第4章 皇都陥落─前編─ 4

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 アキシュバルの城門が閉ざされる夕暮れ前にせわしく進む旅団の者たちの中に、明るい栗色の髪とみどりに透ける瞳をもった若い男があった。幾ばくかの刺繍があしらってある絹の服を纏い、街道を埋め尽くさんとするほどの馬の群れを率いたその者は、イグナティオ=スー=スーシ。ネルヴィオスの商人である。


 2日前の早朝にイーディディイールを出て、休みやすみ進んできたイグナティオであったが、道中はあまり上機嫌ではなかった。


 目を離している隙に馬泥棒に数頭馬を盗まれ、旅人に馬と交換で譲ってもらった食糧の中の酒がカビ臭くて揉めたり、その他にも小さな災難が幾つかあったのだ。


(あの偉そうな皇族の坊っちゃんを売ったからか? ふん、縁起でもない。あきないが神頼みやら何やらであって堪るか)


 そう思っているイグナティオだが、毎年、建前と慣習にならう程度に神殿へ喜捨を行っている。


(銀髪のは、今頃はセグメントに色々仕込まれているだろう。変な服の奴は、あれはあれでひ弱というわけでは無さそうだし、せいぜい働いて俺の飯だねになってくれれば良い。もっとも、セグバントが街をうまく逃げ出せてミナオなりの都市に着くまでは期待出来ないだろうが。それは良いとして、問題は、だ)


 アキシュバルの翡翠のドームが見えてきたところでイグナティオは、街道に隊商キャラバンや行商の旅客が長蛇の列を成して立ち往生しているのを見た。


(日が暮れれば城門は閉まる。このままこの街道沿いで野宿なんてのは御免こうむる。かと言って街道を逸れても、この"大荷物馬ども"が居るのでは割り込むに割り込めない......)


 馬を売り飛ばすために皇都に来たのに、商品の馬が邪魔でそれが叶わない。


(こうなれば、少々面倒だが、あの手を使うか......)


 イグナティオは馬首を巡らし街道を外れて、冬手前の寒々とした荒野を北東に向かった。


 砂漠には石工いしくたちが地下隧道カレーズを掘削するために掘った無数の竪穴が掘られている。イグナティオはその竪穴から隧道へと潜り、皇都へと侵入しようとしていた。


(なに、老人の商会にたどり着きさえすれば身を証すことくらい容易たやすい。一時の無法も、日頃の喜捨に免じて見逃されて然るべきだ)


 竪穴の入り口を見つけると、一番元気な馬を地面に杭で繋ぎ、馬の群れをその場に留めておき目隠しに使う。


 砂地の地面にポツリとある石の四角い蓋をずらして、隙間から身を滑り込ませると、イグナティオは暗がりの用水路を進んでいった。


 視界に明かりは一切ない。足元に流れる水音と湿って滑る壁面を頼りに、一本道の下水道を行く。


 四半刻ほど歩くと、次第に道が枝分かれしたり、柵で閉ざして侵入者を阻むものも増えていったが、まっすぐ一番幅の広い水道を行くと、やがて水位が増して、所々に地上の明かりが漏れる場所が出てきた。


(ここいらで良いか)


 イグナティオは適当に出口になりそうな場所を探してよじ登ると、水汲み場へと続く細い横穴に入った。


 出口の柵を適当に外して穴を抜けると、そこは救貧院の前であった。


(救貧院ってことは、ここは貧困区......皇都の南西か。これはちょうど良い)


 イグナティオは、さも当たり前のような面持ちで救貧院の中に入って行くと、喜舎を済ませた後とでも言うように二礼して「願わくば、貧しき者に一夜のパンと安らかな寝床を!」と院の建物に拝んだ。それからうやうやしく院を出る。


(さてさて、城内にも入れたことだし、あとは急ぎめにケチ老人の商会まで向かえば──っ!)


 救貧院のアーチを出た時である。イグナティオは右から走ってくる兵士の隊列にぶつかって肩を持っていかれた。


「なんだ貴様、気をつけぬか!?」


「へえ、すみませんことで......」


 イグナティオは瞬時に仰々しく頭を下げて謝った。顔を地面に伏して隠すためである。


(不法に入城したのがバレたのか? いや、それにしては早すぎる......)


