ハーミット・アカデミー~隠者と星の約束~

遥 かずら

第1話 予感の賢者

 かつてこの世界には、人を惑わし災いをもたらす闇の一族が蔓延っていた。だが多くの人々にとってそれは、人の噂が作り出した伝説に過ぎない。


 ――そう誰もが思っていた。しかし魔法や剣術、精霊術を強く扱える人間が増え始めると、妬みや憎しみを持つ者が生まれる。そして正しき心を捨てた者は、悪事を働き出すようになっていった。

 

 正しき心を放棄した人間は恐怖や不安を煽り募らせ、弱き心を抱える人々の隙を窺い、悪さをしだすようになったのだ。やがて黒い感情を持つ人間の数が勝なる人間を上回ったことで、魔の心を持った者が世界を治めるようになったのである。


 それが闇の一族と呼ばれる所以の始まりだった。闇の心を持つ者は力無き者を排除し、混沌とした世界を極め続けた。だがそんな混迷の世界と蔓延る一族を追い払い救ったのは、あらゆる事象に長けた賢者と呼ばれる者たちだった。


 あらゆる才能に優れた賢者シーク・エイルドは魔力と精霊術に秀でており、数多の羨望を受ける者として名を轟かせていた。そしてシークの相方でもある賢者ステラ・フェアシュは、星の加護を受けた者として、知力に優れ慈愛に満ち溢れた人間として、多くの人々から是認される存在だった。


 英雄と崇められた二人の賢者は世界に平穏をもたらした後、故郷の国グランディールへと凱旋を果たしたのである。


 賢者ステラは外套を深々と羽織り、滅多に素顔を露わにしない女性。だがはっきりとした顔立ちと神秘的で綺麗な藍色の瞳をした彼女は、多くの民の間では優しい女神のような存在として伝えられていた。外套から隠し切れない銀色の長い髪を胸元で揺らし、腰に手をかけて話す姿はとても凛々しく、誰もが魅了された。


 一方、伸びほうけた漆黒の髪をばさばさに乱し、大きく見開いた瞳をさせながら無言を貫いているシーク・エイルドは、伸ばしっぱなしの髭を見せつけ、英雄の面影を無くした恰幅のいい体躯をしていた。その風貌は一見すると、賢者では無く山賊のようであった。


 二人の賢者はどちらも齢にして、四十を越えた初老だ。民の間では賢者に似つかわしくないシークが女神のようなステラと行動を共にしていることを、訝し気に見る者が少なくなかった。

 

「英雄と崇められた者たちの栄光と栄華は、永遠に続くものでは無い――か」

「何だ、シーク。物思いにふけるなんて、お前らしくないじゃないか」

「あの壁を見たらそう思いたくもなる」


 白銀はくぎんの外壁は、英雄となった二人を崇める為に施された立派な壁だ。だが経年劣化により、既に輝きは失われ見る影も無い。宮殿内にいる者ですら外壁を気にする者はおらず、荒れたまま修復する機会を与えられていない状態となっている。


「……何だ、あれのことか。――らしくないことを言う」

「オレらしくない、か。ステラ……君は、悩みと心配が全然無いとでも?」

「馬鹿にするな! アタシにだって一つや二つくらい、抱えるものはあるぞ!!」

「二つ? たったそれだけか?」

「――そ、それよりも早く魔法を放て! 勝負の時間は無限では無いのだぞ! お前の魔法をどこまで防げるのか、アタシにとってはそれが何よりの楽しみなんだ!」


 彼女はいつも退屈を嫌い、このオレに対しわざと煽る言い方をする。

 同じ賢者であり普通とは違う力と魔法を使いこなす相手がいることは、彼女にとって余生を過ごす嗜みの一つとなってしまったのだ。さらに厄介なのは、争いごとに興味を持つようになってしまったことだ。


 ステラは精霊術や魔法を上手く使いこなせない代わりに、星から守護を受けている。夜空に浮かぶ星が無数にあることで聖なる力を得られる彼女は、気力が有り余って仕方が無い状態となっていた。


