ブルーズ・バディ ~非違検察課あやかし捜査班

かける

case.1 君が夢の香

〈あやかし〉事案対応チーム(1)



 人を惹きつける声だった。


「すいませーん」

 柔和で、のびやかで、張り上げてもいないのに澄み透るように響いていく。そのたった一言で、忙しないオフィスの中のいくつもの視線が、喧騒の残響をさざめかせながら、入口へと向かった。


警察省けいさつしょう刑事捜査局けいじそうさきょく非違検察課ひいけんさつか捜一そういち北瀬きたせです。こっちは那世なせ


 そこにいたのは、声音に違わずパッと目を引く、華やかな顔立ちの青年だった。人好きのする穏やかな笑顔に、切れ長の青い瞳を細め、肩口で少し長い金糸の髪を揺らしている。


 隣には彼とは真反対に威圧感のある青年が、室内を睨みつけるように立っていた。黒い眼光は、斬りつけるに似た鋭さだ。きちんと整えられたさらさらとした短い黒髪と、涼やかさを湛えた端正な顔立ちには、冷たい印象を強く受ける。北瀬と名乗った青年もすらりと背が高いのだが、その彼よりもさらにもう頭半分ほど上背があり、だからか余計に、人を委縮させる雰囲気を纏っていた。


「先行してお邪魔してるうちの班長に、直接ここまで来いって言われて、受付で案内頼まなかったんですけど、どこですかね?」

 北瀬に尋ねられて、手近な若い刑事が慌てて飛び出してきた。


 いま、この東京府の端に位置する八房やつふさ署は、重罪事件に上へ下への大騒ぎの真っただ中なのだ。そして彼らは、国内の横断的捜査を行う警察省――つまりは上位組織から、応援で寄越された特殊捜査専門チームの重要構成員なのである。


 人と〈あやかし〉のバディ。それが彼らだ。


 昔この世には、〈妖〉と呼ばれた人とは似て異なる種族がいた。人よりも強く、人の及びもしない不可思議な能力を有したが、増える力が人より弱かった。いつしか時代の流れとともに、種の力も緩やかに衰え、数も減り、滅びの道を歩み出した時、彼ら〈妖〉は人と交わる道を選んだ。結果、いまの世では、人と、人と〈妖〉の交わった末である混血の〈あやかし〉が、ともに生きることとなった。


 いまなお〈あやかし〉はみな、昔に人と交わった先祖の血の力を引き継いでいる。個人差はあれど自己治癒力や身体能力が高く、不思議な力を持っているのだ。

 しかし〈妖〉は、人と交わる時にひとつリスクを負った。それは〈妖〉が人に歩み寄った際、人が彼らに科した枷でもあったのかもしれない。


 〈あやかし〉は、波長の合う人間の契約者を得ないと、あらゆる力が使えないのだ。それどころか、契約者を得る前の〈あやかし〉は、常に身体に軽微な倦怠感が纏わりついた状態となる。そのため、普通の人間より暮らしに苦労する者が多かった。

 人と共に歩まなければ、己が力さえままならないのだ。


 そして例え、契約者を見つけ、己が力を揮えるようになったとしても、〈あやかし〉の人生が必ずしも明るく開けるとは限らなかった。


 契約者を得た〈あやかし〉は、発揮された力を生かして、社会に貢献する者がほとんどだったが、なかには力に飲まれるように、犯罪に手を染める者もいた。

 もちろん、善人もいれば、悪人もいるのは、人も〈あやかし〉も変わりない。ただ厄介なのは、〈あやかし〉には特殊な力があるということだった。つまり、それに対応可能な特別な部署も必要となる。

 それが、警察省刑事捜査局非違検察課であった。


 ようは、ここの刑事たちにとって、ただの人間には太刀打ちしづらい案件を請け負ってくれる大事な客人。それが、本日訪れた二人組の青年たちなのだ。


 だが、そうした存在は同時に煙たがる者もいる。「あれが噂の」と誰かの囁く声が、ざわめきの中に歪んで混じった。


「出来損ないの〈あやかし〉ってあいつだろ」「〈あやかし〉のくせにあんま使えないって話で」「じゃ、あっちが出来損ないと契約適合するからって、エリートコース外されたっていう」「どうせ親の七光り出世だろ。若いぼんぼんにでかい顔されなくて良かったよ」


 当人たちにとってはおそらく、興味関心をくすぐった噂話をするついでに、ちょっと悪意を含ませた程度なのだろう。そんなちょっとした陰口だからこそ、折り重なって、潜めもされずに耳に飛び込んでくる。


「待て」

 笑みを深めて、すっと一歩踏み出しかけた北瀬の肩を、那世が静かに掴んだ。

「構うな。踏み込むな。笑顔で暴力を振るいに行こうとするな」

「いや、こういうのは舐められたら終わりだからさ。まず最初に上下を示しとかないと」

「治安を守る側が修羅の規範で生きるな」


 きりりとした顔で、あまりに真っ直ぐな横暴。だが動じた風もなく、那世は淡々と紡いだ。ただただ応対してくれた刑事の顔が、色んな意味で青くなったのが不憫で仕方がない。そこへ、


「北瀬! 那世!」

 軽やかな声が大きく呼びかけて歩み寄ってきた。

「悪いわね。来いっていっといて、出迎え損ねて。対応、ありがとう」


 颯爽と現れた快活な女性が、そう若い刑事ににかりと笑う。長めの黒髪をがっと力強くひとつにひっつめ、通った鼻筋と瞳の圧が、第一印象で勢いよく見た者の視覚情報を殴ってくる。力強い空気を纏う女性だった。高身長の青年たちに囲まれているとはいえ、思いのほか小柄な体格が完全に相殺されている。


「奥の会議室借りてる。藤間とうまと私はもうそこが宿代わりよ。長洲野ながすのは、最近寝てるところ見てなかったから、さすがにいま仮眠室にいれてもらってる」

「いつものこととはいえ、ひどい。劣悪な職務環境」

「仮眠室分の慈悲がある」

「慈悲の質がひっくいんだよなぁ、この仕事」


 後をついてくる北瀬が愚痴混じりに叩いてくる軽口を、刑事課のオフィス内を豪快に突っ切る背中は、「悪いねぇ」の一言でさっさと笑い飛ばした。


「そういえば、そっちの里見署の案件は、〈あやかし〉絡んでなかったんだって?」

「ええ。遺体の盗難、及び損壊と、内容が異質だったので呼ばれましたが、結果として普通にただの刑事として捜査応援をしてきました」

「で、ようやく終わりが見えたと思った時に、南方班長から連絡入って、すぐこの現場じゃないですか。俺たちのスーツは過労死寸前ですよ」

「大丈夫、大丈夫。男前だからちゃんとパリッと誤魔化せて見えてる」


 しょぼんとへたれた部下のスーツやワイシャツたちを雑に慰めて、南方はオフィスの一番奥にある会議室のドアを開いた。






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