応援コメント

(三)他所の国と北部街道」への応援コメント

  • シューランさんとメルの会話とエルメの気付きから、思考する言語によって思考そのものがどう変化するか興味が湧きました。
    そもそも英語で書かれた物語を日本語訳で読む場合、訳者のフィルタを経由する訳で、作者の意図を完全に取り込むことは不可能ですもんね。
    対応する単語や基準も違いますし、当てはめるという行為そのものが変質を生む。

    こういった感性の矯正力みたいなものは現世で強く感じる部分ですね。

    「東世では他者の精神、つまり魂を軽んじ、弄ぶ行為は禁忌に近い」

    東世のこの思想は我々に対するアンチテーゼの様にも感じますね。

    減らないお餅!
    食べても減らない「視肉」を思い浮かべました。

    作者からの返信

    Kさん、コメントありがとうございます。

    視肉って聞いたことがなかったのでちょっと調べてしまいました。フィオロン先生のお餅はギュッッッとしていてデカいだけなので、頑張って食べればちゃんとなくなります!

    言語と思考は切っても切り離せないもので、想像するのも難しいですよね。聖書の解釈でもよく議論になってますし。
    逆に東世には彼らの言語(アルカディア語)の話者しかいないので、エルメが頭の中で日本語で考えてアルカディア語で話しているとか、メルは日本語より英語なるものが得意だとか、そういうことに想像が及びません。

    最新話までご丁寧に読んでいただき本当にありがとうございます。おかげ様で、次回の投稿なるべく早くしよう、と頑張る気持ちが湧いてきた気がします!

    編集済