第9章 西行 3

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 皇都アキシュバルを奪った12諸侯らは、皇帝を弑逆してより1日後に、都市ミナオから届いたとある報告に驚愕せしめられていた。第6皇子ファルシール存命の報である。


 諸侯ウズルガーンたちは、アキシュバルの東方の荒野に迫っていたキースヴァルトを迎撃する準備を進めている最中であったが、急遽、軍議を開く事になった。


 主が居ない玉座の間にかいした12人の諸侯と元宰相は、互いに焦りと苛立ちを隠しきれない様子であった。


「よもや、あの臆病な子羊ハマヌフスが生きておるとは……」


「いかがする」


「いかがするも何も、見つけ出して始末するより他ないだろう」


「然り。皇帝と二人の皇子を討ち取ったは良いものの、皇家の直轄領は未だ手付かずであるし、最悪、第6皇子が我らに仇なす勢力を鳩合して義挙なぞしたら、甚だ厄介だ」


「ほう義挙、と申されたか。なるほど、では大義は皇子にあると言うのだな?」


 ざわめく面々の中でトゥラージ侯アミル=ハシュがアシュカーン侯に噛みついた。


「そうは申しておらぬ。ただ、どこぞの新貴族やらに保護なり脅されるなりして新皇を擁立されたら、嫌でも大義名分になろう、と言うておる」


 アシュカーンは迷惑げに返した。


「では今回の事、三皇子の殺害を企図された者が、責任を取って片付けるということで良いのではないか?」


 日に焼けた肌に色の抜けた髪を後ろで結んだ若い諸侯、アミル=オーミードは早く会議を終わらせたいように、1人の諸侯を暗示した。


 一同の視線は上座の玉座前に座ったその者へと向いた。ナンガルハル侯アミル=セシムである。セシムは丸く膨れた腹をひと撫でして、冷や汗でぐっしょりとなった顔を手巾で拭った。


「お、落ち着かれよ各々がた。何も問題はない。そうであるな、アルサケスよ」


 アミル=セシムは後ろで控えて立っていた息子のアルサケスに思考をするのをやめて丸投げした。


 26歳になるセシムの息子は、愚昧な父親の転嫁に、いつものごとくすぐさま応えた。


「はい。父上。報告を受けてより直ちに捜索隊を出発させました。騎兵500、歩兵1200。すべて抜かりなく」


「皇子1人を探すのには多すぎではないか? 目の前に15万の蛮族が待ち構えておるのに。それに、あからさまに兵を動かすなど」


 マーザンダーラーン侯アミル=ジャーウィードが冷めた声音こわねで指摘した。


「その事に関しては心配せずとも良いと存じます」


「ほう?」


「皇子の抹殺は秘密裏に済ませねばなりませんが、寡兵で挑んでも時間がかかるだけ。最大限に最小の兵員を差し向けました。また、目下、我々の兵力は40万。城内には大多数が、城外にアミル=ハシュの軍が布陣してキースヴァルトに睨みを効かせております。この状況下で2000人規模の軍が出城しても、大した害はありません。また、あからさまに違う方向へ軍が出た場合、我々に奇計があふとキースヴァルトは錯覚するでしょう。そうなればキースヴァルトは警戒を強めて動かず、様子を見ると考えられます。その間に糧食や兵員の補充が可能です」


「一理ある」


 諸侯たちはアルサケスの論に各々納得した様子で頷いた。彼らの脳裏には、皇帝殺害の成功と、蛮族との戦いへの勝利の確信があった。故に、もとより腰抜けと評される第6皇子の捜索も楽観的に考えていた節があった。


「俺にも異論はない。もとよりアミル=セシムの兵なしでも、我らトゥラージの軍だけで十分であるしな。何なら寡兵でちまちま追うより、もう5000ほど足したらどうだ。ナンガルハルの兵は足が遅い代わりに頭数あたまかずだけは一級だからな」


 アミル=ハシュが鼻を吹かして笑いながら言った。


「お言葉痛み入りますが、小倅こせがれ1人にそこまで人員を割く必要はございません。父上は盟主としてハシュ殿が攻める間の城の守りを預かっておりますゆえ」


「ふん」


 アミル=ハシュはアルサケスの小生意気な腰の低さに、鼻を鳴らして黙った。


「話しは終わりか? 終わったならもう席を外すが」


 アミル=ファーラーズがそういって席を外すと、他の諸侯たちも自然と散って軍議は終わった。この時、宰相のベルマンは始終ひとことも発しなかったが、誰からも不思議がられる事はなく、むしろ黙っていて殊勝なものだと思われた。


   。。。


 軍議が終わった後、アルサケスは諸侯たちの前では見せない尊大な態度で歩く父親の後ろに付いて、皇宮の翡翠の回廊を歩いていた。まるで自分の城のように靴底をならして、乳白色の上質な大理石が敷き詰められた道を歩く後ろ姿は、アルサケスには滑稽そのものであった。


