愛して殺る 誓いの眷属

方波見

第1章 そうして、彼は愛の仮面を被る。

第1話 平穏はやがて壊れる①


 分厚い刃が振り下ろされ、接着と同時、亀裂が走る。するとまきは綺麗に真っ二つに勝ち割られた。


 爽やかな朝。

 家屋の裏手で、リエルは次々に薪を割っていた。体の軸をぶらすことなく一呼吸ずつに斧を振る姿は、随分とこなれていた。


 細腕ながらもスコーン、スコーンと小気味よい音が断続的に響き渡り、それは村の朝の風景によく馴染んだ。


 ひとしきり薪を割り終えると、リエルは斧を幹でできた台に刺して固定させ、額に浮かぶ汗を拭って一息ついた。

 リエルの周りは精確に細く割られた薪で溢れている。


 「よし」


 持ち運びやすいように麻縄で薪を軽くまとめて、それらの束を荷台に載せる。


 村には若い人手が少ない。リエルは薪割りという重労働を村のみんなのために、と快く引き受けていた。

 そのため、本来荷台は共用で使われているものだが、晴れた朝、この時間帯に限ってはほとんどリエルのものと言ってよかった。


 そうして、リエルは村の端まで荷台を引いた。

 薪はこのままではうまく使えない。よく燃えるように十分乾燥させる必要があった。そのための場所が村の端に位置しているのだった。


 村共同の茅葺かやぶき屋根に覆われた小屋に薪を積み上げる。それを何往復か繰り返して、ちょうど日が真上に昇る頃に、ようやく薪を運び終えた。


 リエルは深く息を吸い込むのと一緒に大きく伸びをして全身をほぐした。

 空気には森の香りが含まれていた。


 ひと休みしようと、小屋の壁面に吊り下げられた縄梯子を上る。ぐらぐら揺れて不安定だが、もう幾度となく繰り返してきているため、リエルのその動きは洗練されている。


 難なく緩やかな傾斜の茅葺き屋根に乗ると、リエルは両手を組んで頭の下に敷き、仰向けに寝転がった。


 激しすぎないまるみのある陽光がやさしく舞い降りる。ぬくまった茅の陽だまりの匂いを大きく吸い込みつつ、まぶたの裏側で境界のあいまいな太陽の輪郭をなぞった。

至福の時だ。


 「どう? 今日のお加減は」


 微睡まどろんでいると、下から耳に馴染んだ声がかかった。


 「すごくいいよ」


 リエルは夢とうつつの界で応えた。


 吊り下げられている縄梯子のきしむ音がする。エマもこちらへ上ってくるつもりらしい。

 きしきし言う音から揺れに難儀している様子が伝わってくるが、心配はいらないだろう。エマもここに通い慣れた一人だ。


 やがて、がさがさと茅を踏む音が近づき、リエルは薄く目を開けた。


 「やっぱり、ここに居ると思った」


 リエルがここで日向ぼっこをすることはすでに周知のこととなっていた。


 「隣、いい?」


 「うん」


 エマはリエルの横に寝転がると、両腕を大きく伸ばした。


 「んん~~~、気持ちいねえ」


 その様子を見ながら、リエルは日の温かさを全身で受け止めるようにしてまた目を閉じた。


 「エル」


 「っ……!」


 エマに耳元で囁かれ、リエルは反射的に横を向いた。

 互いの鼻先が触れ合ってしまいそうな距離。リエルの瞳とエマの瞳が交わる。

 リエルは慌てたように視線を戻した。


 ふふふっ、とエマは悪戯いたずらが成功した子供、というには少しばかり大人っぽいつやめかしくて楽しげな声を上げて、リエルと同じように顔を戻して空を眺める。


 「なんか、今日の空はエルに似てるね」


 「……僕に?」


 リエルは平静を取り直して問う。


 「うん」


 「どういうこと?」


 訊きながら、リエルは心地よさに任せて再び目を閉じた。


 それを好機とばかりにエマはそろそろと動き、リエルの両側へ膝をついて、四つん這いの姿勢で自身の顔を彼へ近づける。ゆるりと風が抜けて、夕焼け空みたいな色のエマの髪の毛が、弧をかいて揺れた。


