第9話 帰省


「ああ、親父。衰弱死するとは情けないぞ。ああ、俺は悲しい」


「本当にそう思うなら、もっと心をこめて拝んでくださいよ」


 父の仏前にて、投げやりな調子で木魚を叩いていた真安に老爺が溜め息をつく。

 このやたらとえらの張った顔をした老人は、時折寺を手伝いにきてくれていた者である。

 邑のどこに住んでいるのかも定かではないが、明安の生まれた頃にはもうこの寺に顔を出していたというのだから、相当の長寿である。


「ああ、悲しい」


 相変わらず棒読み調子な真安に溜め息をつく者がもう1人。

 上月である。

 丁寧にそろえて座った膝の上に、ちょこんと白い手を乗せ、軽く肩を落とす。

 ここは邑外れの寺。真安の嘗ての住居である。


 上月は丘での真安との出会いの後、彼の父・明安の死を告げた。

 二月ほどまえから明安の様子がおかしくなりついに先月、眠るように息を引き取ったこと。

 明安の遺体は、懇ろに寺の墓に収められたこと。(残念ながら仏道の心得がある者がおらす、無神教の儀式となったが)

 居所の知れなかった真安には連絡ができなかったこと。

 驚くかと思った真安は、心得た顔でうなづき、こう言ったのだった。


『それでも、もったほうだろ』


 いやにさばさばした態度であったが、やおらあらぬ方向を向くとこう付け加えた。


『……親父を看取ってくれて、ありがとよ』


『いや……。何もできずにすまなかった』


 その背中がいやに大きく感じ、じっと真安の背を見つめながら、上月は答えた。

 実際、明安の葬儀を取り計らったのも上月ただ1人だった。

 上月はそっと神社を抜け出し、真安の枕元で病祓いの祈祷を数回行った。

 しかし、上月の祈りも虚しく明安は除々に衰退していき、そして死んだ。

 最後に上月への感謝の言葉と、真安への伝言を残して。

 明安の体温のなくなっていく手を握っている時、上月はこのまま真安の面影も陽に解ける雪のように消えていってしまう気がして、切ない気分になった。


 その真安がここにいるー。

 八年間、待ち続けた男が、帰ることのないと思っていた男が目の前に立っている。

 身長が伸びた。

 子供の頃から、上月よりは大きかった真安だが、今では優に頭二つ分が違うだろうか。深緑の袈裟なぞ羽織って、杖など手にしている姿はいっぱしの法師だ。

 肩幅が広くなった。

 腕がたくましくなった。

 顔つきも、昔のやんちゃ坊主の面影を残しながら、すっかり精悍な青年に。

 あの日顔をうずめた胸は、比べようも無く厚くなっているように感じる。

 しかし、目の色は……、蒼と碧の奇妙な色合いを持った瞳の輝きだけはあの日の輝きを失わず、より強い光を宿して帰ってきた。


『どうした?』


 あまりに長い間見つめすぎたらしい。怪訝な顔をして真安が上月の顔を眺めていた。


『いや』


 ふいに気恥ずかしくなり、上月は顔をそらした。


『ん?』


 余計に近づいて覗き込む。


 顔をそむける上月の首筋に息がかかるほどの近さで、真安はふふん、と鼻を鳴らした。


『ははん。

 さては俺があまりにいい男になっていたので、惚れ直したとか?』


 にやにやと笑いながら、顎に手をやる。


『そうだろう、そうだろう。

 これだけの色男はそうざらにはいねぇぞ』


『馬鹿者っ』


 形の良い眉を吊り上げて言うと、上月は丘を降り始めた。

 漆黒の髪が上月の動きにあわせて揺れる。


『おいおい、待てよ』


 慌てて真安が後を追う。


『相変わらず怒りっぽい奴だなー。

 少しは色っぽくなったかと期待して帰ってきたのに』


『余計なお世話だ!』


 肩を並べる真安に怒鳴り返す上月。

 気づかれないようにはしているが、心の臓の鼓動が早い。

 頬が紅潮してきているのが分かる。

 それは怒りのためではない。


『久しぶりに会えたんだぜ、もっと嬉しそうに……笑えよ』


『知るか!』


 からかうような調子で語りかけてくる真安に顔を向けぬよう、上月の足は次第に速くなる。

 しかし、歩幅の差か、真安は余裕を持って歩いてついてくるのだった。


『あ~あ、折角約束とおり、お前が十六になる前に帰ってきたっていうのになー』


 万歳の形で伸びをしながら、そのまま後をついてくる真安の言葉に、上月は冷水を浴びせられたような気分になった。


 そう、自分はあと数日で16になる。

 それは、「儀式の日」が訪れることを意味する。

 ああ、なんということだろう。

 十六になって、神と交わって、そして…おそらくは命を落とすであろう数日前に……この男を愛していることに初めて気がつくとは。

 八年間心にわだかまり続けた気持ちが、風に吹かれた雲のように散る。

 しかし、それと同時に、どうしようもなく泣きたくなるような暗い現実が、上月のに重く冷たくのしかかるのだった。

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