恋人らしいことをしてみませんか

 せっかくのサザンカちゃんとのディナーなのに、気分が悪くなってしまった。まったく彰介君ときたら……、


「……はぁ」


 ため息一つ、スマホを閉じた私は、改めてサザンカちゃんと向き合う。


「ごめんねー。えーっと、どこまで話したんだっけ?」


 私が問う。

 それに答えるサザンカちゃんは少しむすりとしているような気がした。


「恋人としての設定、までです」


 ぐはぁ。

 ダメージ大きすぎて吐血しそう。

 自分で言い出したことだけど、これからサザンカちゃんが何しても前提条件に演技と加わることになる。

 となると、ここでのディナーもこれよりそうなってしまうわけで前進どころか後退したのではないかという気分に陥ってしまう。それは心が曇ってしまう案件だ。

 すると、


「……楽しくないんですか?」


 問い掛けてきたサザンカちゃんは不安そうな表情をしていた。


「え? 別にサザンカちゃんとこうしていて楽しくないわけじゃ……」


 意中の人との時間が楽しくないはずがない。

 そのはずなのに、


「だって、暗い顔するんですもん」


 サザンカちゃんが、今度は、むすりと不満を露にした。

 まずった。先ほど、私が暗い表情を見せてしまったのか、どうやら勘違いされているみたい。


「そんなことないわ。楽しんでるわよ」


 私は即座に返答する。


「そう、ですか……」


 呟いて顔を伏せたサザンカちゃん。

 信じてくれていない様子に、思わず、不平を言いそうになる。

 けれど、それは飲み込んで。

 努めて明るく、


「うん、サザンカちゃんとのディナーよ、楽しくないはずがないじゃない」


 そうはっきりと伝える。

 それは本心からの言葉だった。サザンカちゃんが理解してくれるまで、私は何度でも伝えよう。大好きな彼女とすれ違いを起こしたくない。

 サザンカちゃんは、はっとしたように顔を上げて、


「ご、ごめんなさい。そういうつもりではなかったんです……。ただ、私、不安で……」


 またしても俯いてしまった。

 私は、なるほどね、と共感した。


「うんうん。わかるよ。先輩を相手にすると気を使うよね」


 彼女は、私が年上であるせいか、私に対して気を使い過ぎてしまう傾向があるように思う。加えて、もとより感受性が豊かなのもそれに拍車をかけているのだろう。


「……うーん。……そうなのかもしれません……」


「別に、そんなに気を使わなくていいんだよ。私とサザンカちゃんの仲でしょ。もっとリラックス、肩の力抜いていこう。なんなら家族に接するように」


「はあ、……善処します」


 しまった。『家族』は地雷だったかもしれない。言った時、見るからに表情に影ができたし。

 深く追求するのを避け、それに気づかなかった振りをする。


「うん。そうしてくれるとありがたいかな」


 ――なんならため口でいいし、名前を呼んでくれても……。

 願望が湧き上がってくる。

 すると、サザンカちゃんが、「しつこいようですが……」と切り出し、


「じゃあ、さっきのLINEで何か……?」


 おずおずと問い掛けてくる。

 サザンカちゃんは、きっと浮かない私のことを心配してくれているのだろう。

 だから正直に答えることに。


「そっちもなんでもないわ」


 思ったよりも冷めた声が出た。これこそ、彰介君のことをなんとも思っていないという証左である。

 サザンカちゃんは知る由もないけど……。

 それゆえか、


「……本当ですか?」


 まじまじと私の顔を見詰めながら再度問うサザンカちゃん。


「本当です」


 マジなので真顔で答える。


『俺と付き合え』


 思い返すだけでムカッとくる。

 命令形の男となんて付き合えるもんですか。

 そもそも私、同性愛者ですし。

 そんなことを考えていると。

 急に、サザンカちゃんがジュースを呷り始めた。


「ど、どうしたの?」


 思わず私が声を掛けると、「ケホッ、ケホッ」と噎せた。


「ちょっと!?」


 私は、ばっと立ち上がり、すぐに彼女の後ろに回り、


「……だ、大丈夫?」


 背中を擦ってあげる。

 そうすれば、必然か、ブラホックの感触がした。

 エッ……考えることを打ち切る。

 今は昂っている場合じゃない。

 しかし、セクハラしているような心持ちになってしまう。


「喉、乾いてたの?」


 誤魔化すように問いを投げる。

 すると、サザンカちゃんが、キッとした表情を向け、私の手を振り払った。

 すぐに、しまったという表情で「……あっ、」と呟く。


「え?」


 サザンカちゃんのその行いに、衝撃を受けた私はぽかーんとする。

 するとサザンカちゃんは、ちょっと申し訳なさそうな表情になり、


「……心配は無用です」


 とだけ震えた声で答えて、すぐに表情を取り繕い、グラスをそっと置いた。

 すっくと立ち上がり、私を見据えて、


「お手洗い行ってきます」


 落ち着いたトーンで言う彼女は、真顔だったけれど、内に激情を秘めていそうで、噴火寸前の火山のようだった。


「え、ええ」


 トイレに行くだけなのに、有無を言わせぬ迫力があったので、内心ビクビクしながら、一歩引いて道を開けた。

 そして、まるでご機嫌を伺うようにおそるおそる言った。


「い、いってらしゃい」


 ……。

 サザンカちゃんが去っていった方を見詰めて呆然と立ち尽くす私。

 もしかして、怒らせちゃった?