 前日に2000人の宮廷人を虐殺した生々しい血の痕が残る謁見広場を回廊から眺めつつ、2人は一路、玉座の間がある翡翠のドームの奥にある後宮ハレムへと向かっていた。


 後宮ハレム、それは皇帝と皇子たちの妻たちが住まう場所である。皇宮の敷地の3分の1の広さを持ち、塀で囲まれたその中には、妻たちの宿舎に、食堂、調理場、大浴場、菜園、庭園、いおりなど、大小さまざまな建物が設けられ、皇子を産み育てる宮として皇宮の中枢にあった。


 皇宮を占拠した際、セシムはアルサケスに命じて官吏の者たちを捕らえさせると同時に、後宮ハレムを確保させた。


 無論、絶世の美女を好きに選りすぐる楽しみのためでもあるが、実際には高貴な子女を人質に取って、未だ従わない新貴族や騎士たちを一手にセシムの麾下に加えるためでもあった。ゆえに諸侯たちはセシムへ一致して不服を申し立てていた。


 セシムは他の諸侯が手を付ける前に、後宮ハレムの妻たちから女官に至るまでを検分して、ひそかに手元に置おくために向かっていた。


「アルサケスよ。宦官アースから女たちの名簿は確保しておろうな」


「はい。助けてやる代わりに差し出すよう申し渡すと、すぐさま差し出して来ました」


「上々上々」


(実に機嫌の良い。なまじ丸々と肥えた腹に威厳と履き違えた尊大を抱えているだけに、こういうとき父上は何を仕出しでかすか分かりにくい。)


 アルサケスは鼻歌でも歌い出しそうな父親の様子を心の中で冷笑しつつ、一抹の不安を覚えた。


 父セシムは、部下に難題を押し付けて、出来ないと答えたり、出来ると言っておきながら出来なかった者には「そうか」と言って顔色ひとつ変えずに首を跳ねる男であった。アルサケスには兄が居たが、アルサケスが幼い頃に、兄が父に献上した葡萄酒の味が好ましくなかったという理由で目の前で首を落とされた。


 アルサケスはそんな父親の元で育って、幾ばくか機嫌の取り方を身につけてきた。幸い殺された兄より頭は回ったので今も父の優秀な側近として権勢を振るっているが、次は我が身となる可能性はいつも身近に居るのである。


 回廊の突き当たりを右に曲がった奥まった場所に門が見えた。セシムの麾下の兵が2人、門に槍を交差させて警備をしている。兵はセシムとアルサケスを視界に入れると、慌てて跪いた。


「開けよ。そして何人も入れるでないぞ」


「「……ハっ!」」


 セシムのめい後宮ハレムの門が開けられた。


 アルサケスはセシムに付いて門をくぐった。


 塀で囲まれた後宮の内は静かそのものであった。荒らされた跡もなく、焼け落ちて凄惨な外界とは一切隔絶された場所で、噴水が湧く溜め池のそばには薄紅色の寒芍薬レンテンローズがひっそりと咲いている。


 池の中には石橋が架けられ、中央の丸屋根の東屋へと続いていた。


「あれは?」


 セシムは東屋の腰掛けに座る1人の人物に気が付いてアルサケスに問うた。


 絹の白いチュニックに、赤く染め上げた上着トーガを纏った人影は、華奢で柔らかな曲線を持つ後ろ姿から若い女性であることは判る。


「背姿からは判りかねますが、上着トーガからして正妃かと」


 そして後宮ハレムで色のついた上着トーガを身につけて良いのは、側妃などの高位の妻だけであった。


「アルサケスよ。ここは確か」


「はい。第6皇子の区画シャベスターンでございます。」


第6皇子ファルシールのか。ふむ」


 セシムは何かを決めたように鼻を鳴らすと、石畳の敷かれた道を外れて、草花を踏みつけながら池の上に浮かぶ東屋へと進んでいった。


(あの正妃に何をしようというのやら……)


 アルサケスも後を追う。


「そのほうおもてを上げて名を名乗れ」


 東屋ではセシムが早速、不躾な態度で女性を詰問していた。


あるじ以外の殿方に上げる顔も名乗る名もございません」


 女性は、曇り空の下でも判る白く透き通った肌に、後ろ手に編んで降ろした亜麻色の髪が、すらりと伸びる首筋に掛かって艶やかであった。しかしどこか落ち着いた風体で、声にも芯の強さが伺い知れた。


「我を誰だと思うておる」


 セシムは女性の強気な返答にいかるでもなく平坦な声音で言うと、女性の手首を掴んで引き上げた。だかま女性は顔を避け続けた。


「アルサケス」


「は」


 アルサケスは父の命を受けて、女性を掴むのを代わった。セシムは女性の頬を掴んで無理やり自身に向けた。


「放しなさい!」


 女性が振り払おうと首を振ったその時、垂らした前髪の隙間から額の端に細長く割けた古い傷痕が垣間見えた。


「これは驚いた。第6皇子はキズモノの女を正妃にしていたとは」


 美しい女性である。穏やかな目鼻立ちに、まだ拙さが残るが、容姿だけ見れば、間違いなく正妃と言える女性であった。それだけに、額に大きな傷があるのが惜しくも感じられた。


