第6章 雲厚く日未だ見えず 5

   5


「イグナティオ......っ!!」


 ファルシールは怒り心頭の形相でケイヴァーンと名乗った男と共に居たもうひとりの男をそう呼んだ。呼ばれた男は面白くない様子で与一とファルシールから顔を背けた。ファルシールはこの男によく見覚えがある。


「忘れはせぬぞ! 2日前はよくも......!!」


 ファルシールは腰の短剣アキナカに手を掛けた。ファルシールは今にも斬りかかりそうな剣幕でイグナティオを睨み付けている。


「で、殿下......!?」


 ケイヴァーンは見たことがないというようにファルシールの激昂に困惑しているようだった。


 与一はファルシールの反応から目の前にいる男が峠越えの時に付いてきていた男であることをにわかに思い出した。


(この胡散臭い奴、確か俺らを売り飛ばした奴だっけか......?)


 同時に、今朝方セグバントの荷馬車で目が覚めてからファルシールに聞いた悪徳商人であることも思い出した。与一とは峠越えの道中で話しただけで面識はそこまでないが、奴隷にされかけたと聞けば少しは怒りが湧かないでもない。しかし、今の状況は悠長に怒ることも許さない。


「居たぞ!!」


 市場バザールを抜けた兵士たちが、もうすぐ追い付くようだった。


(今は修羅場なんぞしてる場合じゃねぇ!!)


 与一は自力で起き上がって悪徳商人と皇子の間に割って入った。


「ファル! 今はとにかく逃げるぞ!! そいつのことは後でも良いだろ!! 行くぞ!!」


 与一とファルシールが転んでいる間に、追手の諸侯の兵たちは続々と集まって数を増やしていた。兵士たちは剣を抜き放ち、群れから外れた羊を追う狼かのような勢いで向かってくる。


「商人さんとお知り合いの人も、今は逃げた方が良いですよ!!」


 与一はイグナティオとケイヴァーンと名乗った若い男にひとこと忠告しておいて、ファルシールの腕を引いて駆け出した。


「あ、おい?!」


「いいから走る!!」


 不服に顔を歪めているファルシールを無理やり掴んで、取りあえず目の前の大通りを越える。ケイヴァーンは市場から群れて溢れてくる兵士たちの様子で何か察したらしく、すぐさま状況を飲み込んで、与一が引っ張るファルシールの後を追った。イグナティオもケイヴァーンの後に付いて「面倒だ」と漏らしながら、付かず離れず走りだした。


 4人が逃げ、100を超える兵士たちが追う。与一たちの逃走は、街中の砂地の路面から砂ぼこりを巻き上げた。


「どこへ向かっているのです」


 大通りを二、三条ほど走り抜けた頃に、ファルシールに付いていたケイヴァーンが聞いた。息を上げて、足ももつれそうになっている与一とは裏腹に、ケイヴァーンは汗ひとつ見せないでずっと付いてきている。与一としては、停めてきた荷馬車のところへ戻れれば良いと考えていたが、もはや今自分たちがどこにいるかすら分からなかった。


「知るもんか......っ!! ハァ、ハァ、取りあえず、ハァ、逃げてるだけっ!!」


 与一は息も絶えだえになりながら答えた。屋内で過ごしてきた趣味人オタクにとって体力は限界であった。


「なっ!? そなたに、ハァ、付いて行って、ハァ、おるのに、何だそれはっ!!」


 ファルシールが息を切らしながら突っ掛かった。普段から皇宮の自室に籠っていたために持久力はない。


 ケイヴァーンは与一の返答を聞いて、後ろを追ってくる兵士たちを振り返ってからひとつ提案した。


「では、このままこの道を進んで、城壁を突き当たりに右へ。そこに私どもが乗ってきた馬を隠しております。そこなら」


「マジっすか?! 天才!! 賛成賛成そこ行きましょうっ!!」


 与一は投げ槍な答えをしておいて、ケイヴァーンに先頭を任せた。


「では」


 ケイヴァーンの足取りは相変わらずで、余裕さえ感じさせた。速度を落とした与一を軽々と追い越すと、先頭に立って一行を引っ張った。背の高いケイヴァーンの外套越しにもわかる大きな背中が、妙に頼もしく感じられた。


 そうして与一たちは城壁の手前までたどり着くと、ケイヴァーンについて右へと曲がった。すると城壁と市街地の間に空いた幅20アリフ(メートル)ほどの空間に、急造の食糧庫と厩舎が無数に秩序なく建てられているのが目に入った。


 本来は兵の移動や攻防などで必要な空間だが、今は隙間なく埋められている。いくつかの建物は木の枠組みに泥壁を塗り付けている最中で、作業中の工夫らしき男たちが脇に座って昼の休憩をしていた。