 そこで、はたと迷惑そうに私を見る周囲の目を認識した。


「ご、ごめんなさい」


 ヘコヘコ謝る。

 立っていると目立つ。

 落ち着くためにも座ろう。

 座って、深呼吸だ。

 彼女に何か不満があったのなら、ちゃんと話し合って解決しよう。




 今日、私はモデルの本庄さんと二人で、アイドルで友達の伊織いおりちゃんが薦めてくれていたヴィーガンビュッフェにディナーに来ていた。

 それが何故か、今、私は、トイレにいる。

 鏡を見ると、にこにこしていなかった。とてもブサイクに感じる。

 これはよくないと、「私は山茶花……女優なのよ……」笑顔を浮かべる。

 とびっきりの私――山茶花を見て、だんだんと落ち着いてきた。

 深呼吸をすると、暴走をしてしまったのが自覚できてくる。

 ――やってしまった……。

 後悔と羞恥で満たされる。

 気持ちを整理するため、個室に入って便座に座り、さっきまでのことを思い返す。

 美味しいビュッフェを食べ終わって本庄さんが、


「話がある」


 と真剣なトーンで切り出したから、「どうしたんですか?」と聞き返した。

 すると、


「とても大事な話なの」


 溜められてからかわれているのだろうかと思った私は、「今日は早く寝たいんですけど」って返して、帰り支度をしようとした(なお、演技)。

 そしたら、


「私のヒロインを演じてくれませんか」


 本庄さんは、いつものからかいのときとは違った雰囲気を帯びていた。

 真摯な表情でそう言われて、私は一生懸命彼女の発言の意図を考えた。

 まず、この発言には脈絡が無さすぎる。

 これが小説とかならば意図は確実に用意されているはずだ。

 だけど、これは現実でそんなものはない。

 彼女の仕草をつぶさに見ていたけれど、何か重大な秘密を抱えているということと、私がとても気に入られているということしか……。

 つまり全くわからなかった。

 洞察力に自信があったつもりだけれど、その自信も砕けそうだ。

 はぁ……と溜め息をつく。

 すると、ふっと思い浮かんだ。

 ならば、彼女は私を試しているのか。

 と。

 もちろん、女優としての松本山茶花をだ。

 それはおそらく正解だった。


「女優のあなたなら出来るでしょ?」


 と問われたあの時、私は弾けるように答えた。

 今、改めて考えてみると、あれは私を試しているわけではなくて、本庄さんが松本山茶花というスターの原石を面倒見のいい先輩として磨いてくれるということではないかという考えに至った。

 本庄さんはこうも言っていた。


「これから恋人としての設定でよろしくね」


 それなのに、私がそれに答えた途端のあのにやりとした笑み。

 そして急に思索に耽って、ウーロン茶を飲み干した。

 意味がわからないままに、ウーロン茶を注ぎにいったら、今度はスマホの画面を見ているではないか。LINEと言っていたけれど、いったい誰とLINEをしていたのだろう。直勘だけど、家族ではなかったと思う。

 とどめが私が思わず「楽しくないんですか?」と聞いてしまった時の、あの表情だ。

 その後の問答も何かをはぐらかされているような気がして。

 ふつふつと何かが沸いてきて、本庄さんがウーロン茶を飲み干した時の意趣返しのようにジュースを呷り、私は席を立った。

 整理してみると、段々と冷静になってきた気がする。

 ――え?

 私、直前まで冷静じゃなかった?

 ……。

 さっきはちょっとおかしくなっていたと改めて認識する。

 カッとなって感情的に振る舞ってしまうなんて……、感情のコントロールがうまくいっていない証拠だ。

 そんなのは山茶花じゃない。

 絶対に莉子さんには見せられないはずの愚かな私だった。

 山茶花モードで、覆い隠していたはずの内面が露見してしまった……とまたもや後悔と羞恥に襲われる。

 折角のディナーなのに……、なんでこうなったの?

 顎に指をあて、自分の気持ちを推察する。

 取り繕えていない自分が出てしまうのはきっと年上のお姉さんにどこか甘えているからだと思う。本庄さんは、どこまでも私を受け入れてくれるような気がした。

 でも本庄さんが私のことをぞんざいに扱っているのではないか、という疑念を持つと、何故か胸が苦しくなって、やがて怒りまでもが沸いてくる。

 それはどうしてなのだろう……。

 そこでふと思い返す。

 というか、つい、お姉さん的な存在の人と勢いで恋人的な関係を結んでしまった。

 別に、嫌ってほど拒絶しているわけではない。

 私からすると、本庄さんはお姉さん的な存在ってだけではなく、憧れの人だってのもあるにはあるけれど、面白い試みだと思ったし、相手が本庄さんならとやる気はあった。

 ――え?

