第一章 どこにでも現れる野良猫みたいな その6
首を傾げたくなる提案を静かに投げかけられ、即座に返す言葉が見当たらない。
「誰が、誰と、何をするって……?」
「大野さんが、わたしと、恋人の練習をします。つまり、恋人の真似事をするんです♪」
「笑うとこ?」
「失礼ですね~っ! 結構真面目な提案なんですけど~?」
ウケ狙いの冗談かと思ったが、向こうは話題をしつこく引っ張ろうとする。
「次に彼女さんと会うまでに恋愛経験を積むべく、わたしが彼女の代わりになります。女の子の喜ばせかたを知っておくのは大野さんにとっても悪い話じゃないかとー?」
「もしかして、今日はその話をしたかったのか?」
「はい、そーです! わたし、こう見えてすごーくお節介なのでぇ、大野さんの恋路がすごーく心配なんですよぉ」
からかい、ではなさそうだ。
拗らせた恋愛初心者の反応を楽しむだけ、とは違う意図があるのだろうか。
「普通に無理があるだろ」
「えー? どうしてですか?」
「俺の彼女は聡明な美しさがある。アホっぽいノラ子じゃ恋人気分にならな――いっ!?」
脛に軽い衝撃と痛みが走り、俺の軽口が強制的に遮られた。
遺憾の意を込めた微笑のノラ子がテーブルの下で蹴ってきたのだろう。
「お前の企みが完全には理解しきれてねえけどさ、その提案には大きな問題がある」
「社会人と女子高生だと犯罪になりそう、とかですかー?」
「それもあるが、彼女持ちのやつが他の女と恋人ごっこしていたら単純に『浮気』だろ。恋愛に疎い俺でもそれくらいはわかる」
「
「ハンバーガー頬張りながら喋んなよ」
会話の合間にハンバーガーやポテトを頬張るノラ子に調子を狂わされる。
その幸せそうな表情や早食いっぷりを見る限り、相当な空腹だったらしい。
「まあ、ご心配には及びません」
コーラを飲み干したノラ子は仕切り直し、自信を漲らせた瞳をくわっと見開く。
「あくまでわたしは練習相手なので、恋愛初心者の大野さんが彼氏らしく振舞えるように彼女目線で手助けしていくだけですからぁ」
「……それが恋人の練習なのか?」
「浮気っていうのは恋愛感情ありきです。わたしと大野さんには恋愛感情なんて存在しないですよね~? ねっねっ?」
「もちろんだ。気安いお喋りバイトと仕方なく構ってやってる常連客でしかない」
「はぁ~~? 仕方なく構ってやってる~~? 誰が、誰をですかぁ~~?」
「俺が、ノラ子を、構ってやってる」
「わたしが、大野さんを、構ってあげてるんですが~~?」
お互いに譲ろうとせず、くだらない小競り合いで数秒を無駄にした。
「ともかく、わたしは気安いお喋り美少女でしかないんです! わたしが大野さんを好きになるはずがありませんし~浮気にはなりません! はっはっは!」
しれっと「美少女」を付け加えやがったのはさておき、ノラ子は軽快に笑い飛ばす。
確かに、俺とノラ子の関係性で浮気を警戒するのもバカバカしい。
「お互いの空いた時間を恋人みたいに過ごすだけですよ~。女の子と二人きりの甘い空気感に慣れていけば、彼女さんを喜ばせる余裕ができるようになるかもしれません!」
「そういうもんか……?」
「まずはお試しで一週間、猫平桃子を恋人の代わりにしてみません? 大野さんが気に入らなければすぐに関係を解消すればいいですし~、学校や部活だって体験してから選んだりするじゃないですかぁ」
「そんな軽いノリで決められたら苦労しねえ」
「軽いノリで決めてくださいよぉ。本物の恋人になるわけでもあるまいしさ~、女子高生を相手に恋人の練習をするだけですって」
……自分らしくない。
さっさと立ち去ってしまえばいいのに、いつの間にかノラ子の話を聞き入れ、心のどこかでは検討し始めている。
「何をそんなに迷うんですか~?」
「俺は彼女持ちだぞ? 迷うだろ……」
「あー、わかった!」
なにやら一人で納得したノラ子は、なぜか俺のほうへ顔を接近させてきて――
「……安心してください。キスやエッチは絶対にやらないので浮気じゃないです」
戸惑う俺の耳元へ艶やかな小声をそっと吹き込んでくる。
ぞくっと身体が震え、不覚にも生唾を呑み込んだ。
「……大野さんよりも良い人が現れたら、自慢の彼女さんが取られちゃうかもですよ?」
「そんなわけ――」
そんなわけない、とは断言できない。
カッコいい、優しい、おしゃれ、気が利く、金持ち……俺なんかには到底敵わない魅力を持つ人間など芸能界には掃いて捨てるほどいるだろう。
彼女の恋心が不変だと勘違いし、無意識に甘えていたのかもしれない。
数ヵ月に一度のデートでも愛情表現を素直に返すことができない現状、すれ違いが続く日々の中では危機感を覚えないわけがなかった。