 ――そして彼女は退屈を嫌い、毎日のように勝負を繰り返す。

 そんな慌ただしい日々を過ごすようになったのである。


「全くもって意味の無い対決だぞ? 英雄は英雄らしく、大人しく日々を過ごせばいいじゃないか」


 賢者同士が戦うこと自体、本来あり得ないことだと思っていた。しかし彼女の考えはそうではなく、あくまでも勝負事を興じているだけに過ぎないと言い張る。


「そんなことじゃもたらされた才能もすぐに腐ってしまうぞ! 早く魔法を放って来い!! アタシの楽しみを奪う気か? たかが遊びではないか!」


 彼女からすればあくまで退屈と衰えを防ぐ競い合いなのだと言い張るのだから、余計にたちが悪かった。だがいくら当人同士が戯れと思っていても何も知らない者から見れば、いがみ合う光景にしか見えないのが現実だ。


 国民のほとんどは滅多に宮殿を訪れない。それ故に心配する必要は皆無ではあるが、宮殿内には衛兵や侍従が数多く存在する。彼女たちの勝負は普段から魔法防御で見えなくしているが、何かの間違いで賢者同士の戦いを目の当たりにしてしまえば、厄介な事態は必ず引き起こってしまう。


 人々からはたちまち安心が消え、闇支配だった頃の不安を募らせてしまいかねない。当たり前のようにして来た勝負に懸念を示し始めたのも、そのことが頭によぎったからだ。


 ――だがオレの心配をよそに、彼女は意地を張って勝負を急かす。


「しかしだな……」

「ここでは誰も見てないんだぞ? 遠慮せずに魔法を撃って来い! 何を今さら弱気になっているんだ」 


 彼女の本性は戦いが大好きで勝気な女性だ。そのことを知るのは、災いを退け共に戦ったオレだけである。

 

 闇を追い払った戦いにおけるオレの役目は、敵への直接攻撃だった。彼女は支援補助する役目に徹していたわけだが、その事実はまるで異なるものだ。

 

 彼女は精霊術こそ使えなかったが、星の力は相当なものがあり守ることに長けていた。彼女がもし星の力を攻撃に転じてしまえば、彼とて無事では済まなくなるだろう。


「くそっ、聞き分けのない奴め! それならこれでどうだ!! はぁぁっ……!」

「――遅いっ! どうした、シーク! もっとアタシに攻撃的な魔法をぶつけて来い!! そうじゃなければ賢者としての威厳、いやお前の才能がすたるぞ」

「くっ、そこまで言うなら――!」

 

 いつもは無意識に力を加減して、魔法を出していた。

 だが意気地になっている彼女に対し、オレは懲らしめるつもりで加減していた魔力を思いきり解放してしまった。


 辺りからは、ゴオオッとした音が劈き始めている。


「ばっ、ばかっ!! いくら何でもやりすぎだ!! アタシの魔法防御にも限度ってものが――!!」


 風魔法は彼女が想定していた範囲よりも広く、威力も脅威的なものとなってしまった。これでは完全な暴発となる。このままでは凄まじい真空状態を引き起こし、宮殿内にまで影響を及ぼしかねない。


 彼女は両手で暴れ来る風を抑え込もうと試みたが、オレの手から離れた加減の無い魔力に、なすすべがない状態だ。余裕を見せていた彼女の手からは、無数の痛々しい切り傷が出来ている。


「す、すまない……こんなはずじゃなかったんだ」

「いいさ。お前を挑発しすぎたアタシの慢心によるものだからな。ううぅっ……、こ、これが済んだら一杯奢れよ?」

「もちろんだ。だが今は――」

 

 これ以上、暴れさせるわけにはいかない。

 そう思いながら、オレは何とかこの風を抑えてみせた。


「ふふっ。お前の賢者としての才能は、全く錆びついていなかったようだな」

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