 相手が本庄さんなら、ってなんだ。

 私は予てより本庄さんに憧れていたけれど、その憧れとはまた違ったものだった。

 またしても、自分の中にある謎めいた気持ちを見つけてしまう。

 この気持ちの正体は――。

 ……ぐぬぅ、考えてみたら、モヤモヤが募って気分が悪くなってしまった。胸も痛い。

 納得いかないけれど、ひとまず保留することにした。

 それは擬似的な恋人関係もだ。漠然とだけど、この関係を続ければ、何かが開花しそうな気がした。

 しかしまあ、設定とはいえ憧れの本庄さんと恋人なんて、


「……うまくやっていけるかな」


 ……不安だった。

 でも、『出来ますとも』と胸を張ってしまったのは自分だ。

 だから成し遂げなければいけない。

 というより、自分の意思でやりたいこととすら思えてきた。


「……頑張る」


 気合いを入れる。

 でもそれだけじゃあ駄目だ、行動を伴わせなければならない。

 こちらから何か提案でもしてみるか。

 と、その時、扉が開けられてしまった。


「あら」


 私と目があったマダムが驚いた顔をする。


「――っ!」


 対する私は、ぎょっとして悲鳴を上げそうになる。

 無様な表情をしている自覚があった。

 個室だからと気を抜き過ぎていた。

 まさか鍵を掛け忘れていたなんて。

 おかげで醜態を晒してしまった。

 慌てて山茶花モードに切り替える。


「驚かせてしまったようで、ごめんなさいねえ」


 すぐさま謝ってくれるも、本来の使用で入っていなかったのもあり、申し訳なく思う。


「いえ、閉めてなかったので……」


 マダムが不思議そうな顔で問い掛けてきた。


「考え事でもしてたの?」


「はい」


 表情に出てしまったのだろう、素直に頷く。

 そこでマダムがふと私を改めて見てきた。


「あれ。あなたもしかして、サザンカちゃん?」


「ええ、まあ」


 キリッとする。

 そうです。私がサザンカちゃんです。

 かわいいでしょう?

 そんな心の問い掛けが聞こえるはずもないけれど、いい反応が返ってくる。


「ほー。実物はテレビで見るよりもさらに美人さんね。応援してるわよ」


 感心したように私を見詰めるマダム。

 称賛は素直に受け取ろう。

 正直、めちゃくちゃ嬉しいし。生の声なんて滅多に聞けないものだから。


「ありがとうございます」


 言って、自主練と演技で培った技術を総動員して今出来る最高の微笑を浮かべる。

 ファンサービスは大切だ。

 私の事を応援してくれる人はプライスレスな存在なのである。


「それじゃあ、失礼したわね」


「はい」


 そっと扉を閉めてくれた。

 しかしビックリした。

 美人って言われるのは、お世辞でも嬉しいものだなぁ……。

 えへへへ。

 なんだかさっきまでのことなんてどうでもよくなってきた。

 本庄さんに謝ろう。

 後で催したら不審がられるかなと、考えすぎと思いつつも、本当にトイレに入っておき、戻ることにした。




「ただいま帰りました」


 サザンカちゃんが帰ってきた。椅子を引き、座る彼女。

 遅かったからちょっと心配してしまったけれど、体調不良というわけではなさそうでホッとした。

 どことなくスッキリした表情をしているから。

 ……ふむ。


「勝手に納得しないでくれませんか」


 むすっと言われて、


「……えぇ」


 思わず声を漏らす。

 すかさず嘆息され、言い咎められる。


「なんだか心外です。ファンの方とかち合ってしまったんですよ」


「あー、なるほどね」


 大じゃなかったか。


「失礼なことを考えていませんでしたか?」


「なんのことだろう」


 とぼけてみると、


「……わかっているくせに」


 じとーっとした目で見られた。

 私は、あはは、と苦笑して、


「ともかくまあ、お帰りなさい」


 すると、サザンカちゃんが不意に姿勢を正した。


「さっきは急に取り乱してしまい申し訳ありませんでした」


 真摯な声で謝られ、頭を下げられる。


「こちらこそ、なんかごめんね。嫌なことしちゃったみたいで……」


 私も謝罪をすると、サザンカちゃんが目を見開いて、


「いえいえ! 本庄さんが謝ることではないんです……」


 最初は勢いあったのにだんだん萎んでいく。

 私が目で『どういうこと?』と、それとなく続きを促すと、


「……正直に言います。どうか怒らないで聞いてください……」


 おずおずとやや横向きに俯きがちに、彼女は訥訥と言った。


「そのぅ……。私、勝手ですが……、あなたに、ぞんざいに扱われているような気がして……」


「ええ、なんでよ!?」


 声を上げてしまった。慌てて口を塞ぐ。

 追い出されるのも時間の問題かもしれない……。どころか、出禁くらうかも。あとでお店の人にめっちゃ謝ろう。

 サザンカちゃんもビクッとし、「ごめんなさい、ごめんなさい」声が震えている。怯えているようだった。


「大丈夫、とりあえず全部話して。ちゃんと聞くから」


「は、はい」


 サザンカちゃんが頷く。

 彼女は深呼吸を一回してから、再度話し始めた。


「本庄さんが恋人としての設定を提案しました。実は、あれおちょくられてたのかなって。さっきトイレで思ってしまったんです……。いつものからかいの延長線上のものではないかと……」


 だんだんと表情を曇らせていく、サザンカちゃん。

 私は、彼女を安心させるために、ゆっくりかつ真摯に伝えた。


「からかったつもりはないわよ。これっぽっちもね」


「……そうなんですか?」


「私が信じられない?」


 ちょっと怒気がこもってしまったかもしれない。サザンカちゃん相手に?

 これはまずいと反省し、ウーロン茶を飲む。

 サザンカちゃんもはっとして、


「いいえ、そんなことはないです。繰り返しすみません……お姉さんのことは信じていますよ」


 そう言って、微笑む。

 よかった。なんとか飲み込んでくれたらしい。

 と思ったら、


「ただ、何か隠していませんか?」


 確信を突いてきた。


「隠すって何を?」


 私はとぼける。同性愛者だということがバレるのは怖い。特にサザンカちゃん相手には。

 サザンカちゃんは、一瞬俯き、呟いた。


「……そうですか」


 顔を上げ、サザンカちゃんは微笑んだ。


「いつかでいいので教えてください」


「……うん」


 この調子じゃあ、見抜かれるのも時間の問題だろう。それならば、バレるよりも早く自分から言いたい。

 サザンカちゃんが言いたいことはまだあるようだ。続けて、


「けど他にもあります。スマホの画面を見てましたのでつまらないのかなと……」


「だからLINEが来たんだって……」


 さすがにくどいぞ。

 ……もしや、サザンカちゃんって、思い込み激しいタイプ?

