ハンバーグ定食。それは神が私に与えたもうた奇跡だった。

 

 更衣室は騒がしい。体育自体は好きではないけれど、世間話に花を咲かせるこの時間は好きだ。着替えながら、だらだらと楽しい話をする。昼休み前で時間の制約もないため、心置きなくこの時間を謳歌できる。


「凪さぁ、朝は元気なかったのに、今は元気だね。何かあった?」


「いやいや、別に。朝は眠かっただけだって」


 私は陽ちゃんに真っ赤な嘘をついた。


 朝元気がなかったのは、日和が夏に告白すると知ったため。今元気なのは、日和に素敵な女性と言ってもらえたため。そして喜びを隠すことすらできないのは、『踏み台になれて嬉しいなんて絶対に言わないで欲しい』と言われたため。


 自分なんかは、小さな、ほんと小さな人間。だから私は踏み台にでもなれるのなら、本心から嬉しい。だけど日和の言葉を聞いて、喜んでしまった。それはつまり、心のどこかでは、自分が主人公でありたい、そう思っていたということだ。


 あはは。な〜に、私は考えてんだ。主人公だなんて、似つかわしくないでしょ。


 でもさ、日和の目には主人公に映っているんだ。そう思えば、どうしようもなく嬉しくなってしまう。


 やっぱずるいよ日和は。


 応援してる、って諦められたすぐに、そんなことを言ってきて。諦める私を肯定してくれた人が、『私』を諦めないでいてくれるなんて。


「凪、顔が赤いよ。黙り込んでたし、熱?」


 陽ちゃんに声をかけられて、現実に引き戻される。


「あ、あははは。大丈夫、大丈夫! 元気、元気!」


 そう言うと、陽ちゃんは首をかしげた後、「大丈夫ならいいけど。じゃ、先にいくね」と更衣室を出ていった。


 私も早く着替えないと。


 そう思うも、考えが止まらない。朝、日和が言っていたことが引っかかっている。


 日和は私のことを引きずっているって言っていたのに、告白するなんて変な話だ。そう考えると、夏に告白するなんて何かの間違えかもしれない。例えば、告白にうんざりしていた夏が、日和に付き合うふりを頼んだとか。


 細かなことはわからないが、なんらかの事情があるにちがいない。


 だったら私にもまだチャンスがあるんじゃないか。って、いやいやいやいや。自分に都合のいいように解釈するのは、モテない女の悪い癖だ。


 でも、そうとしか思えない。日和と夏は、今日もいつもと変わらず仲が良さそうにバドミントンを楽しんでいた。そう、いつもと変わらず。


 告白する、される、ことがわかっていたら、いつもと同じように振舞えるだろうか。普通はできない。それなりに緊張したり、気まずくなったり、距離を置いてみたり、何らかのいつもと異なるリアクションを見せるはずだ。


 それなのに、二人はいつもと変わらなかった。お互いの気持ちが分かり合えていて、今更だよね、って感じだったらわからないし、辛すぎて泣いちゃいそうだけど、そうでない限りは、日和の告白には何かあるとみて然るべきだろう。


 それに何より、本人の口から、夏のことが好きだ、とは聞いていない。本命が別にいて、という言葉も、日和は嘘と言ったのだ。だったら、夏が好きではないことになるし、告白も嘘になる。


 勝手に口元がにやけてくる。


 ここまで考えて導き出した結論なのだ。何度も自分を諫めながら導き出した結論なのだ。ほぼ確実に、日和の告白は嘘だ。


 あー、ほんっと良かった。死ぬかと思った。実際、呼吸困難で死にかけた。


 そう思った時、両脇からにゅっと腕が伸びてきた。


「ひゃうっ!?」


 胸を揉まれて変な声が出た。


 ぱっと手を離されたので、胸を守るように腕を交差させつつ、慌てて振り向く。そこにいたのは、目が覚めるような美少女、夏だった。


「やらか〜。これは男好きのする身体だわ〜」


 へらへら笑ってても息を呑むほど可愛い。青空へ向かうシャボン玉だったり、水滴がきらめいているような、輝きある背景が見えそうだった。


「凪ってさぁ、えっろいよね」


「き、急に、な、何!?」


「しなやかな足だったり、痩せてるくらいなのに丸みを帯びたお腹にお尻。腕だったり脇だったりうなじだったり、全部綺麗で色っぽい。てか艶かしい」


 いやらしい、と言われているようで、無性に恥ずかしい。それに褒められてる?かどうかはわからないが、賛辞を送られることに慣れてないので、何て返していいのかわからない。


