第5章 皇都陥落─後編─ 4

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 アキシュバル郊外の砂漠に雪がちらついていた。


 セシムザード=アルサケスは、父親のアミル=セシムに付いて軍陣の中央に居た。


 明け方の痛いような冷い空気の中、セシムの軍は皇都へ向けて歩みを進めていた。予定では、先に侵入している糧食部隊が城内を撹乱して門を開け放っている頃である。


「父上、もうすぐですね」


「うむ」


 腹の出た小柄な体格に不似合いな黄金の鎧を纏った初老の男は、よわい26の息子の問いかけに、端から見ていても分かるような浮かれ様で揚々と答えた。


 アルサケスは父のセシムの腹が馬が動くのに呼応して揺れるのを内心で嫌悪しつつ眺めていた。


(父上の腹はふんだんに詰め込んだ欲望と自尊心で今にも張り裂けそうだ)


 アルサケスは汚らわしいものから目線を逸らして周りを見渡した。


 農奴で構成された歩兵部隊が隙間なく地を埋めている。無数の軍旗が立ち並び、鎧に曇った朝の光があたって鈍い輝きを返している。


 自軍の横には皇国十二諸侯の軍が並び、横に広く展開してアキシュバルを包囲するように行軍している。


 自領のナンガルハルを出立しゅったつしてひと月、皇家の直轄領を掠めつつ兵力を分散して進み、アキシュバル手前の都市ミナオで集結させて、大軍をここまで動かして来た。軍勢の疲労度はほぼ頂点であるが、遠目から見える煙の立ち上る皇都の様子から、そう労せず入城が叶うようである。


 それに──。


「報告申し上げます。宰相ベルマン閣下とその一行が、侯に面会を求めております」


 自軍の隙間を縫って駆けてきた伝令兵がセシムにそう告げた。


「そうか、そうか、そうであるか! して、"手土産"は? 手土産は持参しておろうな?!」


 セシムは待ち遠しいとばかりに、声色を高くして訊いた。伝令兵は答えた。


「はい。しかと」


 そう聞いたセシムは、溢れんばかりの喜びと愉快さに、笑いこけるように声をあげた。


「ぬははははっ!!! なんと喜ばしいことか!! 代々の父たちが成し得なかった偉業を、わしの代でついに成し遂げたぞ!! 他の誰でもない、この儂が!!」


 興奮と共に鼻息が荒くなり、白い吐息を牛のように鼻から吹き出した。


 アルサケスは父親に笑顔を見せて囃し立てた。


「おめでとうございます父上。他の諸侯も喜ぶことでしょう」


「そうであろう!」


 アルサケスの周りに居るセシムの側近たちは、呼応するように口々に口上を述べた。今やアミル=セシムは勝利者である。側近たちは、機嫌を取れるだけ取って、立身出世を図ろうとしていた。


 そうして静まりきった軍陣にセシムの高笑いと側近たちの上辺のおだてが響き渡った。


 そこに馬に跨がった複数の人影が軍陣の中を逆流して姿を現した。


 宰相ベルマンと近衛たちである。


 ベルマンらは陰気な面持ちでゆっくりと馬を進めた。近衛の長が剣先に掲げているのは、かつての君主の蒼白く冷めて澱んでいる首である。


 セシムはその姿を確認すると「おお!」と歓喜して、いの一番に近寄ろうとして前のめりになったが、途中で身を制して、やめた。それからベルマンが寄ってくるのを、居ずまいを正して迎えるように待った。


(勝利者の風格を見せつけようとしているらしいが、驚くほどの滑稽さだな)


 アルサケスはあきれ半分に、普段の衝動的な挙動とは違う父親に感嘆した。


 ベルマンの一行はセシムの前まで来ると、馬を降りた。


「アミル=セシム侯。侯との盟約の証、お持ちしましたぞ」


 ベルマンは言った。セシムはそれを受けて「うむ。ご苦労であった」とひとこと言うと、配下の者に近衛の長が掲げていた首を受け取らせた。部下が恭しく、準備していた木箱にものを納めると、蓋が閉められて一時、セシムの預かるところとなる。


 セシムは、まるで子どものようにそわそわとして落ち着きがない様子である。しかし、ベルマンが怒りの形相で口を開いたのを聞いて、体をビクつかせた。


「ところでセシム侯。当初の計画では南西区のみに火を放つ予定のはず。皇都全域に火を放つ話、伺っておりませんでしたぞ」


 セシムは痛いところを突かれて、目を泳がせた。


「あ、あれは、そうした方がより早くアキシュバルを落とせると思うてだな──っ」


 ベルマンが話を遮った。


「国の要たる都を灰にするなど、到底理解できるものではございませんな!」


「しかし、だな......アルサケス!」


 セシムはベルマンの圧に押されて、息子に目配せをして助けを求めた。アルサケスは父親の意を汲んで話の役目を替わった。


「ベルマン殿、それは父上の真意を知らぬからです」


「ほう。真意、ですか」


「我ら諸侯に、あのような広大な都市を治める力はありません。兵力の面でも、統治の面でも。むしろ、残しておけば、大陸行路の交叉点に、野盗の巣窟を生む羽目になります。我々の目的はあくまでも皇権の剥奪と、皇威の失墜でありますから、要らぬものに手を掛けているいとまはないのです」