 今のサザンカちゃんはそんな目をしている。


「LINE……」


 執着心のようなものが窺えてちょっと怖い……。

 考えてみる。

 さっきからサザンカちゃんの様子がおかしいのって、もしや私がLINEの方に気が取られていたからか?

 なんだよぅ、彰介君のせいでサザンカちゃんとの仲が拗れたじゃんか……。

 かといって、彰介君とのLINEの内容を説明するのも憚られた。

 それに加えて、相手が彰介君と言ったら、余計に変な想像を掻き立ててしまうだろう。

 ブロックしてしまうまで、友人くらいの付き合いはしていたという事実もある。

 ――あれ?

 というか、


「サザンカちゃん、嫉妬したの?」


 ジェラシー? って視線で問い詰める。


「ち、違いますよ……」


 サザンカちゃんの態度には動揺が混じっていた。

 なんだか怪しいので、ここぞとばかりに攻勢に出る。


「えー、違うのー」


 からかってみるも、下手くそだった。とんだ大根役者もいたものだ。こりゃあ、メインヒロインやったら叩かれるわ。

 でも、サザンカちゃんは、そんな下手くそな演技でも真に受けてしまった。


「ち、違わないです……」


 私ははっとしてサザンカちゃんを見る。

 え? 嫉妬を認めた?

 俯いたサザンカちゃんの顔は真っ赤に染まっていた。


「え、サザンカちゃん?」


 私が声を掛ける。

 すると、彼女が突然、立ち上がり、堰を切ったように本音をぶちまけた。


「そうですよ! 私は、あなたが、誰かとLINEをしていることに嫉妬したんですよ! 悪いですか!」


 サザンカちゃんは興奮しすぎて、息が荒くなっている。

 悪くはない。むしろ、嬉しい。だけど、――恥ずかしい。


「サザンカちゃん、落ち着いて――」


 それから私はどうにかサザンカちゃんを宥めた。座らせる。


「ご、ごめんなさい……」


 謝るサザンカちゃんの顔は真っ赤だ。耳まで赤い。冷静になって恥ずかしくなってしまったみたいでかわいく思う。

 だから、頬の緩みを抑えられない。


「ううん」


 そう答えて、ふと思う。

 サザンカちゃんが、ここまで感情を剥き出しにしたのははじめてのことだ。

 実は感情を表に出すタイプなのは、付き合って、だんだんと分かってきたけど、にしたって、どうにもさっきから様子がおかしい。

 何か原因があるのかもしれない。

 はたと思い当たる。

 ああ、そうか――。

 考えてみるまでもなかった。

 恋人設定が負担になっているのではないかと思った私は、提案する。


「恋人の設定やめる?」


 これのせいだと思った。もしかするともう既にサザンカちゃんは私の恋人役になりきってしまったのだろうと。

 サザンカちゃんは首を振った。


「どうか、続けさせてください……、お願いします」


 懇願までされてしまい、驚いた。それは女優としての意地か、それとも――、まさかね。


「サザンカちゃんがそう言うなら、いいけど……、あまり気負わないでね」


「ええ。それと、さっきのは役で言ったのではありません。……私の本心です」


「……そうなんだ」


 つまりどういうことだ?

 私が疑問に思うと、それを感じたのか、サザンカちゃんが言った。


「お姉さん的存在が取られてしまうのではないかと嫉妬してしまった。今はそういうことにしておいてください」


「……わかったわ」


 言い方が引っ掛かったけれど、一応の納得を返した。

 互いにホッと息をつく。笑みを交わし合うと、張り詰めていた空気が緩んだ。

 落着したら、改めて思った。

 敬語って相手との距離を遠く感じる。


「恋人だっていうのなら敬語はなくても……」


 そんなこと言われても困るだろうなぁ……と思いつつも、おそるおそる提案する。そもそも、サザンカちゃんともっと親密な関係――恋人同士――になりたいからこそ、こんな回りくどい手段で恋人っぽい関係を築いたのだ。いわば、今は正式なお付き合いをするための過程の段階にある。だからこそ、演技であろう今のうちに、一気に距離を縮めてしまいたかった。私たちの関係が演技じゃなくなったときを期待して。

 しかし、


「確かにそうかもですね。でもこれは山茶花の気質なので。変える必要ありますか……?」


 サザンカちゃんはどうも敬語に拘りがあるようで、一筋縄ではいかない。


「まあ、健全な感じがして悪くはないかな」


 そうは言ってみるものの、本心から出た言葉ではないのでぺらぺらだ。

 理解はした。しかし納得まではいっていなかった。

 それを察したのか、


「もちろん、それが要望なら添えるように頑張りたいとは思いますが……」


 サザンカちゃんが助け船を出してくれた。

 それに対して、


「別にサザンカちゃんの好きでいいよ」


 私がそう言ってあげると、サザンカちゃんはホッとしたように、


「はい、そうさせてもらいます」


 そう答えて、この件はこれで終わり。

 ――けど本当にそれでいいの?