 「ほら――」


 目の前から侵入してきた声に驚き、リエルはまたも反射的に目を見開いた。


 「――澄み渡った青空の色。エルの瞳と、そっくりだ」


 ニコニコと悪戯っぽく笑むエマの長い髪先が、リエルの頬をくすぐる。


 「髪も、青空に浮かぶ雲の色」


 くすっと笑って、エマが続けた。


 「だからかな? エルがのんびりしていて穏やかなのは」


 「…………」


 リエルは自身の胸の鼓動を感じ、それがやたらと大きく波打っていることに気がついた。急速に顔の火照りを覚えて、エマの視線から逃れるように小さく首を動かした。


「あんまりからかわないでくれ」


「別に、からかってなんかないよ?」


 しかしエマは視線を離してはくれない。

 リエルはだんまりを決めこみ、エマは観念したように軽く笑って、そそくさと縄梯子を掴んで降りていく。 

 

 「そんなに急いだら――危ない!」


 リエルの心配をよそに、エマはぱっと両手を離し、残りの三段をぴょんと飛び降りた。


 「ふふっ、大丈夫だよ。それより、お昼一緒に食べよ! もうできてるからさ!」


 エマは軽やかな足取りで家に向かっていった。


 リエルは目を細めながら再び空を見上げて大きな伸びをしてから、エマの後を追いかけた。




*****




 「お邪魔します」


 「いらっしゃい。あの娘、けっこうはりきってたみたいだから、たーんと食べてってね」


 戸口の前で、エマの母クレアがリエルを歓迎した。


 「はい、ありがとうございます」


 ご馳走になりに来たことにいつもながら気がとがめたが、リエルは微笑を返して敷居をまたいだ。


 中に入ればすぐに居間だ。村の生活は決して豊かなものとは言えない。村長の家を別にして村の家々は簡素なものだった。


 「あっ、そこ座って待っててね」


 そう言うエマは上機嫌で台所に立ち、鍋の中をお玉でゆったりとかき回していた。


 少しして湯気が立ち鼻腔をくすぐるよい匂いがしてきたところで、エマが椀にスープをよそう。


 「今日はリククのスープ」


 そうしてリエルの前に出されたのは豪華な品だった。シャスの葉にカクイモ、クルロソウ。それに加えてリククの肉だ。

 普段の昼では考えられない贅沢だろう。


 さらには「はい、これもね」とエマが黒パンが一杯に入った籠を置く。


 「……本当にいいの?」


 リエルはさすがにそこまでされると気後れしてきて、おずおずと尋ねた。


 「ふふ。これ、前にエルが獲ってきてくれたのだしね。エルに食べてもらわなきゃ」


 エマは言いながらリエルの対面に座り、そして椀の中をすくって肉切れを見せた。

 たしかに、リククは以前リエルが獲ってきたものだ。けれどそれで躊躇がなくなるかというと、そういうわけでもなかった。


 「さ、遠慮しないで食べて!」


 じっとして手を付けないでいるリエルに焦れたのか、エマがさあさあと言わんばかりに椀と籠をリエルの方へズズいと寄せた。

 

 ここまでされては断るほうが気が引ける。


 「……うん。じゃあ、遠慮なく」


 リエルは木の匙で輝くスープと野菜と肉とをすくい取って、口に運んだ。


 「どう?」


 エマが上目遣いで、リエルの顔色を窺う。

 

 「美味しいよ。すごく」


 長いこと火にかけたのだろう、野菜はとろり、肉はほろほろと、あっという間に溶けてしまった。肉の量がちょうどよかったのだろう、塩の加減も絶妙だ。さらに貴重な香辛料も惜しげもなく使われているようだった。


 「本当?」


 「うん」


 「そっか、よかった」


 エマはほっと安心したように笑みを咲かせた。

 

 リエルがふたくちみくちと食べるのを眺め、エマも自身の椀に手をつける。ちょくちょくと向けられるエマの視線に、いつになく緊張までをも味わうリエルであったが、椀はあっという間に空になった。


 「ごちそうさま。美味しかった」

 

 「じゃ、また作ってあげるね。エルがちゃんと狩ってきてくれたら」


 「うん、頑張るよ」

 