小犬沢彼方に愛想を尽かされたら、俺は――
「一つだけ確かめておきたいことがある」
「はい、なんなりと聞いてください♪」
「恋人の練習を持ち掛ける理由についてだ。俺のことが心配~とか、ただのお節介ってわけじゃないんだよな?」
とてもじゃないが、他人の恋路に干渉するお節介焼きには見えない。
ノラ子側にも何かしらの思惑があり、恋人の練習をすることに利点があると考えるのが自然だろう。
「五万円、ってところですね」
「はっ?」
右手の五本指を立てたノラ子は悪戯っぽく目を細め、にこやかに笑った。
「恋人の練習、お試し一週間プランの値段ですよ~♪」
「ふざけんな」
「ほんとは十万円くらい欲しいですけどぉ、仲良しなので半額にしておきましょう」
最初から金目当て。やたらと俺に喋りかけてくるようになったのも、小遣い稼ぎに利用するためだったのかよ……。
「女子高生に金を渡してデートするような大人を探してたってことか」
「えー? それだとわたしがパパ活をやってるみたいじゃないですかー」
「どう考えてもパパ活の誘いだろ」
「春の新生活って何かとお金がかかるじゃないですかぁ。今月を乗り切るためのお小遣い稼ぎですよぉ」
へらへらと悪びれる様子もなく声音を弾ませるノラ子。
「信じてくれないと思いますが、誰でも良いってわけじゃないですよ? 他の人は誘ったことがありませんしー」
「ウソつくな」
「ウソじゃないでーす。大野さんが初めてでーす」
この女子高生は何を考えているのか。
混乱と苛立ちが脳内に充満していき、感情が激しく波打つ。
「そんなに小遣いが欲しいならウチの工場でパート募集してるぞ。異物混入を防ぐためにネットを被ったり、エアシャワーや毛髪ロールを何度もする面倒な職場でよければな」
「えー? 女子高生がノビノビと働けるような職場じゃなさそ~う」
「ともかく、遊びながら楽々と稼げるほど世の中は甘くない。明日も早朝から仕事なんでな、さっさと帰って寝る」
「まだ話は終わってないんですけどー?」
「まっとうな社会人はガキの小遣い稼ぎに付き合っていられないんだよ」
俺は席を立ち上がり、ノラ子を置き去りにして店を出る。
夜九時近くの駅前。店舗の明かりが漏れ、街灯に照らされた平日の駅前通りは帰宅途中の会社員くらいしか歩いていない。
そこに自分も溶け込み、社員寮のほうへ一歩を踏み出そうとしたが――
「恋人の練習、大野さんとしかするつもりありませーん! 良い返事を待ってまーす!」
こちらへ呼びかけるような声が背中へ投げ当てられ、仕方なく振り向いた視線の先には駅前で手を振ってくるノラ子がいた。
普通に目立って恥ずかしいので他人のふり。
「恋人の練習なんてやるわけないだろ……」
パパ活(?)の誘いを聞き流しながら帰り道の方向へ踵を返そうとした瞬間、ポケットのスマホが震えた。
【六月は会いたい】
たった一言だけ届いた飾り気のないメッセージ。
差出人は――小犬沢彼方だった。
そういえば、俺のほうから「会いたい」と発した記憶がほとんどない。
過去のメッセージを遡ってみても俺のほうは無難な返事が並ぶだけで、あいつの愛情表現を受け取り続けるだけ。
あいつは売れっ子で忙しいから迷惑になる。
俺のほうから都心へ会いに行くのは彼氏バレの危険が高まり、彼方のアイドル生命を脅かしかねない。
「付き合い始めたころは、こんなに有名になるなんて思わなかったのに……」
もっともらしい言い訳を復唱するも、こちらからは積極的に誘っていなかった過去ログがはっきりと残っている。スワイプするたびに眼前へ突きつけられる。
大野さんよりも良い人が現れたら、自慢の彼女さんが取られちゃうかもですよ?
猫平桃子の意地悪な囁きが脳裏を過り、すぐには消えてくれない。
自分に自信が持てず、絶対に会えるかどうかも断言できない状態のまま。
メッセージの文字入力欄に触れ、返信する。
雨が多い六月は彼女の誕生月。
小犬沢彼方の誕生日に、俺たちはデートの約束をした。
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試し読みは以上です。
続きは2021年7月30日(金)発売
『彼女にナイショの恋人ごっこ。』
でお楽しみください!
※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。
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彼女にナイショの恋人ごっこ。 あまさきみりと/角川スニーカー文庫 @sneaker
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