第4章 皇都陥落─前編─ 5
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ニハヴァンテの私刑とも言える公開棒打ちは苛烈を極めた。女こどもを問わず、ニハヴァンテは不審な者を滅多打ちにし、その後、手足を縄で縛って地面に打った杭にくくりつけて見せしめに晒した。
骨を砕かれ皮膚を引き裂かれた人間が、砂地に放り出され野晒しにされて長く息を持つ訳もなく、たちまちのうちにカラスへの供物となった。
南区を預かる
「何ということを......っ!!」
激しい怒りとニハヴァンテへのはっきりとした侮蔑をもって、すぐさま南西区へと向かおうとした。
しかし、その勢いを止めるように、急な命がケイヴァーンに下った。
「申し上げます!
「何事か?!」
ケイヴァーンは問うたが、使者は機密ゆえに答えられない、と返した。
(なんという日だ。こうも立て続けに事が起きるとは......)
ケイヴァーンは部下に武装して戦の用意を整えるよう指示すると、自分の家に戻って武具一色を纏って、急ぎ皇宮の玉座の間へと馬を走らせた。
突如、慌ただしく動き始めた城壁の詰め所の兵士を見て、市民が何事かと見物に出てきており、大通りは人で溢れ返っていた。
町は日が暮れてしばらく経った頃で、橙の空が深紫へと移り変わって、人家には灯りが灯されはじめている時分である。
(突然の戦支度をせよとの命、もしや俺が昼に考えついた事がまことであったということではなかろうな......)
皇宮前で馬を降りると、昼間にも通った長い回廊を経て翡翠のドームの奥にある玉座の間へと早足で行く。
回廊は諸将がごったがえしており、皆、何事かを知らされていないような顔で、急いでいた。その中にケイヴァーンの見知った顔があった。
「ようダレイマーニんとこのボウズ!」
ケイヴァーンは肩を叩かれた。
「これは、アフシャル卿。お着きでしたか」
「西地区の指示に手間取って、遅れかけたが、この様子じゃあ他の奴らも遅れてきているらしいし、まあ良しというところか」
アフシャルと呼ばれた男は、野太い声にがっしりとした重厚な体躯の大男で、ケイヴァーンよりも頭ひとつ分高く、銀に光る鎧に赤いマントを掛けている。西地区を預かる鎮護軍の万騎将で、大万騎将ダレイマーニと同輩の老将である。
「急な
「いや、戦支度はそこまで手間ではないさ。夕暮れの閉門どきぎりぎりに到着した一団があってな、それの処理で色々ごたついたのよ」
ケイヴァーンはアフシャルの言葉に引っ掛かりを感じた。
「一団と仰いますと?」
「近隣都市のバハーラクからの兵糧部隊よ」
(バハーラクと言えば、ハシュ=トゥラージ侯の守護都市......。皇都から半日の都市だな)
「そっちにも来たのだろう?」
「ええ、クテシフォンから宰相閣下の命で昼下がり頃に」
「こっちも宰相処から半日遅れの報告が届いてな。全く、焦らされる。戦支度もあるというのに門前でたむろわれていては敵わん」
「全くです。そういえば、西地区の他にも糧食部隊が到着したという話は聞きますか?」
「ああ、先ほど北地区のタフマーゼフと擦れ違った時に苛立ちながら話していたのを聞いたぞ」
「そうですか......」
「今朝からの騒ぎと言い。おぬしも薄々勘づいておるのだろう」
「ええ......」
アフシャルの口調はケイヴァーンが昼に皇宮で思った憶測と同じことを考えているものであった。
「なに、じきに何があったか判る」
ふたりは諸将に混じりながら玉座の間へと急いだ。
