第39話 それぞれの選択
「くそっ!一体何なんだあのガキは!」
顔を怒らせながら足速に通り過ぎ自室へと向かうその足は段々と速度を増していくようだった。
明らかに機嫌の悪い、というより憤怒している様子の頭領の姿に部下たちは皆巻き込まれるのを恐れて壁に身を寄せ関わるまいと視線を逸らす。
乱暴に戸を開け自室に転がり込んだ男は、慣れ親しんだ椅子にドカリと深く腰掛けようやく息を深く吐いた。
だが、ただ座っていると落ち着いたせいか考える余裕が出てきて先程の光景が脳裏に蘇ってくる。
男は帝都の裏町を支配する影の王だ。
権力者の手の届かないこのアウトローな世界でのし上がり、敵対者は排除し、厳しい生存争いの中でようやくこの地位を手に入れた。今では表の権力者たちにもパイプを持つ、紛うことなき支配者層側に立つ人間となった。
裏町という狭い世界の中においては自分は小さな王でいられた。この裏の世界の頂点に立つのは自分だと、恐れるものなど無きに等しいと、そう信じて疑わなかった。
「そうだ…!あり得ない。この俺が、この裏町の支配者である俺が…!」
その先の言葉を口にするのは己のプライドが許さなかった。声が微かに震えているのは、身の程知らずにも不遜な態度をとる子供に対する怒りからくるものだ。そうだとも。そうでなければならない。
机に肘をついて組んだ両手さえも震えてるのに気づき、苛立ち混じりに机に拳を振り落とす。
どんなに頭から追い払おうもしても、あの自分を見つめる両目が脳裏に焼き付いて離れない。
いや、その瞳は自分を見ているようで見ていなかった。自分を通して別の何かを視ているのではないか。まるで今その場所に自分が存在していないのではないか。そう思ってしまうほどにあの瞳はこちらを捉えず、空虚で別の何かを映していた。
そう。まるで道端の小石が視界に映っただけと言わんばかりに。
視られてはいけない。見つめ返してはいけない。魅入られてはいけない。
自分の全てが警鐘を鳴らすにも関わらず、その瞳から解放されるまで瞬きすら出来ず、指の一本さえも動くことが出来なかった。
それは恐怖か、歓喜か、絶望か。
「あんなガキに、この俺が…!」
その視線に怯み、その存在感に圧倒され、その姿に畏怖を覚えた。例えるならば、神に恭順する喜びを覚えるかのように、本能のままに足元に平伏したくなるような、抗い難い、そんな魅力さえも感じた。
気がつけば無様にもその場から転がるようにして逃げ出していた。
もう、その視線に晒されることに耐えられなかった。
「あんな気味の悪いガキなんざ、さっさと連れて行ってしまえ…」
もう迷いはなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「兄貴、本当にこのままでいいんですかねぇ…?」
「お前、それ言うの何回目だよ。」
兄貴と呼ばれた男は、部下の何度目か分からないその呟きにうんざりとした気分で呆れた視線を向けた。
この部下は以前から裏町の人間にしては少々甘いところがある。特に子供に対しては時々憐れみの視線を向けていたのは知っていた。が、それでも己の立場は弁えていたはずだった。こうして直接不満を口にするのは珍しい。
男もなにも思わないわけではない。だが、だからといって情けをかけるにはこの世界は弱者に厳しかった。綺麗事だけでは生きてはいけないのは浮浪児だって知っている。
なにより他人に情けをかけられるほど自分たちには信念を貫き通す為の力も、心情的な余裕もないのだから。
それは自分も、部下もこれまでの人生の中で嫌という程理解しているはずだった。
「…変わったガキ共だったな。」
思い出すのは、こちらに対して全く物怖じしない変わった2人の子供。これから自分たちが売られようとしているのを理解しているのかいないのか、その溌剌とした姿を馬鹿にしつつも思わず気になって柄にもなく話しかけてしまった。
これまで見てきた子供たちは誰もが諦めと絶望を瞳に宿し、その姿を目にする度に自分の所業を見せつけられているようで意識的に目を背け続けていた。
そんな中で堂々と自分を逃せと交渉してくる子供を見た時は正気を疑った。だが直ぐに悟った。
ああ、光の世界で生きる子供はこんなにも自分たちとは違うのかと。
瞳は輝きを失わず、どこまでも純粋に真っ直ぐにこちらを見つめ返してくる。この世界が美しいものであると信じて疑わない。その綺麗な瞳に映る自分はとても汚れているように感じてとても居心地が悪かった。
苦労も知らない、幸せな世界で育った世間知らずなただの子供。
妬ましく、憎らしく、羨ましい。
衣食住に苦労することも、生きることに絶望することも、理不尽に踏み躙られることもないのだろう。
そこはあまりにも眩しくて自分のような存在には遠い世界。住む世界が違うのだとはっきりと見せつけられたような気がした。
だから幸福な世界しか知らないこの存在とは相容れないのだと。そう、思っていた。
そして、男は見た。