 「それで、さ。……この後手空いてるかな?」


 「ああ、それでか」


 リエルはからかい半分、その用事のための餌だったんだなとエマにいぶかりの視線を投げた。


 「え? あ、ううん、違う違う! ……いや、ちょっとはそれもあるかもしれないけど、でも違うよ!」


 エマの慌てように、リエルはやっと対抗できたと小さく笑って答える。


 「空いてるよ」


 「ほんと……?」


 「うん。けど何かあるの?」


 「ええっと、もしできたら水汲みを手伝ってもらえないかな、と思って……。お父さんがちょっと腰を痛めちゃってて」


 「平気なの?」


 「お~う! 平気平気! 心配してくれてありがとな~」


 リエルが心配の声を上げると、戸口から顔を覗かせたエマの父の声が届いた。


 「あはは…………、この通り。元気は元気なんだけど、負担はかけられないみたいでね」


 「うん。じゃあ今から行こうか?」


 エマの父の意味ありげでにこやかな笑みに耐え切れずに出した提案だった。


 「いいの!?」


 「うん、行こう」


 リエルはエマの父と母に礼をしてエマと一緒にひとまずリエルの家に寄った。

 水汲みに使う天秤棒を取りに行くためだ。

 

 互いにひとつずつ天秤棒を持って、リエルとエマは水汲みのために村を出た。


  


*****




 「なんだかごめんね。こんなことに付き合わせちゃって」


 「全然いいよ。うちも水が切れそうだったし。寧ろちょうどよかった」


 「ならよかった」


 「うん」


 二人が歩を進めるたび、落葉樹の朽葉がぱきぱきと音を立てた。この辺りは普段から村人が訪れるため、獣が現れることはめったにない。

 木々の芽吹きはまだ遠くとあって、草花が陽の恩恵を全身に受けている。短な繁栄の足跡を残そうと、淡い白と紫の花が絨毯をつくっていた。


 空気はまだひんやりしているが、陽が遮られることがないために暖かい。

 寒い季節の残り香のように澄んだ空気が、肺の中を清涼に満たした。


 しばらく歩くとせせらぎが聞こえてきて、それからすぐ、小川が目に入る。

 生活用水を汲みに行く道として石などの障害になり得そうなものは適宜排除されているため、特に苦もなく目的地にたどり着いた。


 源流に近いとあって、水は澄み切っている。

 エマは早速しゃがんで、桶の中ほどまで水をすくった。リエルもその隣に腰を下ろして、桶を川面に沈めた。


 「さすがにまだ冷たいね」


 エマが桶を上げながら言う。


 炊事や洗濯で荒れてしまったエマの手がリエルの目についた。


 「ん、どうかした?」


 「なんでもないよ」


 エマに問われてさっと視線を戻すと、リエルもまたひんやりとした川の流れに桶を潜らせ、並々と水を満たしては上げていった。

 円く縁どられた水はたぷりと揺れ、水面で光が躍る。天秤棒には両端に桶が吊るされているため、リエルはその作業を四度繰り返した。

 エマも二つの桶に半分ほどの水を入れた。


 「ぅんっしょ、……とと」

 

 立ち上がる際にバランスを崩し、エマがよろめく。


 「大丈夫?」


 「うん、平気平気。さ、行こ」


 二本の天秤棒をそれぞれの肩に乗せて、腰に力を入れて担ぎ上げると、リエルもエマの後に続いた。


 「エルって、細っこいのにけっこう力持ちだよね」


 エマが顔だけで振り返って、感心したように微笑む。

 道幅は広くないため、二人並んで歩くことはできない。前後で並んだ状態のまま進む。


 「そうかな?」


 「うん。少なくとも、私四人分は力持ちだよ。エルも男の子なんだね」


 「…………」


 もう男の子と呼ばれるような年ではないけど、と思いながらも、リエルはただただ面映おもはゆくて、目の前を行くエマの背を眺めた。

 普段より多めに汲んでしまったため、水が零れないように、腕がプルプル震えださないように気張った。


 「そういえば、今年も来るかなあ? あの吟遊詩人の人」


 毎年寒期を終えて暖かくなってくると、辺境にあたるリエルたちが暮らす村にも行商人や旅人に混じって大道芸人がやってくる。昨年のちょうどこの時期にやって来たのが、エマの言う吟遊詩人であった。


