第5話 腕力は凄いが魔法は使えない
■■
どうやってシャルロットを殺したことにしようか。
ただ彼女を逃がして、トイフリンに殺しましたと報告したところで、彼女が信用するかどうかは妖しい。
死体もなく、証拠もない。しかも、カルトヘルツィヒは一度シャルロットを無条件に解放しようと提案しているのだ。
そんなお粗末な報告をしようものなら、
『クスクスクス。ええ、そうですの。では、死んでくださいまし?』
想像の中で首を刎ねられ、人間噴水と化した自分の姿を想像し、カルトヘルツィヒは背筋が凍る。
(最低限、死んだことを証明できる証拠は必要だよなぁ)
だからといって、変わりの死体は用意できない。人間を殺したくないから、魔族を殺そうと割り切れるものではなかった。そもそも、カルトヘルツィヒは道に転がるミミズを踏み潰すのだって嫌なのだ。
シャルロットに『逃がす代わりに腕一本ください』というのも血生臭すぎてとても言えない。そもそも、提案する勇気すら彼は持ち合わせていなかった。
いつの間にか生えていた左腕――魔族の神秘にカルトヘルツィヒは驚愕した――と、残っていた右腕を組み、自室でうんうんと唸っていたが良案は浮かばない。
(締め切りもないし、このままうやむやにできないかなぁ……無理かぁ)
自問自答を繰り返し、熱が出るほどに思案していたカルトヘルツィヒははたと閃く。
名案が浮かんだわけではない。けれど、名案を生み出すための手段があるかもしれないと思い至ったのだ。
(魔王とか魔族とかがいる世界だし、魔法だってあるじゃないかな?)
その中には、もしかするとシャルロットの死を偽装するのに役立つモノもあるかもしれない。
そう考え、居ても立っても居られなくなったカルトヘルツィヒは、自然についてくるディーナを伴って城の外へと飛び出した。
――
どれだけ時間が経とうとも夜は明けず、金色に輝く満月だけが世界を照らし出している。
城から出たカルトヘルツィヒは城下を囲うように広がる不気味な森を、身を縮めて恐々と歩いていた。
木々に蔦が絡み、紫色の葉が生い茂る怪しげな森。
樹木に生えた葉っぱかと思えば、葉の全てが蛾であり、瞬く間に飛び去って幹が丸坊主になった時、カルトヘルツィヒは驚きと恐怖で意識を失いかけてしまう。
(やだぁ……なにここ、こわいぃ)
なにがでてきてもおかしくないおどろおどろしい雰囲気に、カルトヘルツィヒは今にも泣きそうになっていた。
せめて、陽が出ていれば歩く勇気も湧きそうものだが、どれだけ時間が経とうとも夜は明けず、金色に輝く満月は未だに世界を照らし続けている。
(夜しかない世界なのぉ?)
陽が暮れない白夜ならばカルトヘルツィヒも知っているが、陽が昇らない
これで一人であったならば恐怖に負けて帰っていただろうが、彼の後ろのは目的も告げていないというのに、黙々と付いてきてくれるディーナが居た。
顔色一つ変えず、優しげな微笑みを浮かべて見守ってくれているのがとても頼もしく、カルトヘルツィヒの心の支えとなっている。
森の中を歩くこと暫く。
木々が開けた場所に出たカルトヘルツィヒは、とりあえずなにか魔法を試してみようと近くの樹木に向かって手の平を向ける。
むむむっと手の平に力を集めるイメージをして、気合一発。
「ふんっ!」
……勢いよく出たのは鼻息だけで、彼の手からはなにも出ない。
メイドさんにニコニコと見守られながら晒した醜態に、カルトヘルツィヒは顔が赤くなるが、初めてなのだから早々上手くはいかないとごほんっと咳払いをして気持ちを切り替える。
(勢いだけじゃ駄目だ。次は魔法名を叫ぼう)
カルトヘルツィヒはゲームや漫画で良く耳にする火の魔法を高らかに唱える。
「ファイヤーボール!」
…………やはり、なにもでない。
効果と言えば、羞恥心で顔が熱くなったことだろうか。温度を上げる、という意味では成功したと言えるかもしれないが、当然カルトヘルツィヒはそのような皮肉めいた魔法を使いたかったわけではない。
ほっぺたを赤くし、恥ずかしさでプルプルと震えるカルトヘルツィヒは、
「雷撃! ファイヤー! ザキ! デス! ホーリー! フラッシュっ!! ええっと、ええっと、
……――
「ぜぇ……はぁ……なにも、でないぃ……」