「殿下は気になさいません」


「これはこれは、噂に違わぬ色好者よな。女と見ればなりふり構わぬとは」


 セシムは嘲る乾いた笑い声を女性に向けた。


「何をしているのです!?」


 後ろのほうから慌てたような女性の声がした。


「アイラーシュ!」


 セシムが振り向くと、池の石橋の前に何人もの女性が怒りや焦りを露にして集まってきていた。皆、17、8そこそこに見える若い女性たちであるが、貴人という風格で、セシムたちに物怖じしない。


「ここは男子禁制、何をなさっているのです! く去りなさい!」


「黙れ女。我はナンガルハル侯アミル=セシムであるぞ」


 セシムの声は冷たかったが、自信と尊大さに溢れていた。


「良いか、皇帝は我ら諸侯が殺した。皇都アキシュバルも既に掌握済み。これからは我ら12諸侯がシャリムを治めるのだ」


 後宮の妻たちは、外の詳しい様子を知らなかったが、連日の騒ぎの大きさと、セシムの言葉で徐々に理解したようであった。


「そのような暴挙、神々は許されないわ!!」


「なんて恐ろしいことを……!」


 妻たちの中から叱責の声が飛んだ。セシムは構わない。


「皇太子も第3皇子も死んだ。お前たちの主も死んだ。いや、これから殺す。数日のうちに血の抜けた生首をそなたらの前に投げ出してやる。大人しくしておれば、晒し終わった首から耳の片方でも形見にくれてやろう」


 セシムは、さも有難いことをしてやっている、という風に言った。


「殿下を……」


「なんて事!」


 第6皇子の妻たちは悲しむより、怒りを見せた。


(ほう。意外なものだ。後宮ハレムめかけたちは、主が死ねば解放されると喜ぶものだ。あの皇子、宮廷では女官も引っ掛ける色好いろずきで有名だったが、めかけたちには好かれていたらしい)


 アイラーシュと呼ばれた女性は、セシムを真っ直ぐと睨むと、周りの声を静めるような強く静かな声で言う。


「殿下はあなた方には殺されません。あのお方は必ず私たちの前に生きて帰られます。必ず」


 アイラーシュの声は強がりではない確信と信念に満ちていた。そして他の妻たちの意志も同様であった。


 セシムは眉をぴくりと上げた。


(あの皇子の何が女たちをこうまでさせるのか。ともかく、父上の機嫌をこれ以上損ねるのはいかんな。貴重な人質を死なせるのは得策ではない)


 アルサケスは腕の中で振りほどこうと身をよじるアイラーシュを、わざと手を放して解放した。


「女、名をアイラーシュと言ったか」


 アルサケスはアイラーシュに問うた。


「答える道理はありません」


 アルサケスはするりとアイラーシュの耳の横に顔を近づけると、低く潜めた声で耳打ちをした。


「(大人しくしておいた方が良い。父上はやると決めればやる。今はまだ機嫌が良いから放っているが、気が変わって殺されれば、例えお前の主が生きていても再びまみえることは叶わなくなる)」


「どういうつもり──」


 アルサケスはアイラーシュの疑問に応えることなく言葉を遮って不機嫌になりかけている父親に進言した。


「父上、この者たちを離宮イスファハーンへ移してはいかがでしょうか」


「なに?」


 イスファハーンはアキシュバルの北方2日の距離に位置するシャリム第二の都市で、シャリム皇国の前にあった王朝が都として造営した都市である。アキシュバルへの遷都が成ってより800年、皇家や貴族たちの夏の離宮や避暑地として、永らく栄えてきた。


第6皇子ファルシールを釣り出すのです。この者たちの執心ぶりからするに、の皇子は相当に入れ込んでいると見えます。この者たちを人質にして皇子を呼び出せば、父上は労少なくして臆病な子羊ハマヌフスの首を獲れるでしょう」


「なるほど、良い考えだ。あそこであれば、他の諸侯たちも手を出して来まい。すぐに移せ」


「は。直ちに」


 アルサケスは父親の決定に従って、ひそかに後宮に兵を入れた。翌日には第6皇子の後宮から一切の妻たちや女官たちを秘密裏に連れ出した。さらに、皇太子フェルキエス、第3皇子センテシャスフ、皇帝の後宮ハレムからも、選りすぐった者たちを荷馬車に積み込んでイスファハーンへと移した。


 アルサケスの手腕は容赦のないもので、白昼堂々と兵を動かしても怪しまれないよう、奴隷移送用の檻に奴隷と貴女たちを混ぜて詰め込み、東門からミナオに向かわせるフリをさせ、その後、進路を北のイスファハーンに変えさせたのである。


 貴女の中には劣悪な環境に絶望して自ら命を断った者もいた。


 後の世に言う、イスファハーン捕囚である。


 皇都が陥落してより2日、アキシュバルからイスファハーンへ、曇天の下に悲壮な道筋を辿る馬列の砂煙が長く立っていた。



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