第7章 敗軍と賊軍と 1

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 死屍累々ししるいるい乱離骨灰らんりこはい阿鼻叫喚あびきょうかん、ありとあらゆるこの世の凄惨さを坩堝に投じて焼き溶かしたような地獄がアキシュバルに現出していた。家々の屋根は焼け落ち、壁はひび割れて崩れ、もはや人か塵芥じんかいかの区別がつかないものもそこら中の道端に転がっている。


 夜半に放たれた火種は風に乗って拡がってアキシュバルを焼き尽くし、明け方にはおぞましい残骸だけを残して残り火を燻らせる程度に鎮まった。


 その地獄の中、灼熱から一変して細雪の舞う寒空のもと、円城の四方の門より兵馬の列が整然と入城していた。


「生きている者は兵民問わず一ヶ所に集めろ! 皇宮と神殿以外は全て不要だ!」


 入城を前にしたアミル=セシムの命によって、ことごとくの建物は壊され、人という人は歯向かえば殺されるか奴隷として捕えられた。


 軍紀によって略奪は禁止されていたが、所有者の見当たらない財貨をくすねたところで、咎める者もない。兵士の鎧の懐には死体から剥ぎ取った金銀財宝が詰められ、農奴の痩せこけた身体とは裏腹にふくよかに見えた。そうしてアキシュバルに入った諸侯の軍は、栄華の都を奪い尽くしたのである。


(兵を養うためとは言え、我ながらむごいことを言ったものだ)

 昼頃、父アミル=セシムの横に付いて細かな報告の処理をしていたアルサケスは、皇宮のとあるバルコニーから城下を望んで心のなかで溢した。


 アルサケスはアキシュバルの財貨が、何も金や銀などの貴金属だけではないことを心得ていた。彫刻、絵画、書物、遺構、室内調度品、全てが価値あるものであるのを知っている。知った上で火を放つよう父に進言した。


 理由の一つは皇国の"支配"が終わった事を世に知らしめるためである。大陸の東西貿易の要であるアキシュバルは、文化と富が入り雑じる交差点である。その支配を行っていたシャリム皇家は、行路の守護者であり、文化の受容者であると言えた。その行路の中心地であり、そこを境に大陸の東西が分かたれるとも謳われるアキシュバルが、シャリム皇家に支配に、いかに重要な意味を与えるかを考えれば、破壊して然るべきものである。もちろん史記に記されれば蛮行として名を残すことになるのは承知の上である。


 加えて、計画の段階で、この度の出兵には多大な出費を強いられる想定であった。まず、皇国と違って正規軍を常設していないために兵を徴用し練兵する必要があったし、その分、膨らんだ兵糧を賄う必要があった。そのためには皇都全域の貴金属以外の財貨も含めねばならない事は言うまでもなかったが、農奴たちには芸術の価値がわからない。彼らに「これが報酬だ」と女神の塑像を渡したところで、それより金をくれ、と捨てられる事は明白であった。そうであるならば、最初から苦労して拾わなければ良いのだ。ベルマンの思惑の事も考えてはいたが、一番は費用の捻出である。

(そもそも、父上が諸侯たちとの軍議で30万の軍を出すなどと言うからだ。出せて20万のところを30万で押しきったのは、諸侯のなかで優位に立ちたい父上の意地以外の何でもない)


 父の出す難題は、全てアルサケスが処理する。というより、処理できる者がアルサケス以外に居ない。さらに正確に言えば、処理できない者はすでに生きていない。失敗したり逃げたりする者は、みな例外なくその場で斬首された。何気なく発した難題でも、断れば「そうか」と言って死刑吏が出て来るのだ。


 幼い頃よりそのような父や家臣を見て育ったアルサケスは、殺される恐怖というよりは、父への無心の恭順を覚えた。幸い、器量が良かったアルサケスは父の難題を全て完璧に処理して、進んで引き受けるまでになった。しかしそれは父への尊敬からではない事は確かである。現在、セシムは息子をそばに置いて重用しているが、一度でも出来ないとなれば、やはり首を跳ねるであろう。そこに父子の情などは存在しない。アミル=セシムはそういう男である。


 今、アルサケスが父セシムと共に居るバルコニーでは、父のその"慣習"に倣って、物事が進められていた。


 昼ごろ、3つのイーワーン(半ドーム)が囲む皇宮の閲兵広場に、2000余りの人々が集められていた。官吏に兵士、貴族、将まで、皇宮に仕える者たちである。


 その中に、血まみれで体中に杭を打たれた大男の姿があった。上裸に剥かれて、荒縄で首と腕を後ろで結びつけて縛られ、地面に突き出された壮年の男、万騎将アフシャルであった。


「お前、わしに仕える気はないか?」


 皇帝が閲兵する際に用いるバルコニーに椅子を置いて、検分するのはアミル=セシムである。


 アフシャルの身体からは血が止めどなく流れ出ていた。花崗岩で敷き詰められた石畳と石畳の間の溝に血が流れて、四方に拡がっている。混戦の最中、見方の裏切りで捕えられたのだ。


「わしはお前のような勇猛な将が欲しいのだ。今や皇帝も継ぐ者もおらぬ。仕えるべき主がないならば、わしに仕えるのが良いと思うが?」


「──······」


 アフシャルはセシムの問いに、無言と侮蔑の眼差しを返した。それを受けて、セシムは少し困った顔をした。


「あれを見よ。お前の同胞たちの成れの果てだ。ああはなりたくないであろう?」


 セシムは右手にあった太い杭の列を指差した。そこには、石畳を掘り起こして太い丸太を地面に刺した杭に、縄で縛り付けられた刺し傷だらけの死体が晒されていた。万騎将ピルーズである。先刻、同様にセシムに問われて拒んだ後、先にセシムに恭順した100人の将や官吏によってボロ紙のようにめった刺しにされて処されたのだった。のちに遺体は城門に逆さ吊りにされるだろう。


「......豚め」


 アフシャルはそう吐き捨てた。セシムは「そうか」と、ひとこと言って右手を上げた。


「わしに忠誠を誓った者たちよ。務めを果たせ」


 アフシャルの横に控えていた元皇帝の家臣たちは、剣を構えた。しかし、恭順者の手は震えて行動を起こせない。アフシャルの武勇も忠義も、全て知っているからである。


「ううむ。そうか。アルサケスや」


 セシムは一瞬で見限ると、アルサケスへと振った。アルサケスは静かに頷いて了承すると、そばに仕える兵士に命じた。


れ」


 兵士たちは槍を構えると、100人の恭順者たちを取り囲んだ。


「「な、なにを......っ!?」」


 次の瞬間、一斉に突きだされた槍が恭順者たちを貫いた。


「ぐぁっ!」


「.....がっ」


「あ、あハ.....」


 槍が引き抜かれた後には、100人の恭順者のむくろが折り重なった。アフシャルはその中央で怒りと憎しみに震えていた。


「......下衆がっ!」


 セシムはアフシャルを睥睨して「次の者、前へ」と続けた。そうして次の恭順者を作るのである。


 それから暫くして丁度10人ほどがセシムの前に突きだされた時、従者からセシムに報せがあった。


「ほう。もう諸侯らは集まっているか」

 セシムはひととき悩んで、さっぱりと決めた。


「待たせるのは良くなかろう。残りはもう良い。アルサケス」


「かしこまりました父上」


 アルサケスは意気揚々と回廊を歩き去っていく父の後ろ姿に礼をした。それから振り返って広場に向いた。


「残しておく必要はないとの仰せだ」


 その日、城下の兵士たちは皇宮から響いた2000人の断末魔を聞いた。




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