 ここで終わらしたら、サザンカちゃんはこれからも敬語で接してくるだろう。彼女は仲良くなったからといって、敬語からため口に移行するようなタイプではなさそうな感じがする。

 よく言えば、プライベートであろうと、自分のブランド力(キャラクター)を大切にしている。

 悪く言えば、意識高い系で過剰な振る舞いをしている。現に勘のいい人には、猫被りだの、ぶりっ子だの揶揄されてしまっている。

 だから、どうしても納得いかなくて。

 もやもやした私は、思わず、言ってしまう。


「ただ、私としてはサザンカちゃんがもうちょっと砕けてくれると嬉しいかなって、恋人設定とかに関係なくね」


「そうですか……。本庄さんがそれをお望みなら、やってみます」


「そうじゃなくて、サザンカちゃんだって敬語喋ってて窮屈に思わない? お友だちとかとはいつもため口なんでしょ?」


 そう訊くと、返答まで間があった。


「…………そう、ですね……。なるほど確かに。なら――」


 サザンカちゃんは、すぅと息を吸って、


「莉子お姉さん……」


 サザンカちゃんの顔がたちまち赤く染まっていく。


「――」


 途轍もない衝撃が走り、私はフリーズした。


「……これでどう?」


 問われて、はっとする。

 というか、上目使いで言うのはやめてほしい。死んでしまう。

 なんとか平常心を装って、


「……いやいや、名前呼んでほしい訳じゃなくて……」


「違うの……?」


 不安そうな瞳で言われる。

 ドラマとかでの演技でも思うけど、サザンカちゃんの砕けた言葉遣いの破壊力は半端ない。

 元から妹的な魅力もある彼女に合わさると、愛らしさが何倍にもなる。

 私はふむ、と呟いて、


「悪くはないわね」


 そう神妙に言った。

 悪くはない。むしろ素晴らしい。萌える。

 ――けど、そうじゃない。今求められているのは率直な感想だ。美少女萌えとかそういう目線じゃない。

 ぶんぶんと邪念をかきけした。


「……じゃなくて、そうやって徐々に敬語を無くしてくれたら嬉しいってこと」


「うん、頑張るね」


 結構いい感じだ。

 けど、無理をしているようにも感じた。

 だから、


「少しずつでいいよ。サザンカちゃんのペースでいいし、無理なら無理でも……」


「逃げや妥協はしたくないです。だけど、これかなり恥ずかしいですね……」


 やっぱり恥ずかしかったのか。


「恋人の設定でやっていこうって言ったって、今まで敬語で接していた相手に、いきなりため口にするのは難しいよね。私たちは年の差もあるし、なおのこと」


「はい、本庄さん相手だと特に難しいかなって……」


「ほう。何でだろうね?」


「どうしてでしょう……。ただ……、本庄さんは、私自身も、ちょっと遠すぎるかなと思うので……、これからは莉子お姉さんって呼ばせていただいても?」


 しれっとお姉さん呼びを確定させようとするので、一応訊いてみる。


「お姉さんに拘りがあるのね」


「……はい」


 サザンカちゃんは気恥ずかしそうに頷いた。


「つまり妹ポジションになりたいの?」


「それもあるんですけど、それだけじゃなくて……」


 もごもご状態になってしまった。

 気になるけど、私が続きを促すよりも前に。

 サザンカちゃんが取り直して、言った。


「駄目、ですか?」


 そんな風に訊かれたら、受け入れるに決まってるじゃん。


「もちろんいいよ。というかさ、砕けた言葉遣いも、役だと思ってやればいいんじゃ」


「それじゃあ、不誠実じゃないですか……」


「そうなのか」


 なんとなく納得した私は、サザンカちゃんにお礼を言う。


「なんかありがとうね」


「え?」


「だってサザンカちゃん、私に対して、誠実に接しようとしてくれてるんでしょ?」


「……誠実なのでしょうか?」


 どうやら負い目があるらしい。


「そうやって考えてくれるだけで充分誠実だよ」


 何やら重たい空気になりそうなので、


「それに結構甘えてきたりもしてくれるじゃん」


「甘えるとか……、そういうこと言うのやめてくれます? 恥ずかしくなってしまいます……。それに、それとこれとは違うじゃないですか」


「そうだね。お姉さん、サザンカちゃんが甘えん坊だとか思ってないから」


「絶対そう思ってるじゃないですか」


 サザンカちゃんの頬がぷくーと膨れた。

 なんだかおかしくて軽々に笑う。


「あはは、バレたか」


「もう、からかわないでくださいよー」


 ひとしきり笑って、ふと思った。

 サザンカちゃんって、舞台女優である姉の椿つばきさんとはどんな関係なんだろうか……。

 そんなことを考えて、ぼんやりと彼女を見詰めていると。

 その彼女が、「そうだ」何かを思い付いたような口振りで、


「いきなりですが恋人らしいことをしてみませんか」


 ……!

 ほんといきなりだなあ……。

 サザンカちゃんの提案は魅力的すぎてドッキリではないかと疑ってしまうレベルだった。カメラどこだ?


「あれ、変ですか? そもそもお姉さんが提案したことでは?」


 いけない。サザンカちゃんが引こうとしてしまった。駄目だ、引き寄せなくては。


「別に変じゃないよ。でも、恋人らしいこと?」


 ってなんだろう?

