第3話 血のような赤き瞳の幼きゴスロリ魔王

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 ディーナに怪しまれないように魔王の名前を伺ったカルトヘルツィヒは、彼女に案内してもらい、魔王が御座おわすという玉座の間へと訪れていた。


 どうやら城であったらしい建物の内部は、どこもかしこも黒や赤といったダークな雰囲気を感じさせる装飾が多く、蝋燭一つとっても紫色の灯がおどろおどろしく、カルトヘルツィヒはお化け屋敷を歩かされているような気分で終始怯えていた。


 そんな幽霊屋敷かのように怪しさ満点の城、その主がいる玉座の不気味さは群を抜いていた。

 室内を照らすのは、どうやって燃えているのかわからない篝火のような火の玉であり、ワインレッドのカーペッドに沿うように左右対称で燃え上がっている。


 入り口から伸びるレッドカーペットは、玉座へと続く階段を一つ一つ昇っていく。

 十三の階段の先には、魔の王が君臨するための玉座が安置されている。

 そして、一面透明な窓ガラスに映る絵画のごとき夜空を背景に、差し込む月の光に照らされ姿を現したのは魔国ブーゼに君臨せし女王トイフリンである。


 小学生を想起させる、女王というには小さな体躯。

 頭上には魔族の象徴たる黒角は妖しく輝き、月光で煌めく長い金髪を低い位置で二つに結んだツインテールは、彼女の幼さをより際立たせる。


 西洋のゴシックドールかのように、暗い赤と黒のドレスは多くのフリルがあしらわれ、背には夜空を切り取って作ったかのような黒いマントを羽織っており、黒い翼を覆い隠す。

 顔立ちも整ってこそいるが、美少女というよりは美幼女といった印象が強く、将来は絶世の美女になることが約束されてこそいるが、まだまだ幼さを残している。


 一目見た時、カルトヘルツィヒは世襲したばかりの娘か、それともお転婆な魔王の娘の遊びであるかと考えたが、彼女の血を固めたような赤い瞳を見た瞬間に冷や汗が止まらなくなり、瞬間的に膝を折って頭を垂れてしまった。


(な、なに……今? し、心臓を握り潰された?)


 心臓はある。これまでの人生で初めてというぐらい、早鐘する心臓が鼓膜を何度も叩いて己の存在を主張している。


 息ができない。過呼吸になり、どうにか肺に空気を取り入れようと呼吸が荒くなる。

 指先から全身にかけて小さな震えが止まらず、己の顔は見えずとも、カルトヘルツィヒは血の気が引いた青い顔をしていると容易に想像ができた。


(これが、この世界の魔王……っ)


 舐めていた。けれど、それは無意識だ。

 カルトヘルツィヒの体になってから、まだ一日も経っていない。

 その短い間で出会った人々はシャルロットやディーナを除いて悪魔の姿をしており、非道なことを口にこそするが、カルトヘルツィヒの目の前で悲惨な行為をしたことはなかった。


 なにより、倫理として培った漫画やアニメといった創作物の中の魔王は、コミカルに描かれることが多く、恐ろしさを明確に表現する作品は少なかった。

 話せばわかる。そう考えていたカルトヘルツィヒは己の甘さを身を持って痛感していた。


(あれは、少女の形をした怪物だっ。頼み事をしようなんてはなから間違っていたんだ!)


 これはもう本能からくる怯えだ。逃げねば死ぬと心が訴えている。

 けれど、もし悲鳴を上げて無様に逃げようものならば間違いなくカルトヘルツィヒは殺される。それこそ、雑草を狩る程度の気軽さで、容易く。


 体が石になってしまったかのように動かせない中、黙っていたら死ぬという直感から、カルトヘルツィヒは声を震わせながらもどうにかシャルロットを解放しないかという意味の言葉を口にする。

 怯えながら話す彼の言葉がトイフリンの琴線に触れたのか、楽しそうに鈴の音のような笑いを零した。


「クス、クス。クスクスクス。ええ、ええ。わたくしのカルトヘルツィヒ。随分と面白いことをのたまいますのね?」


 可憐な声。指先一つの些細な動きですら人を魅了してやまない少女は、椅子に立てかけていたフリルの可愛らしい黒い日傘を広げると、ふわりと宙に飛ぶ。

 空中でゆらゆらと花びらのように揺られながらリボンの付いた黒いローヒールが、カルトヘルツィヒの目の前の赤いカーペットに爪先から触れる。

 近付く足音に、カルトヘルツィヒは一層身を固くする。


「人族の、それもユマン王国の王女を解放しろなんて。クスクスクスクス。おかしすぎてお腹が捩れてしまいそうですわ」


「駄目、でしょうか?」


 迫るトイフリンの声に、カルトヘルツィヒの背筋がぞくりとする。

 恐怖の象徴であるのに、彼女の声はカルトヘルツィヒを魅了してやまない艶があった。

 恐怖と愛おしさがせめぎ合い、カルトヘルツィヒの心は硝子玉のように今にも砕けてしまいそうだ。


(気配と、声だけで、殺される……っ)