。。。
翡翠のドームの天井から吊り下げられた大量のろうそくが灯されて、玉座の間は
諸将たちは玉座に向かって序列ごとに床に置かれた円座に座った。
それゆえ玉座の間は、張りつめた空気で痛くなるように静かだった。金属の鎧の音さえしないほどに誰も微動だにしなかった。
しばらくして
最後に入場した二人が座に着くと、玉座の後ろのカーテンがしゅるりと巻かれ、奥に人影が現れた。諸将たちはすぐさま立ち上がり、腰に下げていた剣を鞘ごと外して、石突を床面に突いた。音は全て同時に鳴り、金属と硬い大理石の床を叩いて広間に高く響いた。
「『我らが偉大なる大地の
そして、皆が一斉に片膝を突いて跪いた。
高らかに、しかし厳かに称えられたカーテン奥の人影は、ゆっくりと歩み出ると、黄金に輝く玉座の前に立った。
背丈は諸将の中でも高い部類に入る万騎将アフシャルと同じくらい高く、盛り上がった胸筋と丸木のように太い腕が、その存在感を濃密にしている。
コムドゥシール5世。現シャリム皇帝であった。
薄く灰色がかった茶色の髪と髭を蓄え、深い眼窩の奥に光る眼差しは威厳に満ち、まさに
濃紫マントに色鮮やかな刺繍の入った
皇帝は玉座に座ると右手をそっと挙げた。
「大義」
重くどっしりとした低い声が響いた。諸将は座に再び着いた。
皇帝は自らの左手に控える宰相ベルマンに視線を遣った。
ベルマンが少し前に出て、切り出した。
「諸将がた。今日ここに集まって頂いたのは、言うまでもなく戦の事であります。先日、我が皇国の総力を結集した軍がアキシュバルを発ち、パルソリア平原にて昨日の昼頃に開戦されました。敵は東の名も聞かぬ小国キースヴァルト十五万あまり。対する我が皇国軍は五十万にも及び──」
「そんなこたぁ知っておる。我らが参りたくとも加われなかった行軍であるからな」
アキシュバルに残る4人の万騎将の一人であるピルーズが口を挟んだ。豪胆な口調と凄まじく逞しい体躯で周りを威圧する男で、東地区の鎮護に任じられている。
「俺はそのような前置きを聞きたいわけではない」
単刀直入に、と言いたいことは、ピルーズの性格を知ってる誰もが心のなかで続けたセリフだった。
いつもなら大万騎将ダレイマーニが話を進めていく役であったが、今回、ダレイマーニは目を瞑り、黙り込んでいた。
「──完敗しました。皇太子フェルキエス殿下、第三皇子センテシャスフ殿下、第六皇子ファルシール殿下が討ち死になされた」
「「なっ」」
動揺の渦が玉座の間に渦巻いた。諸将たちは口々に否定したり、希望的観測を口走った。
「それは誠かっ!?」
万騎将ピルーズが怒鳴った。
「フェルキエス皇太子殿下が討ち死になされたなど、あり得ぬ!!」
「報告に間違いがあったのでは?」
飛び起きたピルーズを抑えて、北地区の万騎将タフマーゼフが言った。
すらりと長い長身に冷静そうな顔持ちのタフマーゼフは暴れるピルーズを座らせながら問う。万騎将の中では細身であるが、明晰な頭脳と、繊細かつしなやかな体術を扱う熟練の槍の名手である。
「事実でございます。今朝方、斥候より報告がありまして、キースヴァルトはフェルキエス殿下の
ケイヴァーンはベルマンの言葉に、失われた者たちの顔を思い浮かべた。よく見知った者たちが今は亡いことは戦ではよくあるが、親交の深い者なら、尚更に心苦しい。
(イルトゥス殿も......それにファルシール殿下まで......。幼少の頃より馬追いのお供をさせて頂いた。殿下は初陣であらせられたのに......)