 頭に浮かぶクエスチョンマーク。

 サザンカちゃんは、これからすることの案をしっかりと練ったのか、


「ええ。というわけで」


 こくりと頷いた彼女は、さっと私の注意を引き付けて、提案してきた。


「場所を変えましょう」


「えぇ」


 二次会だとぅ。


「サザンカちゃん、時間大丈夫なの?」


「大丈夫です」


 というわけで、店を出ることに。

 退店時に、スタッフに、騒いでご迷惑をお掛けしたことをめっちゃ謝罪した。しかし逆に困惑させてしまって迷惑が積み重なってしまう。……どうするべきなんだ! 混乱してきた。

 すると、サザンカちゃんがすっと入ってきた。


「松本山茶花です。連れがすみません」


 言って、ぺこりと謝った。

 なんだかしゃっきりしてて、さっきまでのあれこれとのギャップで吹き出し掛けた。いけないいけない。

 一方、スタッフは弱ったなぁといった様子で頭を触っている。

 と思ったら、すっと背筋を伸ばし、営業スマイルを浮かべ、


「是非、またきてください。ご来店、心よりお待ちしております」


 と言った。というか、サザンカちゃんが言わせてしまったようだ。

 これが芸能人パワーか。

 そりゃあ、また来てほしいだろう。

 ただ、迷惑かけるにも限度があるので、それは心得よう。


「はい、本日はどうもありがとうございました。とても美味しかったです」


 サザンカちゃんがお礼を言うと、スタッフももう骨抜きだ。もちろん私もだ。


「ほら、行きますよ」


 サザンカちゃんに袖を掴まれ、引きつられる。

 軟体動物ではいられないので、しゃきっとする。

 歩幅にも差があるので、こうやって先導してくれると、楽だ。

 ちょっと強引だけど、やる気になってくれて嬉しい。

 しかし、横並びになると、身長さが際立つ。

 私はモデルなのもあり、そこそこ長身だ。

 一方、サザンカちゃんは、ぶっちゃけ、ちんまいのだ。リュックサックを背負っているけれど、かなり絵になる。しかも服装も拘りの逸品だ。さすが芸能人。もし、私が芸術家とかだったら、この子からインスピレーションを受けまくるだろう。それほどまでに、放つオーラが違うのだ。

 そんな私たちは、他所から見れば、姉妹とかに見られるだろうか。いや、実際はプライベートで親交があることはばれてしまっているので、普通に私とサザンカちゃんに見えるか?(私たち――主に私の――知名度次第な気もする。そもそも今は暗いから顔なんて識別できないだろうけど)。別に、疚しいこともない清い関係なので、変装なんてしていないし。――んん?

 私に下心があるって、一点がグレーな気がしてきた。

 ううむ……、悩ましい。

 すると、ふいにサザンカちゃんが珍しくも声を荒げた。


「何、ボサッとしているんですか! 危ないですよ!」


 気づけば横断歩道の真ん中だ。

 サザンカちゃんに叱られてしまったので、


「ごめんなさい……」


 しゅんとなって、そんな葛藤は置きざりにする。仕事帰りのリーマンたちが、きょろりとこちらを見て、苦笑い。衆目を集めてしまい恥ずかしい……。大の大人が未成年に叱られている構図を見て、どう思ったのだろう。そもそもがこうやって引っ張られている時点で、端から見たらどう見えるかって話だ。駄目な姉としっかり者の妹か。はたまた――。

 それからは黙って着いていく、私を先導するサザンカちゃんは、目的地が脳内にインプットされているのか、迷いのない足取りで進んでいった。

 そんなサザンカちゃんに着いていき、一時は頼もしいと思ったけれど、だんだん焦っているような早足になってきて、まさか迷っているのではないか、と不安が出てきた。


「えっと、サザンカちゃん、大丈夫……?」


 躊躇いながら、その背中に尋ねる。

 サザンカちゃんが、はっと振り向いた。と、同時に二人して立ち止まる。

 サザンカちゃんの表情は引きつっていた。

 まずいという感情が、めちゃくちゃ顔に出てる。


「……あわわ」


「あわわ?」


 可愛い鳴き声をあげたので、思わず聞き返す。

 すると、サザンカちゃんのお顔が瞬間的に朱に染まる。まるで、お花が開花したみたいだ。


「ちょっと! 繰り返すの止めてください……意地悪です」


 俯いてしまったサザンカちゃんは、全く意図せず、脳内の言葉を口に出してしまったようだった。


「ご、ごめんねぇ……」


「い、いえ。こちらこそ……」


 落ち着いたので、ひとまず安全なところへ避ける。

 そうして、


「で、道は分かってるのよね?」


 私が訊くと、サザンカちゃんは、はっと息を飲んだ。


「す、すみません。地図アプリ見ます」


 焦った様子でポシェットからスマホを取り出す。

 落とさないか心配になって、じっと見てしまう私。


「わわわわわ」


 サザンカちゃんはやっぱりスマホを落としそうになった。微笑ましい。もちろん、本当に落としたら可哀想なのでサポートできる体勢に入っている。

 笑ってしまわないように真顔をキープするのが大変だった。

 にしても、山茶花柄のケースが相変わらず目を引く。

 失態続きでほんのり顔を赤らめたサザンカちゃんは心なしか身体を縮めて、じぃーっと画面を見て、「ふぁい!」と肩を跳ね上げて驚愕してから、虚ろな目で「あぁ、やってしまった……」と漏らしてがっくりと肩を落として足元を見て、呆然とし、