 兵士はどうやら警備部隊のようで、苛立ちの様相が伺えた。


「おいお前、見ない顔だな?」


(適当にうまく誤魔化しておこう)


「へえ、南区域で商会を開いている商人でございます。救済と安寧の神アフマとキトへの供物を納めて喜捨の帰りでございまして」


「ほう? アフト神とキト女神に。それは大義な事だ。が」


 兵士の長が右手を挙げると、配下の兵士がイグナティオを囲んで抜刀した。


「な!? 何を!」


「あいにく、今朝から南西区と南区の移動は禁じられておるのでな。どうやってこの南西区に入り込んだのか、些か疑問だ。まさか、わざわざ喜捨のためだけに令を破ったわけではないのであろう? よそ者が。引っ捕らえろ!」


 イグナティオは警備兵によって地面に押さえつけられた。


「ご、誤解です!! 商会の取り次いでもらえれば......っ!?」


 わめいて見せるイグナティオは剣を喉元に突き付けられて、沈黙せざるを得なかった。


(面倒なことになった......。ここで妙に大人しく黙るのも、かえって怪しいか)


「お、お助けを......!」


 少し丸く太った兵士の長はイグナティオに突き付けた剣の刃先を少し肉に押し込んだ。


「なに、殺しはせぬ。大万騎将サーヴァールダレイマーニ様が不審者をご所望されておるからな。つまらぬ事だっ!」


「がはっ......!」


 兵士の長はイグナティオを鎧をつけた足で蹴飛ばすと「連れていけ!」と部下に指示した。


──────────

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─────


(ついてない......)


 イグナティオは縄を掛けられて貧困区の出口まで連れて来られていた。


 貧困区と市民区の境目は明確に分けられており、腰丈ほどの高さの荒い石積みの塀が区画を仕切っている。


 塀が腰丈ほどしかないのは、別段、住民を閉じ込めているわけでもなく、かといって外から見えないのも治安の関係上良くないから、取りあえず境界となるものを築いた、という体である。


 だが、それにもまして最も意味合いが近いのは『このようになるな』という見せしめであろう。


「並べろ!」


 兵士長がそう口走ると、兵士たちは捕らえた不審者たちを砂地の地べたに一列に並べてひざまずかせた。


「ニハヴァンテ様、引っ捕らえた者どもを連れて参りました!」


 兵士長がそう高らかに報告すると、兵士を多くはべらせている一際豪奢な鎧を着た男が右手を挙げて了解の意を示した。黒々と繁る口ひげを蓄えて、若そうではあるが妙に目尻に深いシワを刻んでいる大男である。


 境界の周辺にいた市民区の市民たちをは、兵士長の声を聞くと遠巻きにぞろぞろと顔を出した。今朝から騒がせている元凶たちを見物するためである。


 捕まっていたのは、老若男女を問わず40人ほどてある。緑色の絹の衣を纏った商人、イグナティオもその中に数えられる。


 ニハヴァンテと呼ばれた男は自らの口ひげをひと撫ですると、集まりつつあった大衆の前に歩み出て剣を抜いた。


「聞け!! 侵入者ども! 我が皇国の災いとなる者どもよ! そして、アキシュバルの市民よ! この者たちはは、不敬にも皇国の栄光を貶める言動をし、至尊の冠を戴く我らが偉大なる皇帝陛下シャーの鎮護たもうこの地上の楽園たるアキシュバルにおいて、まことならざる虚言を流し、人心を惑わして秩序を乱した! この罪の如何に重いことか!」


 ニハヴァンテが高説を垂れている間に、部下の兵士たちは太い折檻杖を取り出して構え始めていた。


「我、戦士貴族アルテーシュターラーンクルシュハルザーデ=ニハヴァンテ=イーラームが、皇帝陛下の名のもとに、罰を与える!! 前へ!!」


 ニハヴァンテがそう言うと、横並びにされていた不審者たちの一番端の男が兵士に首根を掴まれて引きずり出された。


「お止め下さい!! 私は何もしておりません!!」


 男は大した衣服も着ておらず、砂地に汚れた素肌を擦り切られて、砂の跡に血が塗られた。


 すると、喚き散らす男に呼応するように、市民区側の観衆の中から「やれ!」「やっちまえ!」「裏切り者め」と野次が飛ばされた。


 イグナティオは観衆の眼をゆっくりと細目で眺めた。


 イグナティオの目は観衆の心情を知っていた。


(言われなき罪だ、と言いきれぬのが些か苦しいが、棒打ちを冷やかす市民というのは、当事者としても端から見ていても気持ちの悪い。自分のものではない血を見るのはそんなに楽しいものか)


