最強武人の三人の弟子たち

落花生

第1話

 毒蛇が足元を這っている。


 その様を見て、ゲリアは思わず悲鳴を上げた。


 目の前に広がるのは、未開の森。人の手が入って管理されている里山とは全く違う様子に、ゲリアはため息をついた。この森をこれから歩くなど、正気の沙汰とは思えなかった。


「うー、靴汚れちゃうじゃん」


 しかも、都会育ちのゲリアは森になれてはいなかった。王の命令でなければ、森になど絶対に足を踏み入れたくないところだ。靴の汚れを気にしながら、ゲリアは先に進む。案の定、街で流行りの靴はあっという間に真っ黒になった。


「まったく都会育ち都会生まれの俺にこんなことを任せるなんて、王様も何を考えてるんだろうね」


 ゲリアは、この間まで城で文官をやっていた。自分でも優秀な人間だったと思うが、つい数日前に王から直々にとある人物たちを探しだすように命令を仰せつかった。その人物たちを探すために、慣れない山道をおっちらえっちらとのぼっているのだ。


 今の王政は、過去に王子だった今の王がクーデターを起こして手に入れたものだ。その際に最後まで王子にあらがった人物が三人いた。


剣、魔法、槍で名をはせた達人たち。


その達人たちは全員が捕まり、処刑されたはずであった。だが、最近になって彼らの弟子たちが生きているのではないかという話が持ち上がっていた。弟子の数は三人。本当に生きているのならば、全員がゲリアと同年代ぐらいのはずである。


 クーデターからすでに何年も経っており、王が恐れるものは何もないとゲリアは思っていた。だが、王は達人たちの弟子が生き残っていることを何故か恐れた。しかし、噂確たる証拠もないのに軍を動かすわけにもいかない。そのため、白羽の矢がたったのがゲリアだった。


 王は、ゲリアに達人たちの弟子を探すように命じた。


 こうしてゲリアの山登りの日々が始まったのだ。


「クーデターあったのって、もう五年も前だっけ。生きてないと思うんだよね。生きてたとしても、こんな山の中に隠れ住んでるような人間をどうして今更恐れるんだろう」


 政権は安定している。


 殺された王は元々人気がなかった。


 なのにどうして、現王は五年前の亡霊ともいえる弟子たちを探しているのか。答えは、ゲリアには分からない。


 そんなことを考えて歩いていたせいか、ゲリアは足を滑らせた。ごろごろと斜面を転がり、全身が土だらけとなる。


「はぁ……もう最悪」


 ゲリアは立ち上がると、見えている範囲だけでも服についた土を払った。だが、湿った土は布にへばりつき中々とれない。しつこくたたいていると、布の下の太ももが痛んだ。


「う……これだから山は嫌いだ」


 文句を言いながらも、ゲリアは歩き出す。


 弟子たちが死んでいるのか生きているのか、それをはっきりさせないとゲリアは帰ることができない。全く嫌になる、と思いながらゲリアは先に進んだ。


 藪をかき分けて進むと、息を飲んだ。


 そこには、鹿を喰らう熊がいた。


 熊の意識は獲物になった鹿に向いているが、いつ意識がゲリアに向けられるかは分からない。ゲリアは、後ずさりしようとした。だが、着ているものは藪に引っかかり「がさり」と音を立ててしまう。


「つ――!!」


 熊が、ゲリアに気が付いた。


 ぐるると鳴き声を上げて、ゲリアを睨みつける。


 ゲリアは思わず両手を上げる。武器を持っていないというポーズだが、熊相手には通じないであろう。それどころか獲物として最適だというアピールになっているような気さえする。


ゲリアは、武器らしい武器を持っていない。一応、護身用の短剣は持っていたが、これは木などを切るためのものだ。対人やましてや熊を相手にするような作りをしていない。


 死ぬ、と思った。


 こんなところで死ぬのか、と。


「死ぬのはいやだぁ……」


 弱弱しい声が響いた。


 自分でも信じられないぐらいに弱った声で、まるで死にかけの老人のような声だった。熊のための獲物の声だった。


「おい、頭を下げろ!」


 ゲリアの弱弱しい声を励ますかのように、力強い声が響く。


その声の主は、木の上にいた。分厚い本を持ち、緑色の特徴的な髪を風になびかせている。フード付きのローブを身に着けており、その服は山を歩く者らしく土埃で汚れていた。


「風の力をここに示せ!」


 風が、まるで意思を持ったかのようにうねる。


 そのうねりは鋭いかまいたちとなって、熊を襲う。


魔法だ、とゲリアは思った。


木の上に立つ彼は、魔法使いだったのだ。熊は魔法使いでは分が悪いと知っているのか、鹿の死体をくわえて静かに立ち去った。


「た……助かった」


 ゲリアは、その場でへたり込む。


 命の危機を脱したせいか、体に力が入らなかった。


「おいおい、大丈夫かよ」


 魔法使いが、木から飛び降りる。


 彼の足の周囲に風が流れ、それが着地のショックを和らげているのだとゲリアは推察した。それを彼は演唱なしでやっている。


超一級の魔法使いだ、とゲリアは唾を飲み込む。


魔法は普通演唱を必要とする。だが、高位の魔法使いは簡単な魔法ならばそれを省略してしまえるのだ。王都にも魔法使いは何人もいた。だが、魔法の演唱を省略できた魔法使いは、そのなかでも数名のみだった。