 「各地を渡り歩いてるって言ってたし、どうだろう。でも、来てくれるといいね」


 「うん、良い曲だったなあ」


 エマはその時の記憶を探っているのだろう、おもむろに口ずさみ始めた。

 お世辞にも上手とは言えないのがリエルには心苦しかったが、エマの楽しげな様子にこちらまで心が浮き立ってくるのを感じた。


 「ギルはどうしてるかな?」


 歌詞がわからなくなったのかエマが歌うのをやめ、ふと訊いてきた。


 ギルバートとは同い年の幼馴染で、前は三人でよく過ごしていた。王都までは村から三か月ほどもかかるとあって、なかなかこちらから会いにいくことはできない。

 最後にあったのは、ギルバートが帰省してきた二年前のことであった。


 「うーん、どうなんだろ。でも、すごく大きくなってるかも」


 「確かに。マイケルさんは大きいもんね」


 言われて、リエルもギルバートの父を思い浮かべた。


 「二年前は僕とあんまり変わらなかったけど、今は筋骨隆々の大男になってるかもね」


 「ええー、やっぱりあんま想像できないなあ」


 和やかに笑い合いながら、長い道中時間を気にすることなく村に着いた。


 「おぉう、二人ともありがとうな」


 エマの父に出迎えられて再びエマの家にお邪魔すると、リエルは汲んできた水をかめに入れた。


 「もう大丈夫だよ。あとはエルの家に持っていって」


 「うん、ありがとう」


 「なんでエルが感謝するの!? 感謝するのはこっち!」


 リエルとエマのやり取りを見て、エマの父が笑みを深くする。


 「それじゃあ僕はこれで」


 「あっ、うん。ありがとうね、エル」


 「うん」


 頷きとともに小さく返答して、リエルは自身の家へ帰った。


 


*****




 「ただいま」


 「おかえり。怪我はない?」


 「ないよ」


 「エマちゃんも大丈夫?」


 「うん、大丈夫。水汲みに行っただけだから」


 帰宅早々、母から無事かどうかの確認を念入りに行われたリエルは辟易するでもなくいつものように淡々と返した。

 これは昔からのことでリエルはとっくに慣れていたし、こうして自分を心配してくれている人がいるということを感じられるというのは幸せなことだとも思っていた。


 残った水を甕に入れて、日暮れ前。


 「帰ったぞー」


 ガラガラと家の戸があけられ、リエルの父が帰ってきた。その声に反応して、母が首を向ける。

 

 「おかえりなさい。って、それどうしたの!」

 

 母が動転したように声を上げた。家族に負傷した腕を見られまいとしてか、父の左腕は気持ち腰の後ろに隠されていたのだが、一目でそれと気づかれてしまったらしい。


 「ああ、大丈夫大丈夫。ちょっと引っ掻いただけだよ。すぐ直るさ」

 

 父は観念したかのように左腕を見せた。止血しきれていないようで、上腕の内側に長く入った傷口から血がたらたらと流れていた。傷の程度がたいしたことないというのは本当みたいで、そう深いものではない。

 それを確認した母は安堵の息をはいた。

 父は自らを恥じ入るようにはにかむと、「そんなことより」と右腕を高々と掲げ、今日の獲物を披露した。


 「メミュルーだ」


 「すごい! それじゃあしばらくはご馳走ね」


 母が満足げに手を叩いた。


 「珍しいね。どうやって獲ったの?」


 リエルも父の側へよって訊いた。


 メミュルーは長い首をもつ大型の鳥だ。からだの割に翼が小さく、ほとんど飛ぶことはできない。肉は美味で、余すことなく食すこともできるため、村人たちにとってはご馳走という位置づけになっている。

 森の奥まった草原に生息し、十頭程度の群れで行動する。それだけならいいのだが、メミュルーは他種の獣と奇妙な共同体を築いており、容易に近づこうとすると手痛い反撃をくらう。また、村から人間たちがやって来ることを承知しているのか、森の奥の方へ行かないと出くわせないはずだ。


