七杯目 食べ物はたいせつに

 ミゲルは相当疲れていたようで、そのまま完全に寝入ってしまった。まだ12歳という幼さながら、公爵家嫡男としてずっと頑張ってきたのだろう。


 両親は、兄があそこまで追い詰められていることに気付けなかったことを悔いている。


 シュトラールは『母の祖国から頂いた良い薬草茶があるから、明日持ってくるよ』と言って、ミゲルを心配しつつも王宮に帰っていった。


「あの、お父さま、お母さま……」


 扉の隙間から覗き込む娘に、顔を上げた父が手で招く仕草をする。


「アンジュの処置のお陰で、最悪の事態は免れた。医師も驚いていたぞ。……本当に、よくやってくれた」


「えぇ、心から感謝しているわ。ありがとうアンジュ」


 両親から一度に撫でられて若干照れた様子を見せつつ、アンジェリカも寝ている兄の顔を見てみる。

 確か兄、ミゲルは秀才ポジションであると同時に病弱キャラだった。しかし、その真の原因をアンジェリカは知っている。


「お父さま、お母さま。私、お兄さまとちゃんと仲直りしたいんです。なので、お兄さまが起きたら、明日は1日……兄妹の時間をもらえませんか?」


 それは、親としても願ってもない申し出である。

 しかし何故だろう。とてつもない不安が頭を過るのは。


「あー……、アンジェリカ。ミゲルはまだ病み上がりだし、あまり子供だけでの外出は」


「駄目……ですか?」


「許可しよう」


「「「旦那様!!?」」」


 目に見えてしゅんとしてしまった娘にすぐさま手のひらを返した父に、アンジェリカは瞠目し、周囲は苦笑した。









 そして翌朝。と言っても、ミゲルが目覚め両親と少し話したあとなのでもう昼前に差し掛かる時間。アンジェリカは意気揚々と兄の部屋に乗り込んだ。


「おはようございますお兄さま!朝ごはんの時間ですよ〜」


「ーっ!?おい、何を勝手に僕の部屋に「お父さまの許可は取ってまーす」なっ……!」


 『裏切り者!』と言いたげな息子から目を逸らす両親を他所に、アンジェリカはテーブルに一人前の朝食を並べた。

 今日は生憎お米が切れていたので、ハムとトマトソースにチーズを挟んだホットサンドと、みじん切りにした野菜がたっぷり入ったコンソメスープだ。


 言わずもがな、当然アンジェリカの手作りである。


「さぁ、昨日の夜も食べてないですしお腹空いたでしょう。どうぞ!」


「……っ!巫山戯るな、誰が君の作った素人料理なんかっ、ーっ!!?」


 未だ寝間着のままごねる兄の口元に、アンジェリカが熱々のホットサンドを差し出す。


「ど・う・ぞ?」


「ーー……い、いただきます………」


 齢11と思えない妹の笑顔と圧に敗北し、ミゲルは渋々口を開くのだった。

 そしてひとくち噛って、目を見開いてからは無言でホットサンドを平らげる。口にあったらしい。


 が、2枚あったホットサンドを全て平らげ、添えられていた紅茶を飲みきっても尚、ミゲルは頑なにスープにだけは口をつけなかった。


 無言のミゲルがスープ以外は空になった食事トレーをアンジェリカの方に押し出すが、アンジェリカは腰に手を当てたまま何も言わない。

 

「……ご馳走さ『ん⁇』いや、だから、その……」


「ミゲル、かなり細かく刻んであるしじっくり煮込んでいたから、ほとんど形も残っていないわよ。ひとくちだけでも食べてみたら?」


 見かねた母がスプーンでスープを掬いミゲルの口元に差し出すが、兄は頑なにそれを拒否した。

 そう、兄は何を隠そうドがつく野菜嫌いなのである。


 アンジェリカもゲームのシナリオを通じてそれは知っていたので、極力野菜が食べやすいメニューを吟味したのだが……。


「コンソメだから野菜の苦みとかはないですよ、温め直しました方なら飲めますか?ほら、とりあえず具は避けて汁だけ……『いらないって言ってるだろ!』ーっ!」


 怒ったミゲルがスープ皿ごとトレーを払い除けた瞬間のアンジェリカの動きは、それはそれは機敏だった。

 まず器をキャッチして宙を舞うスープを器用に受け止めテーブルへ。そしてトレー使い、他の空き皿も皆、回収した。


 思わず周囲が拍手する中、兄に拒否されたスープを一息に飲み干したアンジェリカが、据わった目で兄の寝台に歩み寄る。

 そして、そのまま胸ぐらを掴み上げた。


「昨日から人が下手に出てれば、あーたはなんばしよっとね!食べ物を粗末にするんじゃなか!!!」


 ブチギレたせいでかろうじて被っていた猫も逃げ出したアンジェリカの方言に、呆気に取られる両親。

 そんな中、兄妹ゲンカは止まらない。


「なっ……!うるさい!そもそも野菜なんか、土に植わって育つ庶民の食べ物だろう。僕たちは貴族なのだからそんな物食べなくていいん……ーっ!!」


 パァンっと小気味良い音が響き、床に倒れたミゲルが叩かれた頬を押さえながら涙目で妹を見上げる。


「せからしか!その土に育つ野菜が、どれだけの血と汗と涙と愛で育ってるか知らんからそんな事が言えるったい。わからんのなら、身をもって学ばせればよか!!」


 『さぁ行くったい!!』と、妹に首後ろを掴まれ引きずられていくミゲル。未だ放心な両親や従者達。

 結果、アンジェリカは馬車に乗り込むタイミングで屋敷を訪れたシュトラールに全力でなだめられたのだった。








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