「お前、ずいぶんと泥だらけだけど怪我はないか?」


 魔法使いは、手を差し出す。


 その手は、随分と細く頼りないものだ。ゲリアは、改めて命の恩人の魔法使いを見る。その顔立ちは少年のように幼く、秀麗だった。


 ゲリアは、魔法使いの手を握って立ち上がる。


「ありがとう。助かったよ」


 魔法使いは、にこっと笑って見せた。


その笑顔は繊細で、どこか女性的なものだった。ゲリアは、その笑顔に一瞬見ほれる。だが、次の瞬間にはその笑顔はなりを潜めた。彼の笑顔が、何かを企んでいるような悪いものになる。その笑顔は、ゲリアの背筋をぞっとさせた。


「あんた、そんな軽装で山に挑んだのかよ。死ぬぞ」


「山登りは初めてなんだよ。まさか熊にであうとも思わなかったし」


 熊で良かったな、と魔法使いは言う。


「ここらへん盗賊も出るんだよ。熊よか危ない奴らだぜ」


 ゲリアは、持ってきた短剣を魔法使いに見せる。


 魔法使いは、眉をひそめた。


「それ、使い慣れているのかよ」


 ゲリアは首を振る。


「全然。俺、城ではペンばっかり握ってたし。武力はからっきしだったから。あー、俺の恩人の名前は?」


 魔法使いは答える。


「ユーファだ」


 ユーファと名乗った魔法使いは、ゲリアを上からしたまでじっくり観察した。そして、首をかしげる。どうやらゲリアの服装が登山に向かないものだったのが不思議らしい。


「よかったら、山を下りるまで護衛するか?」


 ユーファの申し出に、ゲリアは首を振る。


「残念だけど、俺もこの山で人探しをしなきゃならないんだよね。護衛の話は、ものすごくありがたいんだけど」


 ゲリアには、身を守る術がない。


 本当ならば、金を払ってでもユーファに護衛してほしいところであった。


「なら、俺もその人探しに付き合う」


 ユーファは、そう言った。


 その申し出に驚いたのは、ゲリアであった。


「えっといいの?何日かかるか、わかんないけど」


 ゲリアの仕事は、達人たちの弟子を探し出すことである。見つけ出すまでは、帰れない任務でもあった。そんな仕事にユーファを突き合わせるのは、申し訳ない。だが、ユーファは気にしていないようだった。

 

「ほっといて野たれ死なれたほうが、目覚めが悪いんだよ。それとも、お前はこの山のなかで生き残る自信があるのか?」


 ユーファの言葉に、ゲリアは首を振る。


 熊は野盗がうろつくような山を一人で歩きまわって、無事ですむような実力は残念ながらゲリアにはない。


「なら、決まりだな。実は、今は仲間が出かけてて暇だったんだよ」


 聞けば、ユーファは普段から山に住んでいて獣道も庭のように歩いているらしい。ゲリアにしてみれば信じられない話だが、魔法使いのユーファにしてみれば山の方が魔法の研究をしやすいらしい。人が来ないので派手な魔法も試せるからだというが、信じられない話だ。


「ユーファちゃんは、誰と住んでるの。この山の中で」


「ムキムキの武人コンビ」


 ユーファの答えに、ゲリアは噴出した。


 華奢なユーファの隣に、上半身裸の男たちがいる様子を想像したからである。


「ちょっと笑わせないでよ」


「ほんとにムキムキなんだぜ。一人なんて、このあいだ素手で熊と戦って勝ってたぞ」


 お前なんて一ひねりだ、とユーファはゲリアを脅す。


 ゲリアは、わざとらしく震えあがった。ユーファの話は信じられなかった。おそらくは、場を盛り上げるために話を盛っているのだろう。


「ゲリアは、誰を探しに来たんだ。こんな辺鄙な山のなかで」


 ゲリアは、苦笑いする。


「それがね、昔最強って呼ばれていた人たちの弟子を探しに来たんだ。王様の気まぐれの命令だから、生きているかどうかも分からないんだけどね」


 ゲリアの言葉に、ユーファは興味なさそうに「ふーん」と言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る