その子供は、立場の分かっていないような脳天気さで無邪気に笑っていた、ただの子供だったはずだ。
それなのに、一体なにがきっかけだったのか。一瞬にしてこちらの全てを見透かすかのような絶対的な支配者の姿へと変貌するなど、一体誰が想像できようか。
神々しいまでの全員をひれ伏せるような圧倒的な威圧感を放ち、自分の方が強者であると勘違いし己を侮っていた者たちをその視線と存在感だけで叩き伏せた。
ただの子供?とんでもない。
あれは、子供の皮を被ったバケモノだ。
そうでなければ、なぜあれほどまでに小さな子供に強烈なまでの恐怖と畏怖の念を抱くというのか。
「一体、何者なんだろうな…。」
思わず小さく呟くと部下がすぐさま反応する。
「ああ。あの娘っ子ですかい?確かに浮浪児じゃなかったし、只者じゃなさそうな雰囲気でやしたね。どっかのいい所のお嬢様なんですかねえ。」
「お嬢様、ね…」
部下はあの子供が威圧感を放った時、即失神していたせいかあの時のことをあまり覚えていない様子だった。大方、頭への恐怖で気を失ったのだと本人は思っているのだろう。
記憶にないからってお気楽なもんだと呆れつつ、こいつは将来大物になるかもしれないとも思う。
「いい所の娘さんが過酷な環境で生きていけるとは、俺はどうしても思えねえでさあ。兄貴、どうにかならねえですかい?」
「…さあな。逞しそうだし案外大丈夫なんじゃねえか。」
あんなバケモノを本気で案じる部下に呆れた視線を向けて投げやりにそう答えた。
人の心配をしている場合か。恵まれた存在は俺たちのような底辺の名無しの心配なんか必要とはしてないのだ。
そう言い返してやりたいのに、おじちゃんおじちゃんと無邪気に話しかけてくる2人の子供の顔がちらついて何故だか言葉が出なかった。
「なに言ってるんですかい兄貴。いくら逞しくたって、相手はまだ子供なんですよ。」
「はは。子供ねえ…。」
その子供を食い物にして生きているのが俺たちなんだと自嘲し鼻で笑おうとして…、その目を見て言葉を失った。
「ああ、そうか。お前は…」
人買い。それは奴隷制度が禁止されたこの国では、黒よりのグレーな行為だ。
それでも人買いが人知れず続いているのは、それだけ身寄りのない子供たちが国に溢れているから。
食うものに困って子供を手放す親、身を売った女たちが父親の分からない子を身籠る等、理由は多岐に渡る。そしてそれは珍しいことでもなく、むしろありふれたよくある話だった。
人買いを完全に規制してしまえば、そんな行き場のない子供たちが路頭に迷うことになるだろう。
もちろん、人買いを正当化するつもりはない。
子供を売り物のように扱っているのは間違いではないし、自分にとって浮浪児は商品であり飯の種だ。後ろ指を指されても文句は言えまい。
それに自分が加担しているのは、まだ自分を守る力も生き抜く力もないただの子供を死地へと追いやる行為。口が裂けても子供のためとは言えなかった。
それでもどこにでも馬鹿はいるもの。
法律的に見ても、世間的に見ても人道に反していることをやっているにも関わらず、少数派ではあるが、結果的に子供のためになると信じている愚かな者たち。そこに残酷な事実が隠されていることも知らない無知な者。
そう、目の前のこの男のように。
そう言えば、この部下も同じような境遇だったはずだと思い出す。
「お前は……って、なんです?」
「…お前は馬鹿なやつだなって話だよ。」
「そ、そんなあ。ひでえですよ兄貴〜」
「間違っちゃねえだろが。」
男が面倒見るようになって暫く経つが、いつまで経っても馬鹿で愚かで、賢くなれないこの部下。染まってしまえば、一々心を痛めることもないだろうに。
だが、時々羨ましく思う時もある。こいつは自分とは違ってまだ戻れるのかもしれないと。
「好きにしろ。」
「…え?」
「しつこ過ぎるから、もう好きにしろって言ってんだよ。何度も言わせんじゃねえ。」
戻れるのはもう、今しかないのかもしれない。それを知ってしまう前に、完全に関わってしまう前に…。
許可が出るとは思っていなかったのか、部下の目が驚愕に見開かれる。その瞳が嬉しさからかキラキラと輝いているように見えて、子供かよと思わず吹き出しそうになった。
「さっすがは兄貴だ!よっ、男前!」
「あ?お前だけで行けよ。俺は知らん。」
「えぇーー!?」
部下が「そんな悪ぶらなくても…」とか、見当違いなことをほざいてるが、男は正真正銘の大悪党なのだ。
「仕方ねえですねえ。ツンデーレの兄貴は放っておいて、ガキンチョたちをこっそり……て、ありゃ?」
「おい、つんでーれって何だよ…ってどうした?」
冷や汗をかき真っ青な顔をして懐を弄り始めた部下に怪訝な顔を向ける。
「……ねぇんです。」
「あ?なにがねぇんだ?」
「だから!ここに入れたはずの牢の鍵がねえんですよ!」
…。
……。
………。
「はあぁぁあ!?」
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