少々魔法かどうか怪しい呪文も交えながら、ひたすら叫び続けたカルトヘルツィヒは膝に手をついて汗をかき、喉もガラガラになっていた。
ディーナは手ぶらだったはずなのだが、どこから取り出したのか水の注がれたコップをカルトヘルツィヒに手渡す。
コップを受け取ったディーナは、不思議そうに首を傾げている。
「……なにをしていらっしゃるのでしょうか?」
「ま、魔法の練習?」
「私にはただ阿呆なことを叫んでいる滑稽な姿にしか見えませんでしたが……おっと、口が滑りました。どうか、ご容赦くださいませ、ご主人様」
「……うん、いいんだ。気にしないで」
さらっと笑顔で吐かれた毒に、羞恥心を刺激されたカルトヘルツィヒは涙腺は決壊寸前であった。
(もしかして、この世界って魔法なんてないの?)
実際、この世界に来てからというもの、カルトヘルツィヒは魔法を目にしていない。
魔王がいるファンタジー世界っぽいから魔法もあるだろうと勝手に考えていただけだ。
唯一、魔法っぽいのは目にも止まらぬ早業で、魔王がカルトヘルツィヒの腕を千切ったことだ。
けれど、それも魔王であるトイフリンが驚異的な身体能力で成したとするのであれば、一応説明はつく。
この世界の魔族という種族が肉体的に強いのか、一部の者が特別強いだけなのかはわからない。
けれども、カルトヘルツィヒの身体能力は高く、千切れた腕は生えるは、自身の体よりも太い樹木を拳で殴れば飴細工だったかのように呆気なく粉々になってしまうほどだ。
(いやまぁ、腕が生えるのを身体能力の括りに入れていいのかはわからないけど)
種族的な能力の一種と考えれば、おかしなことではない。蜥蜴の尻尾のようなものだ。
こうなってはこの世界についてなにも知らないカルトヘルツィヒでは限界であった。
最初からそうすれば良かったのでは? という真っ当な疑問を頭の隅に追いやって、ディーナに質問することにした。
「あの、ディーナさん」
「はい、なんでございますか、ご主人様」
「魔法は、ある、よね?」
「はい。常識でございますね」
お前は呼吸をしないのかと問われたようで、カルトヘルツィヒはドキリとしてしまうが、ディーナが不審がる様子はない。
怪しまれないよう慎重に、とカルトヘルツィヒは前世で培った巧みな話術を駆使し、魔法についての説明を促す。
「一般的に、一般的な話としてね? 魔法ってどうやって使うの?」
「……あくまで一般的なお話としてでございますね?」
「はい」
友人の話なんだけどね? と自分の話をあたかも他人の出来事のように話す高等テクニックでディーナに不信感を与えずに情報を引き出そうとする。
カルトヘルツィヒは一瞬流れた沈黙が恐ろしかったが、上手く話しの流れを作れたのか、ディーナが追及してくることはなかった。
「カルトヘルツィヒ様であれば当然理解されていることとございますが、僭越ながら完璧なメイドであるディーナがご説明させていただきます」
華麗な
「魔法とは、体内、または大気に満ちている魔力を扱うことによって生じる現象のことを指します。体内の魔力をオド、自然界に満ちている魔力をマナと呼ぶこともありますが、カルトヘルツィヒ様には不要な補足でございましょう」
「そ、そうですね、はい」
全くもって不要なんてことはなかったが、異世界の魔王軍幹部である今の自分が「知らなかった! そうなんだ!」などと馬鹿丸出しで感嘆するわけにもいかず、カルトヘルツィヒは曖昧に頷くに留めた。
「では、いかに魔法の根源たる魔力を扱うかと問われれば、知識、というのが本質的でございましょう。巨大な魔力を持っていようとも、扱い方を知らなければ宝の持ち腐れ。豚に剣を与えたところで、口に咥えて振ったりできないのと同じことでございます」
「……つまり?」
(この世界に豚っているんだぁ。トンカツ食べたいな)
などと、思考が脇道に逸れていたせいか、ディーナの説明が理解できなかったカルトヘルツィヒは、宿題の答えを丸写しする学生気分で結論を訪ねた。
そんな阿呆な生徒にも気分を害した様子もなく、ニッコリと笑ってディーナは話をまとめる。
「知恵なき豚にも理解できるよう噛み砕いて説明するのであれば、魔法の知識がなければ扱えないのは道理。ブヒブヒと滑稽に鳴いたところで、魔法は使えません」
(今、僕、滑稽に鳴くだけの馬鹿な豚って言われなかった?)