ベルマンの回答にタフマーゼフが眉間にシワを寄せた。
タフマーゼフの怪訝な顔を見て、代弁するようにアフシャルが問うた。
「ベルマン閣下は先ほど"
「いかにも」
「今朝方の斥候、と申していたことから察するに、その前には何かしらの伝令が早馬にて届いていたはずだ。そこから斥候を出して敵情を偵察させた。であれば既に戦時の範疇にある。その時点で
アフシャルの声は低く怒気を孕んでいた。軍事に関する権限は文官の宰相にはなく、武官にあるからである。宰相の命で軍を動かしたなると、越権行為である。昨今の文官の腐敗と合わせても、看過するわけにはいかなかった。
そこでようやくダレイマーニが口を開いた。
「わしが命じた」
「なんだと!? ダレイマーニ、貴様、大万騎将ともあろうに、あろうことか仇打ちをせぬまま国土が侵されるのを看過したのか!? 殊に皇子殿下がたが討ち取られ、皇国の存亡の危機であるのに!?」
アフシャルは留めていた静かな怒りを表に出した。長年の友が忠誠と正義を失ったように思えた。
「ダレイマーニ殿、俺はあんたを見損なったぞ! 今朝から
今度はピルーズが声をあげた。
「黙れアフシャル、ピルーズ。御前であるぞ」
ダレイマーニの言葉は短く鋭かった。ピルーズは据えかねていたが、円座に座り直した。アフシャルはダレイマーニを睨み付けたまま黙った。
そこにタフマーゼフが落ち着き払った声で言った。
「ダレイマーニ殿らしくありませんな。隠しだてしても、遅かれ早かれ敵が迫れば今のように
ダレイマーニは万騎将たちに振り返った。
「わしは座視しておったわけではない。敵は十五万。へシリア山地を越えてアキシュバルへ3日の距離へと迫っておる。対してアキシュバルを守る我われ鎮護軍は一万五千。圧倒的に足りぬ。どこかから軍が湧いて出てくる訳がなかろう。それに」
「それに、現在この状況を諸侯に知られるのはマズいのです」
ベルマンは万騎将に詰め寄られるダレイマーニに助け船を出した。
「ほう?」
アフシャルが煽るようにベルマンを睥睨した。ベルマンは続ける。
「皇国は今日に至るまで、数多の外敵を退けて来ました。それはひとえにここにおられる諸将がたの、ひいては皇室に忠義を尽くした代々の
「此度のキースヴァルト侵攻が外敵による危機でないと?」
タフマーゼフが言った。
「我が軍はパルソリア平原にて皇国の主要都市より兵をかき集めて挑みました。一大出兵でありました」
「知っておるわ!」
ピルーズが唾を散らす。
「つまりは、アキシュバルを含め、全ての直轄地にて兵力が不足しております。今回の出兵は、
「それならば謀反を起こす
ピルーズが言う。
「無理を申されるな。皇都が無防備同然の今、諸侯が攻め上るのは時間の問題。諸侯は必ずアキシュバルを我先にと競って皇都を獲りに参るはず。そうなればいくら外縁に兵力を残しているとは言え、対処しきれませぬ」
「ならば、そなたら文官お得意の権謀術数とやらを巡らせて諸侯たちを黙らせれば良いではないか! 何のための文官か!?」
ピルーズはベルマンを嫌悪している。ピルーズは武人である。腐りきった文官を見てきたピルーズにとってはベルマンも同族に見えた。
「ピルーズ。その辺にしておけ」
タフマーゼフがピルーズを落ち着かせる。
「しかし、今までのように諸侯を留めることもできるのではありませぬか。そうできれば早急に外縁の兵力や、ひいては周辺都市より守備兵を集めればよろしいのでは?」
タフマーゼフはベルマンを好意的には見ていないが、軍議を進めようと冷静に言葉を選んだ。
「守備兵を抜いた都市の防衛はどのようにする。これから冬だ。キースヴァルトは遠征軍。糧食を現地調達するにも、実りのないこの季節に考えることは、略奪の一択ではないか。直轄地の兵力を抜けば、敵はここアキシュバルに亀のごとく立て籠る間に、包囲しつつ周辺都市を攻略し、拠点と糧食を手に入れる。対する我らは糧食補給の拠点を近隣から着々と失ってゆき、終いには市民の暴動で内部から瓦解するぞ」
ダレイマーニは諸将たちがベルマンに突っ掛かるのを良しとしないで、きつく言いはなった。
ケイヴァーンは黙って趨勢を見ていた。黙っては居たが、頭のなかで考えを巡らせて、ピルーズらのベルマン糾弾に交わろうとしなかった。
(我が軍が敗北したのは確かなようだ。お父様もそれを確信して独自に動いておられる。──なるほど)
「それゆえの糧食部隊だったのですね」
ケイヴァーンは口を開いた。
「なに?」
アフシャルがケイヴァーンに向いた。
「諸侯が攻め上がるにしろ、補給は必要になる。そうなる前に、まず近隣の"諸侯の守護都市"から糧食と守備兵力を抜き取り、動きを鈍らせ、かつ集めた守備兵を籠城に活用して連絡手段を断つ。これで戦力と糧食の補充も叶え、キースヴァルトを退散させるまでの時間稼ぎをする、ということですね?」