「500回だ。始め!」


 棒打ちが始まると、観衆の野次は余計に大きくなった。


 棒が重く打ち付けられ、大の大人が綿花の綿が弾けるように背中を反らせて悶え苦しんでいる。悲鳴を上げる男の声に観衆の喚声が合わさり、貧困区の出入口の近くには、より多くの人だかりが出来上がった。


(この状況は大いにマズい......。最後尾であるからまだ早いが、いずれあのように骨を砕かれると思うと、寒気がするものだ)


 イグナティオは周り兵士たちを目だけで見回して確認した。


(兵士どもとて所詮は平民。金の幾ばくかでどうとでも出来ようが、手持ちの金はないし、人目につくこのような場所で金貨を渡したところで、受けとる訳もない。馬も......ここでは無意味か)


 イグナティオは至って冷静であった。まず、この危機を脱するために周囲の声に耳を澄ませると、野次の奥で聞こえる小さな会話を聞き取っていった。


 商人の腕は耳の良さ、という言葉があるが、まさにイグナティオはその点において数多の商人の追随を許さぬほど優れて秀でていた。


「あらぬ噂を流すからこうなるのだ」


「皇国が負けたなどと吹聴する輩は、やはり下賎の者にしかおるまい」


「だが、未だに戦の報が届かないのも妙だ」


「宰相のベルマン様が隠してるらしい」


「いやだねえ。市場まで閉じさせられちゃ、夕飯が作れないじゃないか」


「なんでも皇太子フェルキエス殿下が敵を打ち破ったそうだぞ」


(どうやらアキシュバルの市民はパルソリア平原の戦いで皇国が負けたのを知らないらしい......。明らかに故意に伏せられているが、どこかしらからか広まったから犯人捜して吊し上げて見せしめにしている具合か。貴族らはいつも体面ばかりを気にして、下賎の者に罪を着せたがる。そもそも、おおやけにしたくないから隠していたのに、一変して大々的に見せしめの場を作ったとは思えぬ。あの横暴そうなニハヴァンテ"さま"の事だ。自分の治める地区から犯人をでっち上げて手柄にしようとしているのだろう。とすれば、だ)


 粗方の事情が掴めてくると、イグナティオは知恵を働かせた。


(俺が棒打ちから逃れるためには、あの偉そうな髭づらの戦士貴族さまを黙らせるのが一番だな)


「あっはっひゃは! あふぁはははぁあ! ふっは、あぁああはぁはああ!! ええぁああずぁあえぇうっ、お!」


 イグナティオは突然奇声を上げ、身体を激しく悶えさせて地面を転げ回った。頭を地面に押し付け、髪に砂を付けて周りに振り撒いたり、仰向けで脚をばたつかせたりして、立て続けに奇怪な行動をとった。


「「な、なんだ!?」」


 棒打ちに興じていたニハヴァンテも、さすがに観衆の目が棒打ちではなくイグナティオの方に向いたので、抑えるように兵士に目を遣った。


 それを見て、周りにいた兵士のひとりが慌てて抑えに掛かるが、イグナティオは動きを止めると、その兵士の顔を見つめ、にんまりと笑って大きな奇声を浴びせかけた。


「ふひぅあああぁぁぁぁああ!!!!」


「なんだこいつは!!?」


 兵士が咄嗟に振り払った手がイグナティオの頬を打ったが、イグナティオはこれ見よがしに激しく身体を悶えさせて奇声という奇声のありとあらゆる声をあげた。


「ええい! 早う黙らせぬか!!」


 ニハヴァンテは我慢できずに怒鳴った。


 周りの兵士たちは総出で抑えようとするが、その奇怪さに想わずひるむ。


「そやつはどこから連れてきた!?」


 ニハヴァンテが兵士に問うと、イグナティオを捕らえてきた兵士長が「救貧院の前です!」と畏まって返した。


「では、そやつは白痴ではないか!! この無能めが!! 口の訊けぬ奴が噂を垂れ流すと言うのか!」


「し、しかし、こやつはしかと口を訊いて──」


「言い訳は聞きとうないわ! さっさと救貧院に放り込んで参れ!!」


 ニハヴァンテはそう吐き捨てると「興ざめだ! 加えて100回ずつ、今すぐ全員だ」と命令した。


 イグナティオは数人の兵士に手足を押さえられながら持ち上げられると、そのままもと来た救貧院へと連行された。尻目に悲鳴を上げる老若男女の姿を冷ややかな目で透かし見ながら。






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