第6話 気高き姫の救い方
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「……字が読めない!」
走り回って煩悩を退散させて部屋に戻ったカルトヘルツィヒ。
彼は本棚に置いてあった魔導書らしき書物を引っ張り出して読もうとしたが、見たことのない文字の羅列に瞬時に挫折した。
考えてみれば当然で、言葉が通じているからと気楽に考えていたが、外国どころか世界を渡っているのである。文字が読めなくて当然だ。
「これじゃぁ勉強どころじゃないな」
ディーナが言っていた魔力が、カルトヘルツィヒの体にあるのは間違いない。魔王軍幹部なのだ。まさか、魔法の一つも使えないわけがない。
けれど、その魔力を扱うための魔法という技術を学べないのであれば、どれだけ大きい魔力を保持していたところで宝の持ち腐れだ。
魔法を使うという手段はここに断念した。
シャルロットの死を偽装する方法も振り出しに戻ったわけで、時間だけが無駄に過ぎてしまったことを意味する。
しかも、魔法以外の手段をカルトヘルツィヒは未だに思い付いていない。
背中からベッドに倒れ込んだカルトヘルツィヒは、天蓋を見上げて半眼になって呟く。
「これ、もしかして……詰んでる?」
死の足音がカルトヘルツィヒに近付いてくる――
頬に冷たい汗が流れるのを感じながら、カルトヘルツィヒは考える。
「死んだことにするのが駄目となると、誰かが勝手に逃がしたことにする? でもなぁ、それこそ逃がしたのは誰だって話になるし、ちゃんと見張ってなかったのかって話になりかねないよねぇ」
あれこれ考えるが、真っ当な案はでてこない。
自分の死。
シャルロットの死。
刻一刻と迫る死への恐怖に顔色が悪くなっていく中、カルトヘルツィヒは一つだけ、策とも言えない、できればやりたくない案を思い付き、左腕を掲げる。
「……これしか、ないかなぁ」
魔王トイフリンが簡単に騙せるとは思えない。
けれど、どうせこのままでは二人揃って殺されてしまうのだ。
カルトヘルツィヒは一縷の望みを賭けながらも、これから行うことを想像し、顔を蒼白にさせるのであった。
■■
再三、シャルロットが囚われている牢屋に足を運ぶカルトヘルツィヒ。
「カルトヘルツィヒ様……」
三度目ともなればシャルロットも驚くことはなく、その目は覚悟を宿していた。
「もし、慈悲を頂けるのであれば、どうか私の首一つを持って、我が国の民への暴虐を止めてくださいませ」
膝を付き、
カルトヘルツィヒの生前と変わらないぐらいの、十代半ばの年頃であろう少女が、これから殺されるかもしれないというのに、無辜の民のためにその首を差し出している。
怖くないはずがない。事実、祈るように組んだ手が微かに震えているのが、カルトヘルツィヒからは見て取れた。
(凄いなぁ)
カルトヘルツィヒにはとてもできそうにない、尊き行いだ。
自分の命のため、一度はシャルロットを殺そうとしたし、助けようと決めた今も、カルトヘルツィヒは己の身を優先し、これから行う案を
(シャルロットさんのように気高く生きられないけれど、今だけは貴女の行動に
ようやく、覚悟を決めたカルトヘルツィヒ。彼の右手が、自身の左二の腕を掴む。
「カルトヘルツィヒ様?」
いつまで経っても首を落とされないことを疑問に思ったのか、顔を上げたシャルロットはカルトヘルツィヒが行おうとしている行動に言葉を失う。
「……っ、~~っ!!」
目を見開き、歯を喰いしばる。
恐ろしさでガチガチと歯を鳴らすカルトヘルツィヒの耳に、ぶちり、ぶちりと筋肉の繊維が引き千切れる嫌な音が響く。
痛く痛くて、涙が流れる。
前回は一瞬であった。気付いた時にはなくなっていた。
止めてしまいたい、もういいのではないか。ここまで頑張ったんだから彼女とて許してくれる。
甘い考えばかりが脳内に廻るが、恐怖しながらも首を差し出したシャルロットを前に退くという選択肢はカルトヘルツィヒに残されていなかった。
そうして、最後の力を振り絞ったカルトヘルツィヒは――己の左腕を根本から引き抜いた。
「っ……っ!? いっっっっだいぃぃいいいいいいいっ!?」
「な――なにをなさっているのですか!?」
知らぬ間にトイフリンに切られていたのとは違い、今回は自身の手で左腕を
自身の手で体を欠落させるという行為はあまりにも恐ろしく、壮絶であった。
傷口が熱くなり、視界が真っ白になる。痛くて痛くて止まらない涙を零して、雨のように床を濡らす。
目の前で行われた暴挙に顔を青くし驚いたシャルロットは、鉄格子から手を伸ばすと自身の白い手が汚れるのも厭わず傷口を押さえようとする。
「はぁ……はぁ……」
「直ぐに止血をなさってください!」
「駄目っ……血は、流さっ、ない……とっ!」
(敵の心配までするんだなぁ、このお姫様は)
明滅する視界。今にも気を失ってしまいそうであったが、カルトヘルツィヒにはやることが残っていた。
彼は持ってきていた鍵を使って牢屋の扉を開けると、肩口の傷跡から零れる血を部屋の中で撒き散らす。
幸い、とめどなく血が流れ、足りないということはなさそうであった。
シャルロットが目を見張る中、作り上げた血の池にもぎ取った左腕を転がすと、残った右拳を強く握り、迷わず叩きつけた。
牢を震わす轟音。
右拳の先では小さなクレーターが生まれ、転がした左腕は肉片となって室内のあちこちに飛び散った。
自身の手で己の腕をもぎ取り、腕を肉片に変える。
まるで自分を痛めつけるかのような狂気染みたカルトヘルツィヒの行動を、シャルロットは腰が抜けたように膝を付き、呆然と眺めている。
「ほ、本当に、なにを……?」
「シャルロット・ブークリエっ、さん」
焼けるような痛みに絶えず涙を流しながら、カルトヘルツィヒは絞り出すようにシャルロットの名前を呼んだ。
彼女に振り返ったカルトヘルツィヒは、痛みで引き攣る表情筋を無理矢理動かして、痛々しい笑みを浮かべる。
「貴女は今ここで、死にました」
「……貴方様は」
カルトヘルツィヒの意図が伝わっているのだろうか。
説明する余力など残されていない彼にとっては、伝わっていると願うしかなかった。
「できればっ……ぐずっ……服の一部をっ、千切って、捨てて欲しい……すんっ、ですけど」
「……かしこまりました」
恭しく頭を下げたシャルロットの行動は早かった。
高価であろうドレスを
一通り作業を終えたシャルロットは、まるで暴漢に襲われたかのような見るに堪えない姿であったが、背筋を伸ばし気丈に立ち続ける彼女は、どこまでも気高く美しかった。
「これで宜しいでしょうか?」
「ありがとう、ございます」
「いえ」
シャルロットが首を左右に振る。
「きっと、お礼を申し上げなければならないのは、私なのではないのでしょうか?」
声に出さずとも『助ける』という意志がシャルロットに伝わっていることに、痛みとは違う理由でカルトヘルツィヒは一筋の涙を零した。
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