「さっきの店から徒歩1分……おかしいなぁ、数度は行ったことあるのに……」


 なんて呟いていた。

 思えば、既に10分くらいは歩いている。

 サザンカちゃんが顔を上げて私を見た。


「莉子お姉さん、ごめんなさい……」


 しょぼんとした表情をしている彼女の頭にポンと手を置いて、慰めるように言った。


「……ドンマイ」


 失敗は誰にでもあるさ。


「私、どうにも迷いやすくて……。道案内お願いできますか……?」


「もちろん」


 サザンカちゃんに、そんな風にお願いされて断る私はどこの世界を探してもいなかった。


「中、見ちゃ駄目ですよ」


 と言って、サザンカちゃんのスマホを渡される。自分だと地図アプリを見てすら、道を間違えて、たどり着くまでに時間が掛かってしまう恐れがあるので、託してきたのだろう。

 個人情報の塊が私の手に、地図アプリを起動しているから、ロックは掛かっていないはず。

 だからといって勝手に何かをみるつもりはないけれど。

 ふいにサザンカちゃんをからかってみたくなった。


「えー、何々、恥ずかしい自撮りとかあるのー?」


 もしあったとしたら、もちろん気になる。勝手に見るつもりはもちろんないけど。


「やっぱり返してください」


 取り返そうとしてくるので、背伸びして手を高く伸ばす。


「返して……」


 サザンカちゃんは背伸びしても、ぴょんぴょんしても届かない。モデルの高身長を舐めるなよ。


「今履いてるパンツの色、教えてくれたら返すよ」


 もちろん冗談だけど、気にならないわけでもない。

 サザンカちゃんがバッとスカートを抑え、警戒心を露にした。


「もう! そんなこと教えるわけないじゃないですか!」


 そうやって、サザンカちゃんと戯れていると。

 チラッと通行人のお姉さんに見られて、くすっと笑われた。

 途端に恥ずかしくなったのでやめることに。


「ごめん、からかいすぎた。素直に案内するね」


「最初からそうしてくださいよ。もう」


「拗ねたサザンカちゃんも可愛いよ」


 ストレートに告げてみた。


「だから、からかわないでくださいよお……」


 効いてる効いてる。

 ここぞとばかりに、追い討ちをかけることに。


「恥ずかしい自撮りあるんだね」


「むしろ、恥ずかしくない自撮りなんてあるんですか?」


 返ってきたのは認めたも同然な開き直りとも取れる発言だ。


「慣れてる私に聞かれてもなぁ……」


 苦笑して、ふと思った。


「というか、テレビに出ているわりに自撮りとか恥ずかしかったりするんだ? SNSにそれっぽいのあげてなかったっけ?」


「あげてないですよ。自撮りはどうにも抵抗があって……。それに演技と素は違うので……」


「なるほど、勉強になりました」


 しかし自撮りか。――ん?

 その時、脳裏にサザンカちゃんのセクシーショットが浮かんだ。とはいっても、水着でウインクというものだけど。

 鎌をかけがてら訊いてみる。


「え、まさかエッチなやつとかじゃないよね」


「もちろん違いますよ! そういう趣味はないですから!」


 全力で否定されると逆に怪しいけど、あんまり虐めるのもかわいそうだ。

 そろそろこの話題は切り上げることにする。


「じゃあ、行こっか」


「はい」


 サザンカちゃんのスマホに写る地図アプリの案内の通りに進む。

 サザンカちゃんは、置いていかれないようにか、また服の袖を掴んでくる。

 この距離感、恋人設定とか関係なくやっているんだろうなと思うと、なんだか嬉しくなってくる。

 道中――さっきの信号前にて、サザンカちゃんが、急に背伸びして寄ってきて、耳元で囁いてきた。


「ところで、私のパンツの色知りたいんですか?」


 ドキッとして、


「教えてくれるの?」


 ぐいっと顔を近付け、食いぎみに迫ってしまう。


「ちょっと、そんな本気にならないでください」


 サザンカちゃんに物理精神ともにささっと引かれてしまった。


「えぇ……、教えてよー」


「ヤですよ。恥ずかしいです……」


 ならなんで振ってきたんだ。

 私は、サザンカちゃんが何色のパンツを履いているのか、余計に気になってしまった。スカートの揺らめきにちらちら視線を向けて、悶々としてしまうのも自然の成り行きだった。これじゃあ完全に変態だ。




「やっと着きましたね」


 サザンカちゃんがお店の入り口とおぼしき扉の前に駆け寄った。嬉しそうだ。

 お店の外観を見やると、いつものソフトクリームランプと『夜パフェ専門店』と書かれた貼り紙が目を引く。

 サザンカちゃんは入り口を手で示し、


「間違いありません、こちらが目的地です。ご案内ありがとうございました。私のミスのせいで、結構歩いて疲れましたよね……。すみませんでした」


 労るような表情をし、終いには申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「いやいや、謝らなくていいよ」