そう聞いてタフマーゼフがダレイマーニを向いた。
「ケイヴァーン卿の主張は確かに利に叶っている。そのようなことを考えておられたのか?」
ベルマンとダレイマーニは頷いた。ベルマンが続ける。
「ケイヴァーン殿のおっしゃる通り、そのためにわたくしが周辺の守護都市に大量の糧食を要求致しました」
ダレイマーニが続ける。
「それに、じゃ。キースヴァルトが攻め落としたアキシュバルを奪還する、という形を採れば、統治の正統性を確保できよう。どの諸侯が動くか判らぬが、キースヴァルトが皇都攻めをしておる間は、諸侯らは手を出さぬはず」
(いや、これにはまだ策が伏せられている......。直轄都市の兵力はそのままに、諸侯の都市のみを無防備にしておいてキースヴァルトをそちらに誘導すれば、諸侯の都市はキースヴァルトに奪われ、諸侯は皇都に近づけない。だがこの場合、諸侯の守護都市は蹂躙され、
ケイヴァーンは胸の奥がにわかに曇ったのを感じた。
諸将たちは少しのあいだ黙った。ベルマンとダレイマーニの策は、既に動いており、それには有無を言わせない時間が必要であった。そのために、兵糧を届けさせ、兵糧部隊召喚の報告を遅らせた。この
極めつけに、先ほどから諸将の向く玉座に座っていた人物の一言が決定打となった。
「進めよ」
諸将軍議は、そうして籠城に備えた話題へと進められた。
あるものは不服そうに苛立ち、あるものは宰相へと皮肉を述べつつ、あるものは詳細を詰めようと発言した。
しかし、若き万騎将だけは、始終静かであった。
。。。
宰相ベルマンが集めた糧食は、優に1年半を超える籠城を可能とする量であり、
集められた諸侯の私兵は、およそ一万五千に及び、東西南北の近隣の守護都市の様々な諸侯の私兵をかき集める形となっていた。
鎮護軍も一万五千である。アキシュバルの守備兵力はこれで三万になった。
皇帝が退出して諸将軍議が終わり、各々が自らの持ち場に戻りはじめると、ケイヴァーンは
ダレイマーニは日が沈んで真上に現れたばかりの月を、回廊の天井の隙間から覗いていた。
「冷えますね」
ケイヴァーンはそんな父親の後ろ姿に話しかけた。
「ああ。そろそろ冬が来る。穀物の刈り込みはとうに終わっておるし、干し肉も溜め込んだ。春までは保存食で我慢じゃな。後は、そろそろ薪を割っておかねば、朝夕は寒いのう」
そう言ってダレイマーニは白い髭を撫でた。
「父上の好きな酒が仕上がっております。退屈することはありませんでしょう。薪割りは私がお手伝いできますので、また仰って下さい」
「そうじゃな。ハッハッハ」
ケイヴァーンは意図して言葉を選んでいた。ダレイマーニも言葉を選んでいた。互いに何かを遠ざけたく思っていたからである。
諸将軍議では、互いに職務以外のことを口にすることはなかった。それゆえに、子が父の心情を理解することは出来なかった。父もまた、子の問いを恐れていた。
二人は玉座の間の前で佇んで、お互いの言葉を待った。先に口を開いたのはケイヴァーンである。
「ダレイマーニ卿、此度の策、民への被害が甚大になりませんか」
ケイヴァーンは"父親"へと問いかけた。ケイヴァーンは、今朝より続く父の不可解な言動が、この策を誰にも邪魔されずに成すためのものであったと、得心していた。だが、ケイヴァーンの知る父は、軍事に優れ人望の厚い"忠義"の人であった。ケイヴァーンは不安になった。父が何を思って、この策に賛同しているのかを知りたかった。
ダレイマーニはケイヴァーンに振り返らず言う。
「──冬を越せば、キースヴァルトも去る」
問いへの答えは、ケイヴァーンに
父は長年仕えてきた主君への責務を果たそうとしている。そのために守護都市の人民を捨て置くことを選んだのである。
もともとの策が父のものではないことはケイヴァーンにはわかった。恐らくベルマンの発案であろう。父も旧友の策をないがしろに出来ない性格であはある。だが、人道に反していて、尚、却下せず賛同した。賛同せざるを得ないほどの事態であった。
皇位継承権を持つ男子3人の喪失が、いかに国内を不安定にするか、分からないケイヴァーンではない。宮廷の動揺や、諸侯の動静。それらの不安の種は、
話は、もう無かった。
ケイヴァーンは一礼すると、月を見上げたままのダレイマーニの横を通りすぎていった。
戦支度は、まだこれからである。
このとき月は、細く千切れてたなびく雲に見え隠れしていた。間も無く雪でも降るであろう。
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