 心の生皮を一枚一枚剥がされているような感覚に、遂には涙を零しかけた時、トイフリンは意外な言葉を口にした。


「理由は?」


「え、」


 驚いてカルトヘルツィヒが顔を上げれば、日傘を差した少女がニコリと可憐な笑顔を浮かべる。


「理由は、と聞いていますの。まさか、わたくしに進言するというのに、可哀想だから解放しようなどという道化にも劣る言葉を宣うわけではありませんでしょう? ねぇ、冷血冷酷なわたくしのカルトヘルツィヒ?」


(これは、慈悲、なのかな?)


 意識を保つのもやっとであった、死の怪物の気配は霧散し、見た目通り幼い少女の愛らしさのみを残したトイフリンに、カルトヘルツィヒは途切れながらも自身の気持ちを口にする。

 取り繕う余裕もなく、彼女への説得はとても拙いものであった。


「こ、ここで敵国の王女を帰すことにより、王女は私たちに好感を持ちます。情があれば、攻めずらくもなりましょう。内部で揉めれば、それだけ私たちの理となるかと」


「……あはっ」


 瞬間、少女が笑う。

 我慢しきれないと、持っていた日傘を放り投げて、幼い両手でお腹を抱えて、城内に響く哄笑を上げた。



「――アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」



 笑う 笑う 笑う 笑う 笑う 笑う 笑う 笑う 笑う


 壊れた喋る人形のように笑い続けるトイフリンは、幼子がただ笑っているようであり、殺人鬼のように狂気にも満ちていた。

 目に涙まで浮かべて一頻り笑い転げたトイフリンは、華奢な指で目元の涙を拭う。


「ええ。ええ! ここまでお腹から笑ったのはいつぶりかしら? うふふふふっ。カルトヘルツィヒがあまりにも面白いことを言うものだから、危うく笑い死ぬところでしたわぁ」


「で、では……!」


「ええ、ええ。だから――腕一本で許してあげますわ」


 トイフリンが持ち直した日傘が赤い雨で濡れる。


「――え」


 グチャリ、と肉が潰れ、繊維を引き千切る音がカルトヘルツィヒの内側から響いた。

 意識の空白。瞬きの間に世界がすり替わったかのような違和感。

 彼の目には、赤いドロリとした水滴で頬を濡らすトイフリンがおり、彼女の片手には黒い布で覆われた人の腕が握られていて――


「ぁ……ぁあああああああああああああああああああああああああっ!?」


 ――世界が赤と白で明滅した。


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛


 カルトヘルツィヒの頭の中は痛覚のみで一杯になり、左肩口から零れる血を残った右手で抑えながら、理解しきれない痛みにただただ泣いた。

 嗚咽を零し、ヒューヒューとか細く呼吸を繰り返すことによって、僅かに痛み以外の思考が戻ってくる。


(腕を、もぎ取られた……っ!?)


 なんの躊躇もなく、触れられた感触すらなく、気が付いた時には腕がなくなっていた。

 なにが起こったのか分からないのもカルトヘルツィヒは恐ろしいが、なにより恐怖するのは、人間の腕を引き千切っておきながらトイフリンが幼子のような純朴な笑顔を浮かべていることだ。


(子供が好奇心で蟻の足を千切るようなものなんだっ。魔王様にとって僕は、虫と変わらない……っ)


 魔王に対する畏怖と、腕を千切られた想像を絶する苦痛で、カルトヘルツィヒは身を丸くしてボロボロと涙を流し続けることしかできなかった。

 その姿こそがなにより面白いと、少女の形をしたナニかは口の端を三日月のように吊り上げてなお笑う。


「あぁ、カルトヘルツィヒ! これ以上笑わせないでくださいません? 腕をもぎ取られた程度で泣き叫ぶなど、貴方らしくありませんわよ」


 クスクスクスと上品な笑いを零したトイフリンは、奪ったカルトヘルツィヒの腕をくるくると弄ぶと、指を口に咥えて鈍い音を立てて喰い千切った。

 惨たらしく耳障りな音が、玉座を満たす。


 腕一本。丸々食べきったトイフリンは、血のルージュで彩った唇を震えるカルトヘルツィヒの耳元へ近付けると、耳たぶを甘噛みして囁く。


「今回の件は、道化のように笑わせてくれたから許してあげますわ。だから、ちゃぁんっと、貴方の手で、あの娘を殺しますのよ? ねぇ――わたくしのカルトヘルツィヒ?」


 幼き少女の姿をした怪物は、歯を剥き出しにして獣のように笑う。


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