いやいやまさか、優しいディーナさんがそんな辛辣な言葉を口にするわけがないと、見目麗しく優しく寄り添ってくれるメイドに絆され始めているカルトヘルツィヒは、内心で否定する。聞き間違いであると。
顔を向ければ微笑みを向けてくれ、彼もにへりと緩んだ笑顔を返す。
「遠回しに僕のこと馬鹿にした?」
どう考えても豚扱いしてたが?
「いいえまさか。カルトヘルツィヒ様を馬鹿にするなど、メイドたる私にできようはずがございません。もし、そう取られるような言い回しをしてしまいご主人様をご不快にさせてしまったというのであれば、誠に申し訳ございません。どうか、愚かなるメイドに罰をお与えくださいませ」
「ば、罰って」
「いつものように、この体をお好きにお使いくださいませ」
「ごふっ!?」
思いきり咽てしまう。
無意識に露出の激しい上半身、特に柔らかそうな白い谷間に視線が吸い込まれる。
(い、い、いつもって……カルトヘルツィヒさんとディーナさんはそ、そそ、そういう関係だったのかな!?)
ディーナほど美しいメイドであれば主人に惚れらるということもあるだろう。
はたまた、気に入ったメイドを手籠めにする夜伽なるものなのだろうか。
(え? つまり、この体は童貞ではないの?)
冷酷クールなイケメンフェイスであるカルトヘルツィヒであれば、モテないなんてことはないだろう。ただ、その相手がディーナだったことに少なくないショックと、現在の己の体がディーナの綺麗な体を知っているという事実に、心は童貞のカルトヘルツィヒは鼻血が出そうであった。
鼻を押さえて顔を上に向ける純情少年に、ディーナがしなだれるようにそっと触れてくる。
「それとも……この場で慰めて、いただけますか?」
「~~っ!?」
上目遣いで、濡れたマリンブルーの瞳がカルトヘルツィヒを見つめる。
身を寄せるように背伸びをするディーナの体が、自然と密着する。
むにゅり、とほどよい大きさの胸がカルトヘルツィヒのお腹で押し潰され、この世の物とは思えない心地良い感触に彼の顔はこれ以上ないほどに茹で上がってしまう。
(あぁっ! あぁあっ!? 無理、ムリ、むりぃいいいいいいっ!?)
青少年には刺激の強すぎる成人指定のアダルトな展開に、カルトヘルツィヒはパニックを起こす。
「だ、大丈夫ですっ! 罰とか、おしおきとかしないので! じゃ、じゃあ先に帰りますね!?」
「あら」
ディーナの剥き出しの白い両肩を躊躇しながらも掴んで引き剥がすと、脱兎のごとくという言葉が良く似合う逃げ足っぷりで走り出す。
(あぁああああああああああああっ!? 惜しかったなんて思ってないんだからねぇええええええええええっ!!)
下心を覚えてしまったこと自体が恥ずかしいと思春期真っ最中のカルトヘルツィヒは、真っ赤な顔で涙を流しながら、目的地もなく煩悩を発散するように走り続けるのであった。
■■
残されたディーナは、
「ふふふ。これはこれは。確定的でしょうか」
明るい水色のアパタイトの瞳が、月夜に照らされ暗闇の中で仄暗く輝いていた。
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