第8章 ホシュウルの決意 2
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小屋の外の風は雲が途切れて星空が覗く頃には止んでいた。与一は食事を終えると、顔を合わせづらいと言うファルシールに頼まれて焼いておいた肉を持って小屋の外に出た。
外には林間から覗く星明かりしかなく、暗い。辺りを見渡して離れた木陰にケイヴァーンの影を見つけた。ケイヴァーンは倒木に腰掛けて剣を拭いていたが、与一が近寄るのに気づくと、剣を鞘に直した。
「······ケイヴァーンさんですよね。ファル······皇子殿下から言伝てで、あなたも早く食べるように、だそうです」
「かたじけない」
与一が食事を渡すと、ケイヴァーンは恭しく受け取った。与一に対してではなく、皇子からの下賜品だからである。
「殿下はその後何か仰られましたか」
「特には。なんか、ゆっくり考えるから明日まで待って欲しいんだそうです」
「そうでしたか。殿下にはとても悪いことをした」
ケイヴァーンはそう言うと食事をとりはじめた。筋ばった馬の肉を大きく一口かぶり付き、噛み千切る。
与一は手持ち無沙汰になってので、距離を空けてケイヴァーンの横にこじんまりとまとまって座った。
しかしケイヴァーンは瞬く間に食べ終わると与一に向いた。
「ヨイチ殿と言われましたね。名乗るのが遅れた。私はケイヴァーン=ファーシ。先皇陛下の元で万騎将を仰せつかっていた。先ほどは諫言頂き本当に助かりました。私はどうも急ぎすぎるきらいがあるようで。そのせいで殿下を随分困らせてしまった。礼を」
ケイヴァーンは頭を下げる。
「よしてください! あれはイグナティオさんが目配せしたからですし、なんか空気重かったからで······! それに、あんまり気負わなくても良いと思います。ファル······皇子殿下もそう言ってましたし!」
与一があたふたとして頭を上げさせると、ケイヴァーン素直に顔を上げた。
「あ! 俺は、長井与一って言います。よろしくお願いします」
ケイヴァーンはころころと表情を変える与一を見て、少し硬い表情を解いた。
「ヨイチ殿は異国の出で?」
「······え? ああ、一応そうなるんですかね。たぶん」
「いつ殿下とお知り合いに?」
「いつ······? 3日くらい、いや4日くらい前ですかね、たまたまホスロイ? の森でばったりと出会ったっていうか何というか」
「最近なのですね」
「そうですね。最近って言っても何かすごい時間経ってるような気がしますけども」
「しかしその間、常に殿下のお側に居て助けておられた」
「え!? 助けてっていうか、逃げてただけですし、旅は道連れっていうか、そんな大層な事は──」
自身で言っておきながら、キースヴァルト相手に大立ち回りをしたり、ミナオで逃げ回ったりした事を思い起こした。
「ヨイチ殿には感謝してもしきれません。仕えるべき主と生きて
ケイヴァーンは立ち上がると口を横に結んで目を閉じ与一の前に片膝を突いて跪いた。
「ちょ! いや!? なっ!?」
(この国の人ってなんでみんなこうなのぉお!??)
与一は砂漠でファルシールにされた事を思い出した。
「もう、そんな事しないで下さいってば!! そんなに膝つけたりしてたらすぐ汚れますよ!!」
与一はそう言ってすぐさましゃがみこんでケイヴァーンを起こそうとした。するとケイヴァーンは鼻から息を漏らすように笑い出してしまった。
「······ふふはは! ヨイチ殿、それではあなたも膝が汚れてしまう」
「な!? と、取りあえず立って下さいよぉ!!」
ケイヴァーンはしばらく小気味良く笑うと、与一の勧めにしたがって立ち上がった。
「不思議です。あなたとは知り合ったばかりの気がしない」
「なんか色々ありすぎて、よく分からなくなってるんですよ、きっと!」
「そうですね。色々ありすぎた」
ケイヴァーンはいつの間にか西の端に姿を見せていた半月をおもむろに見遣った。風は止んでいたが、木々の間を通り抜けるそよ風は、森に佇む2人の白い吐息を谷底へと吹き流した。
「ヨイチ殿」
「ヨイチで良いですよ、俺の方が年下だし、身分······とかもたぶん下なんで」
「······殿下の騎馬に同乗されておりましたのに?」
「あ、うわ、いや、俺、馬乗れないので、乗せてもらってただけなんです」
「あなたと殿下はとても懇意なのですね」
「成り行きで友だちになっただけで······あ、皇子さまと友だちってマズいですかね······」
ケイヴァーンは得心が行ったような顔をした。
「いや、納得した。やはり、殿下とはご友人だったのですね。どうりで殿下はあなたを傍に置きたかったのですね」
「そう、なんですかね······」
不安げな与一に構わずケイヴァーンは続けた。
「ヨイチ殿、いやヨイチ。殿下は今、大きな岐路に立っておられる。聞いていたと思うが、殿下はこれから多くの困難に立ち向かわねばならないだろう。皇位にお就きになるにせよ、その他にせよ、だ。その時、殿下には誰も居られない。私は生まれてよりこのかた、常に騎士として生きてきた。これからもファルシール殿下を主君として仰ぎ続ける。だから、ヨイチには殿下の傍に友として居続けて差し上げて欲しい」
ケイヴァーンは真っ直ぐな眼差しを与一へと向けた。与一はケイヴァーンの実直な言葉に面痒さを感じたが、先刻の小屋の床に座っていたファルシールの小さな背中を思い出して、ケイヴァーンにゆっくりと頷いた。
しかし与一には、早く元の世界に帰るという決定事項がある。いつまでもファルシールの横に居られる訳ではない。後ろめたさも、湧いた。
「寒いですよね。そろそろ入りませんか?」
「慣れている。それに、まだ追っ手から逃げ切った訳でもない。私は見張りを続けるつもりだ」
ケイヴァーンは腰に下げた剣の柄を軽く叩いた。
「そうですか、俺、戻って大人しく寝ときます······」
「ああ」
「お疲れさまです」
「殿下にも心安くお休みになられるよう伝えてくれ」
「了解です」
与一は少し晴れ晴れとした気持ちで小屋へと戻った。振り返って見えた木陰に座る騎士の影は、どこか頼もしく思えた。
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