 ほんとに。たった10分やそこら君に捧げるよ。


「むしろ、(ドジっ子)ご馳走さまです」


「む。どういう意味ですか? 詳しくお聞かせ願いたいですねえ?」


 むすりとしたサザンカちゃんにむんずと詰め寄られる。

 そんな近寄られると、ドキドキしてしまう。

 と思ったら、ぐいっと背伸びした彼女に、襟首を掴まれた。表情も変化させていた。


「教えてくれないならチューしちゃいますよ」


「チ、チ、チ、チュー!?」


 瞳を潤ませた顔で、私の瞳を覗き込むように見てくるサザンカちゃん。

 こんなところで女優としての力を行使しないでほしい。

 背伸びしているから、膝がぷるぷる震えているのはご愛嬌だけれど、それすらも覆い隠すくらいの演技力があった。

 私は、その視線から、目を逸らしながら、


「な、なんでもないよ。……言葉の綾です」


 ボソボソと言った。


「なんてね……。キスなんてするわけないじゃないですか。莉子お姉さんったら本気にしないでくださいよ」


「だ、だよねー」


 サザンカちゃんが、私を解放する。

 服も直してくれた。


「……まあ納得できませんが、ペチャクチャ店の前で長話も迷惑ですし、仏の心で見逃してあげましょう」


「ねえ、サザンカちゃん、なんで演技なんてしたの?」


「仮にも彼女ならそのくらい察してください」


「まさか本気でキスしたくなったはないだろうし、私とふれあいたかったのね」


 と納得する。サザンカちゃんも、


「……正解です。やれば出来るじゃないですか」


 と頷いた。なお、ちょっと照れている。あと、さっきチューって言ってからずっと頬に紅が差しているというのは指摘しないであげよう。

 サザンカちゃんは再度入り口へと向き直り、私を横目で見て、


「ひとまずおつかれさまです。入りましょう」


 というわけで、入店した。

 私たちの前にはサザンカちゃんが注文したパフェがある。

 なお、「食べきれるかわからないので、二人でシェアしましょう」と提案されたので、私は注文していない。

 王道の苺パフェだ。生クリームが職務放棄気味の。


「夜なのでさっぱりしたソルベです」


 なるほど。ヘルシー志向か。生クリームは高カロリーだしね。

 んん?

 そういえば、さっきもそうだったな。

 と、引っ掛かってしまった私は、


「さっきのヴィーガンビュッフェもだけど、まさか情報提供者おんなじとかじゃないよね?」


「そのまさかですね。ここには時々二人で来ています」


 なんだとぅ、妬けるな。


「どうしたんですか。顔がピクピクしていますよ」


 まずい。

 適当に誤魔化す。


「表情筋のトレーニングよ」


 すると、サザンカちゃんの表情が興味深げなものになった。


「ほぅ。モデルさんはプライベートでも鍛練を欠かせないんですね。さすがです」


 そんな純粋な瞳で見ないで!

 こほん、と咳払いして、ボロが出る前に強制的にこの話は打ち切る。

 ついでなので、お説教をしておこう。


「サザンカちゃん、ここに一人で来れると思ったんでしょ?」


「……はい」


「迷ったら危ないから慣れないことをしちゃ駄目よ。自分の方向感覚を過信しすぎずに地図アプリは絶対に活用しなさい。電車ですら逆乗っちゃったりしてるようだし……」


 遅刻しそうな時、恒例のポカだった。特に、山手線の内回りと外回りを間違えやすいので、地図アプリは必須だ。


「面目次第もありません……」


 これだけ言えば、多分大丈夫だろうと、話を戻すことに。

 といっても、何を行うのか分からないので問い掛けた。


「で、どうするの、サザンカちゃん?」


「こうするんです」


 サザンカちゃんが至極自然な動作でパフェを掬ったスプーンをこちらへ向ける。

 そして、一言付け加えた。


「あーん、……です」


「――えぇ!?」


 やや照れ気味に放たれたその言葉は、私に大きな衝撃を与えた。

 『あーん』ってあの『あーん』だよね。

 他にどの『あーん』があるって話だけれど。

 スプーンが真っ直ぐに向かってくる。

 けれども、


「……」


 ぽかーんとしている私。

 今の状態は言うなれば一発KOだ。

 サザンカちゃんの照れ顔に蕩けきって溶けている。

 すると、サザンカちゃんがそんな私をキッと見据えて、


「演技してくださいよ」


 むすっとした調子で咎められてしまった。

 なお、スプーンは私の眼前でピタリと止めている。


「ご、ごめんねぇ……。突然だったから……」


「しっかりしてください」


 サザンカちゃんの伸ばした腕がプルプルしだしているので、急いで切り替えなくては。

 頭を振り、キリッとする。


「切り替わりましたね。では、――あーん」


 改めて『あーん』の体制に入る。

 しかし。

 また、サザンカちゃんはスプーンを止めた。


「駄目ですね。顔がこわばっています。リラックスリラックス」


 演技指導されてしまった。

 情けない。

 恋人という設定云々言い出したのは私だ。

 私がしっかりとしなければ、サザンカちゃんもがっかりして止めてしまうかもしれない。

 それは嫌だった。

 サザンカちゃんを惚れさせるという計画が遠退いてしまうじゃないか。

 決意はどうした、やるんだ私。

 今の私は彼女の彼女だ。

 なんか変だけど、いちいち引っ掛かってはいけない。

 胸を抑え、すぅーと呼吸を整える。

 満を持して、サザンカちゃんを見て、頷いた。

 あれ? サザンカちゃんが、スプーンを持った手を引っ込めない。


「ではテイクツー――あーん」


 あれ、手を戻さないの? とか思って一瞬間が開いてしまった。


「……あ、あーん」


 サザンカちゃんがピクリとしたけど、表情を緩めた。

 見惚れそうになったけれど、もう猶予はないと、私は口を大きく開いた。

 そこへ、スムーズにスプーンが口へと運ばれる。

 私は口を閉じて、目まで閉じていた。

 ……!

 目を見開く。

 こ、これは……、美味だ!

 口からスプーンが抜かれる。


「美味しいですか?」


 サザンカちゃんに訊かれたので、素直に答える。


「うん、美味しい!」


「それならよかったです」


 と微笑んで、自分もそのスプーンで食べた。

 間接キスをちょっとだけ気にするのは私だけかしら?

 と思ったら、サザンカちゃんも気にしているようだ。顔が赤いし照れ気味だ。

 そのくせ、またしても「あーん」してくる。

 それからはもうなされるがまま、私たちは交互にパフェを食べて、食べきった。

 ああ! 好きな人に『あーん』されるのって恥ずかしい!

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