 

 その中の一つ、いや二つの星が、仰向けで眠る自分に向けて一直線に迫って来る。


 そして、間近に迫って来たかと思えば、その光からは大粒の水が滴り落ちていた。このままでは溺れてしまいかねない。そう思って目を覚ますと、間近に見えていたのはステラ・フェアシュ――彼女だった。


「……あぁっ、シーク、シークッ! すまない、すまない……」

「ス、ステラ? ど、どうした? 何でオレの上で泣いている?」


 大粒の涙を流しながらオレの名を連呼していたステラだったが、涙を拭いながらその場に立ち上がる。


「お、お前の名は何だ? 答えろ!」


 泣きながら何を言い出すかと思えば、オレの名前を言えとは彼女は何を寝惚けているのか。魔族を払い、共に世界に平穏をもたらした賢者であるこのオレに、何を今さらなことを言うのか。


「グランディールの賢者、シーク・エイルドだ。お前は、ステラ・フェアシュ。オレの相棒だ! 忘れそうになったら、お互いの名前を呼び合うと約束しただろう? これで満足か?」

「――! ふ、ふん。アタシを散々待たせておいて、相変わらず勝手な奴め!!」

「な、何を言っている? いつオレがお前を待たせた?」

「馬鹿め、大馬鹿め……!」


 滅多に涙を見せない彼女が安心したかのように、オレに覆い被さりながら何度も胸を叩いて来る。どうやら長い時間、ずっと泣いていたようだ。無数の星に見えたのは彼女の銀色の髪で、二つの星は彼女の瞳だったのだと理解が追い付いた。


 このままの姿勢では背中が痛くなるので、彼女をなだめてオレはその場に立ち上がった。すると、それまで感じていた不安や恐れが消えたかのように、身体が軽くなったような感じを受けた。


「ステラ、大丈夫か? お前が泣くなど、天変地異でも起きるんじゃないのか?」

「ふん。らしいことを言い放てるようになったか」


 彼女の口癖は健在の様で、得意げに言い放ってみせた。それにしても、地下牢から脱出した前後の辛い記憶が封じられステラのことも忘れてしまっていたとは、星の力の代償はあまりにも大きすぎる。


「ステラ。お前がオレを助けた後、ここはどうなったんだ?」

「――さっきお前が言ったように、放棄した。罪人が大穴を開けて逃げ出した牢を修復したところで、何の役にも立たないからな。開けたのはアタシだったが……」


 色々聞きたいことがありすぎるが、過去のことを彼女に聞いたところでいいことは無い。それに、ここへ来た目的は記憶の修復だ。それが済んだ以上、いいと思うことにしよう。


 しかしまさか水に囲われた王国と魔術都市が、大昔の故郷グランディールそのものだったとは思いもしなかった。


 だが魔術学院へ初めて来た時に感じた視線と見張られている気配は、多くの衛兵から感じた仄かな気配そのものだったことを思い出す。


「ここで思い出に浸るつもりは無い。練兵場に戻るぞ、ステラ」

「どうして故郷が湖に沈んだか聞かないのか?」

「……当時の王がそうしたかったんだろ。それに数百年以上も経てば、天変地異が起きても不思議じゃない」

「ふふ、そうだな」


 あれこれと言うつもりも無く、聞くつもりも無かった。オレが地下牢から脱出した後のグランディールが大変なことになっていたことなど、聞いたところで意味は無いからだ。


「そういうわけだ、オレに掴まれ」


 彼女から感じられるのは、オレが失った精霊の力だ。その時点で、彼女は魔術の一切が使えないことを悟ってしまった。ここから練兵場に戻るには来た道を歩くしか無いが、オレは記憶を取り戻してくれた彼女を抱え、空間転移を使うことにした。


 入学した当初は、魔術学院の生徒が当たり前のように使っていた魔術を知らず、全く使えなかった。だが忘れられた存在として過ごしていた間、トネール先生の下で魔術稽古をしたことで成果はすぐ表れた。空間転移は難しいものではなく、低位クラスの生徒でも初歩で覚える単純な魔術だった。今ではそれを自分のものにして自由に動くことが出来るが、そのことを知るのはトネール先生だけである。


 オレにしっかりと掴まったままのステラを抱えて、あっという間に練兵場に戻って来られた。トネール先生の姿は確認出来ないが、ステラを抱っこしたままで床に着地した。


「着いたぞ、ステラ」

「いつまで抱えているつもりだ。早く下ろせ!」

「――! す、すまない」


 昔から彼女の相方として一緒にいただけに、特別意識することは無かった。しかしこうして彼女を抱えていると、随分と変わったように思える。銀色の髪と藍色の瞳はそのままだが、あの頃の逞しさは薄れて今はとても華奢な少女になってしまった。


 しかも今では魔術も使えず、オレが失った精霊の力だけだ。グランディールでも王に仕立て上げられていたが、まさか王国の王女として生きていたとは驚きだ。


「あはは! フェアシュ王女を抱きかかえているとは、まさにお姫様抱っこ……いや、違うかな?」

「トネール先生!? いつからそこで見ていたんです?」

「空間転移を使えば、どこに現れるかくらい見当がつく。私は初めからここにいたぞ」


 抱きかかえていたステラを下ろそうとすると、目の前にはトネール先生の姿があった。どうやらここにオレたちが戻った時からいたようだ。


「おい、シーク……」

「あ、あぁ、悪い」


 地下にいた時の涙と感動は既に消え失せ、ステラはすっかり機嫌を損ねている。


「お待ちしておりました。ステラ様」

「ご苦労だったな、ディエン」

「――へ? な、何だ、そのやり取りは? ステラ、先生とどういう関係だ?」


 ステラが立ち上がったところで、トネール先生がいきなり跪いた。ステラは確かに王女なのだろうが、先生の態度が明らかに違う。単なる魔術学院の教師と王国の王女という関係じゃないのか。


「アタシはこの王国の王女だと言ったはずだ。そしてトネールは、アタシの侍従武官……護衛の白魔術師だ」

「なっ――護衛だって!? しかも白魔術師……」


 魔術稽古をしてくれるくらいだから実力はかなりあったが、まさか王女の護衛役だったとは。オレのことを全てを知っていた上で担任になったのだろうか。


 そうだとすれば、ずっと長い間ステラを待たせていたということになる。そして練兵場が使えるのは、そういうことだった。


「そういうことになるが、お前とステラ様が出会うまでは私も半信半疑だった。すまないな」

「えっと、護衛というのは昔からですか?」


 少なくとも、グランディールにいた頃からでは無いと思われるが。


「シークは知らないだろうが、トネールはアタシがグランディール宮殿にいた侍従だ。もっとも、正確には彼女の家系であるディエンがそうだっただけで、彼女は子孫に過ぎない」


 グランディール宮殿の侍従となると、オレにはさっぱり分からない。それというのも、オレは宮殿の中に入ることが無かったし入らなかった。入ったのは地下牢だけになる。


 ステラは宮殿に住んでいたが、オレは宮殿の外にある家に帰っていた。宮殿で働いていた者を知らないのは当然のことと言える。


「――なるほどな。それじゃあ、トネール先生に守られながら成長をした。そういうことだな?」

「お前と違って、アタシには何の力も無かったからな。ここまでになるのに、相当時間がかかった」


 力が無いという割には精霊の力が使えるようだが、努力を重ねたということか。それにしても、グランディールの王に仕立て上げられた彼女が、生まれ変わっても王女となっているとは驚きでしかない。

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