「あそこに」


 ケイヴァーンが手前にあった厩舎を指差した。完成していない厩舎に入りきらず溢れている馬が見通しを悪くしていて、身を隠すにはちょうど良い場所である。


 与一たちは馬の群れのなかに紛れ込んでいった。



──────────

───────

────


「おい、どこへ消えた!!」


 追っていた皇子の一行が城壁の手前で姿を消した。兵士たちが城壁を手前に左右を見渡すと、3日前にミナオを占拠した時に急ごしらえで増設した厩舎や兵器庫が城壁に沿って延々と続いていた。


「くそっ! この中に紛れたか......っ! 兵を二手に分けて中を探せ! ここへ逃げ込んだのは間違いない!」


「は!」


 兵士たちは長の指示に威勢よく返事をすると、一団を二手に分けて左右に広がる厩舎地区の中へとなだれ込んでいった。


 兵士の長は大通りから厩舎地区へと入ろうとして、思い出したように近くにいた部下に命じた。


「おい貴様。至急、東西の城門を守備する諸侯の将へと連絡して城門を閉じるよう申し出ろ。皇子を城市の中に閉じ込めるのだ。それから増援をこちらに寄越すように言え」


 部下は了承してすぐに踵を返した。


 しかし、兵士の長が部下から目を離した次の瞬間、兵士の長の頬に生ぬるい粘液が飛沫した。


「なん──」


 振り返ると同時に、兵士の長の視界は地面まで急に落ちて自身の首から下を眺める位置に止まったのに気づいた。そして、それを見ると同じくして絶命した。


 大通りの真ん中に、二つの死骸が横たわった。その横を疾風の如く3頭の馬が駆け抜けた。その後ろにおびただしい数の異国の軍馬が続いた。


 3騎は無数の馬を引き連れる。先頭を行くのは薄い金の髪の騎士が駆る黒い馬である。そのうしろに続く葦毛の馬には銀髪の皇子と黒髪の高校生、そして栗毛の馬にネルヴィオスの商人が乗っていた。馬の群れはホスロイのキースヴァルトから抜き取ったものである。


「このまま西門へ」


 騎士が後続の皇子に言った。大通りを西へと進み、西門を抜ける算段である。


「何故だ、ここからは東門の方が近い」


「東門には兵が集まっております。西門ならまだ手勢は少ないはず」


「なるほど。ヨイチ、それで良いか」


 皇子は鞍の後ろに跨がって必死にしがみついてくる高校生に問う。


「......あ、ああ、好きにしろ」


 高校生は皇子の耳元でおびえるように答えた。


(てか何で俺に聞くんだよ······)


 高校生──与一は人の死を目の当たりにして、ひるんでいた。ホスロイの峠を越える時は、自身に倒れてきた兵士をほぼ虚ろに眺めただけだが、今度は違った。眼前で、はっきりと騎士──ケイヴァーンの抜き放った長剣が、兵士二人の肉に吸い込まれて通り抜けるのを見たのだ。そのあとの事は、もう覚えていない。疾走する馬に落とされないよう必死だった。否、自分の前で馬を駆る皇子──ファルシールにすがる事で、思考を止めようとした。しかし、刃がどのように男を切り裂いたか、見ずとも勝手に頭で想像出来てしまう。


 与一は無性に吐きたくなったが、なぜか胃の中のものが喉から先へと進まない。


(──くそ......気持ちワリい......)


 与一の前で鞍に跨がっていたファルシールは、与一のしがみつく力がにわかに増したのを感じ取った。後ろから回されている与一の腕が、少し強くなり、服を掴む拳が腹に食い込んだ。


「どうしたヨイチ?」


 ファルシールは目線だけ前に残して顔を少し与一に向けた。


「──ファルは人が死ぬのは平気なんだな」


「······」


 ファルシールは低くなった与一の声と強く回された腕で心境を察した。ファルシールとて死を見るのは慣れたものではない。初陣で初めて人が殺される光景を見た。自分も殺されかけた。ホスロイでは民の惨殺を目の当たりにした。初めて人を殺した。平気な訳はない。戦慄や罪悪感、言い知れない感情が心の深層へと刃を突き立てた。まだ怖い。今自分が平静でいられるのは与一やケイヴァーンが近くに居るからである。


 考えるが、結局慰める言葉は出なかった。


「......ヨイチ、痛いぞ」


「......うん。ごめん......」


 馬は進んだ。東から西へと駆け抜け西門へとたどり着くと、開け放たれている城門の門兵を馬群で圧倒しながら押し退けた。ケイヴァーンの思惑どおり、兵士は東に集結していたために少なく、一行は難なく通り抜けて荒野へと飛び出した。


 後塵に続く者は馬より他になかった。



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