「そ、そんなん言ったら、夏の方がエロいよ。身長高くないのに足長くて、出るとこ出ててモデルみたいに綺麗だし」


「うわぁ。凪、私のことをそんなエッチな目で見てたんだ」


「先に言い出したんは夏じゃん!?」


 夏が「あはは、冗談!」と笑った。ああ、またその笑顔が輝いている。入道雲に映える向日葵畑、そこに白いワンピースとハットを身につけた夏が振り向いて笑っている。そんな風景が見えた気がした。


 あはは……ほんっと良かった。夏と日和がなんでもなくて。夏相手だったら、1万回やっても全敗してたわ。


 そう思って気付く。あれ、私? 日和を取り合うつもりでいた?


「お〜い、凪??」


「ああ、ごめん、ごめん」


 またも自分の世界に入り込んでしまっていた。あーだめだぁ、忘れよう。それに今はそんなこと考えている場合じゃない。


 昨日告白される相手と今日告白される相手が一緒にいるのだ。何だ、この状況。よくわからないけど、妙にきまずい。


 でもそう思っているのは私だけのようで、夏はカラッとした雨上がりのように爽やかでいる。


 夏は、昨日私が日和に告白されたことを知らないのだろうか?


「ねえ、夏は知ってるの? って、いやなんでもない!」


 そう言って私は手早く着替えを終えた。


 知らないのなら知らないでそれでいい。それを知らせたところでなんになるわけでもないし、より気まずい状況を招くだけ。


「さ、夏! 教室もどろう!」


 更衣室から廊下に出ると、後ろから夏がついてきて、肩を叩いてきた。


「凪がさっき言いかけたことって、日和に告白されたこと?」


 軽い調子の言葉だったが、私は空気が凍ったような感覚を覚えた。このまま足を止めてしまうと、ずっと止まり続けるような気がして、階段をのぼりながら話す。


「あ、ああ〜。知ってたんだ」


 き、きまずい。何故かわからないけど、非常に気まずい。階段を上る足がはやくなる。


「うん。ってかさ、あ〜、私がこの質問されるのめっちゃ嫌いだから、尋ねたくないんだけどさぁ」


 夏はこめかみを人差し指で掻きながら言った。


「どうして、日和を振ったの?」


 階段を上り切ったところで足を止める。


 言葉が出てこない。


 二人の間で時が止まったような、永遠の中にいるような感覚を覚える。

 

「ああ!! 夏めっけ!!」


 その時、陽ちゃんの声が聞こえて、目を向ける。走り寄ってくる陽ちゃんとその奥、私たちのクラスの前に人だかりがあった。


「夏、面白いことになってるから、はやく、はやく!!」


「ってああ、まだ話終わってないんだけどぉー」


 陽ちゃんが夏の手を掴み、夏が私の手を掴んだ。


 引っ張られるままに進み、集団をかきわけ、ドアの前まできた時


『夏とバカやるのが世界一楽しい! だから夏が大好きだ!』


 と日和の声が聞こえた。


 それは真に迫っていて、強い響きを持っていて、間違いなく本当の感情だった。


『それに何より、本人の口から、夏のことが好きだ、とは聞いていない。本命が別にいて、って言葉も日和は嘘と言ったのだ。だったら、夏が好きではないことになるし、告白も嘘になる』


 その考えが完全に否定された。


 嘘じゃないじゃん!! 日和はガチで好きで夏に告白するんじゃん!! 


 うう……。


 近くにいた夏の顔を見ると、真っ赤に染まっていた。


 また終わった、私の初恋。二時間ぶり三度目の失恋……。


 私はドアにもたれかかるようにして倒れた。が、後ろを歩く人の声を聞いて、かろうじて起き上がる力を得た。


「今日の学食、ハンバーグ定食だってよ」


 ハンバーグ定食。それは神が私に与えたもうた奇跡だった。

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