 「たぶん、追い立てられてきたんだろうな」


 父は少し難しい顔をして答えた。


 「追い立てられた?」


 「ああ、ウィシシだよ。あれは相当な大物だった。少し対策した方がいいかもしれないな。これもそいつにやられたんだ」


 「そっか……」


 「まあ、なんにせよこいつを獲れたんだ。運が良かった」


 「何言ってるのよ。そんな怪我して帰ってきて」


 「いや、まあ……悪かったともいえるかな」


 父は母の機嫌を窺うように苦笑いを浮かべた。


 遅れて顔を覗かせたリエルの弟のマルスは、おっかなびっくり父の傷を見ていた。戦いの証であるそれに、どこか誇らしげでもある。


 「食事までまだ時間があるだろう? 今のうちにこいつを処理してしまおう」


 「まずその傷が先よ」


 母のぴしゃりとした言葉に、父は苦笑いとともに固まった。


 「いや、でも…………」


 「なら、僕がやるよ」


 リエルが進言した。


 「そうか……うん、そうだな。それじゃあ、頼む」


 「うん」


 リエルが処理をすることに(捌く)。

 家の中で処理するにはメミュルーは少し大きすぎるので、裏手にある簡易的な作業台で行う。すぐに暗くなり手元が見えなくなってしまうため、急ぐ必要がある。

 既に腑分けは終わっているようなので、皮剥ぎからだ。


 口当たりが悪くならないように丁寧に羽をむしり、それを終えると手慣れた様子で迷いなく包丁を入れ、腕、胴、脚と部位ごとに分ける。それからそれぞれの部位を適当な大きさに切り分け、今日のうちに使わない分のものは塩に漬け込んでおく。

 これで完了だ。


 リエルが処理を終えるとちょうど食卓の準備も整っているようで、そのまま今日の夕餉ゆうげがはじまった。

 

 父、母、リエル、マルスが揃ってテーブルへつくと、ただ一人、リエルの灰色の髪はよく目立った。

 父の狩りの巧みさや、母の優しい気性など、リエルと家族とは似たところも多くあったが、その顔立ちに両親の血はみられない。マルスと比較すると、リエルが実の子でないことは一目瞭然であった。


 「明日の狩りは僕が行くよ」


 「ああ、頼む。だが、気をつけろよ」


 「うん」


 「俺も狩りに行く!」


 「日ごとに強請ねだったって、許可は出ないぞ。お前はまだ早すぎる」


 最近のお馴染みとなったやりとりに、父は毅然きぜんと言った。


 「なんで! なんで俺だけ!」


 「なんでって……、お前はまだ十だろう」

 

 「でも! 兄ちゃんはそれぐらいのときに狩りをしてたって! ならいいじゃないか! なんで俺だけ……」


 「兄ちゃんがどうかは関係ないだろ? 焦る必要なんてどこにもないさ」


 リエルはこのやりとりに自分が入ると余計に話がこじれることを知っていたため、会話には参加せず、ただ柔らかく微笑んでいることにした。


 「そういえば、エマちゃんとはどうなんだ?」


 そうすると、今度は話の矛先がリエルへ向けられた。

 リエル最近の悩みと言えば、両親のこの小言ぐらいであった。二十一にもなって妻を持っていないことに対するうれいであるのだろうが、そればかりはリエルも少し鬱陶うっとうしく思っていた。

 

 リエルは拾われた当初から長い間、煙たがられてきていた。閉鎖的な社会においては、物珍しい外見のリエルは異質な存在に映ったからだろう。

 父が優秀な狩人であったため、しぶしぶ受け入れられているといった状態で、家族やエマたちを除いては、常に遠巻きにされていた。そういったよそよそしさを幼いながらも肌で敏感に感じ取っていたリエルは、皆に村の一員として認められるため、進んで仕事をするようになった。やがて、父も息子を取り巻く現状を打開しようとそれを手伝い、リエルの筋がいいこともあって、早くに狩りのやり方を仕込まれたという経緯があった。


 マルスもこうなる前は、若くして重要な食糧の担い手と認識されている兄のことを人一倍慕っていたのだが、最近になって対抗心や嫉妬心が渦巻いてきてしまったらしい。以前までの懐き具合はなんだったのかというほどに素っ気ない態度をとられていた。


 微妙な沈黙が流れたのち、ぽつぽつと会話が生まれる。マルスはまだ少し不貞腐ふてくされているようで、ふがふが言いながら椀の中のものを勢いよく口に放り込んでいく。

 リエルはなにか面白い話がなかったかと記憶を探りながら、温かな時を過ごした。

 

 誕生日も年齢も、正確なものではないのかもしれない。それでも、そんなこととは関係なく、彼にとってはまさしく、ここが最も大切で愛おしい場所であった。



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