「大陸行路の中心を要らぬもの、と?」


「さようにございます。我々諸侯には独自の行路がございます。わざわざ皇権の強化を目的とした代物アキシュバルに何の未練がありましょう」


 元々、南西区だけに鎮護軍を集中させて、その隙に門を開け放つ予定であったが、寸でのところで計画の変更をセシムにそそのかしたのは、アルサケスであった。


 当初の計画は、ほぼ全てがベルマンが書いた筋書きであった。しかし、長年仕えてきた皇帝を弑逆しいぎゃくする考えに至ったベルマンは、諸侯にとっては嬉しい味方であったが、アルサケスには妙でならなかった。そこで、ベルマンの真意を知るために、父親に耳打ちをしたのだった。


「それとも、ベルマン殿が、そちらの兵で自らアキシュバルを治められるおつもりだったのですかな?」


 アルサケスはベルマンの後ろで業を煮やしている近衛たちに、わざとらしく目を向けた。つまるところ、アルサケスが見当をつけたのは、この事である。だが、見たところの兵力は、兵力とも呼べない数である。徴募したとしても、先のキースヴァルトとの戦で男子は失っているので、到底、都を治められるとは考えられない。


(見当違いか......)


「我らはベルマンの部下ではない」


 そこに近衛の長が即座に反論した。


「我らが仕えるのは皇帝陛下のみ。死してなお、それは変わらぬ」


「これは驚きました。不忠にも自ら守るべき君主をあやめておいて、その言い様。いささかの同意も出来ませんな」


「ははっ! 皇家より領地と地位をほうじられた大恩があるにも関わらず、キースヴァルトと組んで皇子たちを殺した口がよく言うわ。そなたらの魂胆なぞ当に見透かしておる。諸侯ウズルガーンらが東の野蛮人どもと手を結んだと聞いた時から常々思っていた。奴らと組む時、土地をくれてやるとでも言ったのだろう、と。だが皇都を無傷で渡したくなかった。だから燃やしたのではないか??」


 アルサケスは近衛の長に針を刺されたが、冷たい表情を変えない。事実、父親のアミル=セシムはキースヴァルトと密約を結ぶときに、独断で皇家の直轄領の半分をキースヴァルトに譲り渡すと契っていた。


「皇帝は死んだ。一族の男児は、みな殺した。皇権はもはや絶えたのも関わらず、あなた方は誰に忠誠を誓っているのです」


 近衛の長は鼻を鳴らして、アルサケスをあざけるように笑った。


「ふん、所詮は父親の腰巾着。青二才には分からぬわ」


 近衛の長の度が過ぎた挑発は、ベルマンたちとアルサケスたちにの間に無用の軋轢あつれきを生みかけていた。


「ともあれ」


 そこにベルマンが抑えるように話に割って入った。


「アミル=セシム侯。私があなた方についた理由、くれぐれもお忘れなきよう」


 ベルマンはセシムの目を睨んで一礼した。


「わかっておる」


 セシムはしばらくアルサケスと近衛の長の口論を傍観していたが、ベルマンの忠告とも取れるひと言に、機嫌を悪くしつつ答えておいた。


 ベルマンは近衛の長たちと再び馬に跨がると、セシムたちの軍陣を後にした。長居をして、"要らぬ気"を起こされて謀殺された者たちを多く知っているからである。


 セシムはアキシュバルへと遠ざかって行ったベルマンらに聞こえるような大きさで鼻を鳴らした。


「ふん! なんと不遜な男か。この儂に脅しを入れるなど!」


 セシムにしてみれば、アキシュバルがほぼ陥落し、皇帝もない今、何の力も持たないベルマンに脅されるなど滑稽の極みであったが、侮れない理由がひとつあった。


 それは、ベルマンが持っているであろう皇権の証の宝剣の存在であった。


 宝剣は初代から代々の皇帝に引き継がれる皇国の威信を示す重要な宝物のひとつである。殊、この度の決起が皇権の剥奪と皇威の失墜を目的としている以上、皇帝の首と宝剣を手に入れる事は何よりも重要であった。


 しかし、ベルマンが味方であるとは言っても、セシムにとっては簡単に信用出来るものではない。一応、皇帝の首をセシムが、宝剣をベルマンが持つ、という約定で盟約を結んだために、今さら寄越せと言うことも出来ない。かといって邪魔なので殺してしまうというのも、場所がわからなくなるので、より困る。ベルマンが強気に脅しを掛けられるのも、宝剣ゆえであった。


「息子よ。あの男、何とか殺せんか」


 セシムはアルサケスに馬を寄せると、平然と言った。


 周りの側近たちは、あり得ないことを耳にしてザワザワとどよめいたが、アルサケスは父親が唐突に無理難題を言うのをよく知っていた。ゆえに、何事でもないように軽く答えた。


「父上、それならば今はアキシュバルへ入城することをお急ぎ下さい。城へと入れば我らの兵力が、全てを解決してくれます」


 アルサケスはそう進言して、馬上で頭を下げた。


(父上の、己の所有物への過信は甚だしいからな。こう言っておけば、腹鼓はらつづみでも打って喜ぶだろう)


 アルサケスの予想通り、父セシムは鎧の上から腹の辺りを叩いて「そうであるな!」と満足げに喜んだ。


(なんとも扱いやすい人だ)


 アルサケスは内心を漏らさぬように、しばらく頭を下げておいた。


 軍はアキシュバルへと着々と進んでいた。氷のように冷たい寒空のもと、兵たちの体から上がる熱気で空気が微かに霞み、地平線の先まで広がっている。


 アミル=セシムとその配下たちは、それぞれが眼光に鈍い野望を据えて、権威と栄華の都市アキシュバルへの行軍を急いだ。


 黒煙を上げる皇都アキシュバルへの入城は、もうすぐである。










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