彼女にナイショの恋人ごっこ。
あまさきみりと/角川スニーカー文庫
プロローグ
「今日も夜勤明けって顔してますねぇ~。コンビニ店員のわたしが言うのもあれだけど、サラダチキン以外もたまには食べてくださいよっ?」
この元気な声が鬱憤を吹き飛ばし、荒んだ心の隙間を埋めてくれる。
ありふれた客の自分と、ありふれたコンビニ店員の少女。
言葉を交わすようになったきっかけは他愛もない。
出勤途中や仕事の帰り。サラダチキンと野菜生活を買い続けていたら毎回のようにレジで会計してくれるバイトの少女に、
「サラダチキンさん、いつもお疲れ様ですねっ♪」
……と、だしぬけに労われた日があった。
同じものを買い続ける常連客は店員に覚えられやすい、とはよく聞くが、どうやら俺も顔を覚えられてしまったらしい。
「誰がサラダチキンさん?」
「あなた♪ サラダチキンと野菜生活ばっかり買ってますよねーっ!」
人懐っこい笑顔が印象的な子だと思った。
「あっ、サラダチキンおじさーん! お疲れさまでーす」
それから一週間、二週間……ほぼ毎日会うたびに馴れ馴れしさに拍車がかかる。
「おじさんじゃないって。今年で二十五歳だからな」
「意外と若いっ! 毎日しみったれた顔してるから老けて見えてたんですかねー」
「そういうお前は? フリーターとか?」
「ぶっぶーっ! 現役の高校三年生でーす」
不正解のSEを口で鳴らすバイトは女子高生だった。
「からからに渇いたおじさんにとっては、わたしみたいな優しい女子高生と合法的にお話しできる時間が必要ですよねー。生き返る~~みたいな?」
「仕事先のパートさんと喋ってたほうが遥かに癒されるな」
「はあ~~~~~? パートのおばちゃんには負けてられないなーっ! コンビニJKの癒しを舐めんなってねぇーっ」
「へらへらしてないで早くレジ通せよ」
「はーい、サラダチキンさんだけ特別料金の十億万円!」
「はいはい、千円。釣りはよこせ」
「ノリわるーい。それにまだレジ通してませーん」
口は達者だけど手は動かない生意気なバイトに呆れつつも、悪い気はしない。
ビニール袋やストローも不要、支払いは現金。もはやこの女子高生からはいちいち聞かれないし、俺も言う必要がなくなった。
最初は一言二言だった会話が数秒になり、他の客がいなければ一分以上の雑談をする機会も増えてきた。
「あー、今日は眠そうでシャキっとしてないなー? 寝ぐせも直しましょうねー」
「寝ぐせなんてねーよ」
「ありますー、ほらぁ! じっとしててくださいってばー」
レジカウンター越しに俺の頭部へ手を伸ばし、寝ぐせが生えた髪の毛を撫でてくる女子高生はまるで妹弟を世話するような包容力。
ふいにタメ口を交ぜられると無性に距離が縮まった気がして、少しだけ高揚した。
「今は工場勤務だから寝ぐせなんてどうでもいい」
「あまーい! そんな油断しまくり社畜さんは今どき女子にモテないぞー?」
「こう見えても彼女がいるからモテなくても別に困らないね」
「はいウソー、見栄っ張りですかー?」
「いやマジだって」
「サラダチキンさんのくせに生意気! 彼女さんに愛想を尽かされてしまえーっ!」
「毎日のように電話したりメッセージ送りあってる。ごめんな」
「彼女さんも物好きですねえ。こんなサラダチキンのどこがいいんだか~?」
「大手企業の社員、顔がカッコいい、優しさがある。すごいだろ?」
「すごーいっ! わたしが抱いてる印象と綺麗に真逆ですよーっ!」
「ざっけんな」
アホみたいな掛け合いがいつの間にか心地良くなり、『サラダチキンと野菜生活を買うついで』だった女子高生との雑談が『雑談の口実に買い物をする』に逆転していたのだ。
「サラダチキンさん、今日もいってらっしゃい!」
レジ前から立ち去る際、女子高生がくれる「いってらっしゃい」の言葉。
これから出勤という憂鬱すぎる心境を綺麗に浄化し、鉛のように重かった足を軽やかにしてくれていた。
「サラダチキンって呼びかた、そろそろやめない?」
「えー? だったら名前を教えてくださいよー」
「
「ふーん、大野さんですかぁ。あなたの人生のように平凡な名前ですねー」
「うっさ。黙れ」
常連客の辛口な社会人と人懐っこいバイト女子高生。
それが俺たちの関係。
「わたしは
「聞いてないのに自己紹介するな」
「これからはモモって呼んでくれても良いですからねぇ?」
「わかったわかった。『ノラ子』って呼ぼう」
「はあ~? ノラ要素が一切ないんですけど!?」
「いつも見かけるしニャーニャーと騒がしいから。野良猫っぽいじゃん、お前」
「その呼びかたは可愛くないのでやめてくださいよーっ! モモーっ!」
「お前なんてノラ子で十分だろ」
「あーあ、このままレジしないで大野さんを遅刻させてやろっ」
「悪かったよ、モモちゃん」
「なんかバカにされてる気がするんですが~~っ!」
「わがままだな。しかも手ぇー止まってるぞ」
「もう働いてなんかいられませんね。職務放棄しまーす」
「バイトだろ。働けよ」
「変なあだ名をつけてくるクソ客に返すお釣りはないですよぉ」
「は? 野良猫どころか泥棒猫じゃん」
駄弁りながらレジを打つノラ子が会計を済ませ、俺の手に釣り銭とレシートを置いた。
「いってらっしゃい、大野さん!」
こいつから無邪気に微笑まれると……心なしか疲労が和らぐ。
ただ金を稼いで寝るだけの鬱屈した日常の中では貴重な癒し。ただの気休め。
それ以上でもそれ以下でもない。
早朝と夜のコンビニでしか会わず、それ以上に進むはずもない。
このときの俺は、そう――思っていた。
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