九杯目 兄の心、妹知らず

 ミゲルが目を覚ましたのは翌日の昼前だった。かなり疲れが溜まっていたようだ。


 気だるさの残る身体を寝台から起こすと、侍女から報告を受けたらしき両親が部屋に駆け込んでくる。


「目が覚めたのね、良かったわ。具合はどうかしら。苦しくない?」


「はい、大丈夫です。昨日はとんだ失態を……、申し訳ありませんでした」


「謝るのは我々の方だ。お前の体調の懸念もせずに、心身に負担をかけてしまった。息子があれ程まで追い詰められていた事に気付けないとは、父親失格だな」


 寝台の横にかがんだ父が、ぎこちない手付きで頭を撫でる。

 思えば、ミゲルに嫡男の自覚を、より気高い振る舞いをと言い含めてきたのは付き合いの浅い親族や他家ばかりで、両親が圧力をかけてきたことは無かった。

 もちろん、妹と差別的な扱いをされたことも無い。(まぁワガママに辟易していたのは事実だが)


 勝手に自身を追い詰めて居たのは、ミゲル本人だった。


「アンジェリカは最近お料理に目覚めて、毎日とても楽しそうにしているの。ミゲル、貴方も公爵家の嫡男としてだけでなく、貴方だけの好きなことを見つけていいのよ」


(そんな事を、今更言われたって……)


 そうは言っても、ずっと学問一本道で妹の事から女性への苦手意識もあり社交も苦手。そんな自分がどのような物が好きかなんて今更わかるものかと、その時は母の言葉を一蹴した。














ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 しかしその後の擦った揉んだで、ミゲルとアンジェリカの仲は改善(?)された。仲良しこよしではないが、少なくとも腹を割って話せるくらいにはなったように思う。


 その事を受けてミゲルは再び屋敷に戻って家族と暮らすことになり、必然的にシュトラールとも良く顔を合わせることになった。


「あぁ、いらっしゃいシュトラール。今アンジェリカは料理中だから自分がお相手させて貰うよ」


「ありがとうミゲル。そうだ、以前話した母上の祖国の教本。見つかったから持ってきたよ。読んで君の見解を聞かせてもらえるかい?」


 旧知の仲のように言葉を交わす二人に、周囲は微笑ましい目を向ける。


 元々ミゲルが関心があった学問の中にシュトラールの母君の故郷由来の物があり、同じ学びに関心がある二人は自然と友人関係になっていった。

 これも本来ゲームではあり得なかった縁であり(シュトラールとミゲルはシナリオ的に敵対関係だった)、アンジェリカは二人を見ては首を傾げているが、その原因が己であることなど彼女は微塵も知らないし、もちろん興味もないのだった。


「ふむ……、やはりそもそもの大陸に宿る魔力が違うと、魔道具の発展様式も違うな。これはどう言う仕組みなんだろうか」


「あぁ、それは……」






「おやつの時間でーすよー!」


 ひとしきり話が済んだタイミングで現れたアンジェリカが、可愛い橙色のケーキを持って現れる。


「ありがとうアンジュ、今日のは何のお菓子かな?」


「ふっふっふ、本日は人参を練り込みましたキャロットケーキでございます。残したらどうなるか、当然わかっとーね。お兄さま?」


「……あぁ、もちろんだ」


「あっ!お茶忘れてた。ちょっと行ってきます!」


 足音が遠ざかっていくのを確かめてから、シュトラールが渋い顔のミゲルに苦笑を向ける。


「渋い顔をしているね。大分食べられるものも増えたようだけど、まだ苦手意識は拭えないかい?」


「いや、そんな事は……。調理法を工夫してくれているお陰で、入っていることにすら気づかないことも多いし」


「そうだね、彼女のあの発想力には本当に舌を巻くよ」


「……さぞや手間だろうに、毎回心を砕いてくれることには感謝してる」


「そう思うなら、たまにはきちんと言葉でそれを伝える事だね。なんにせよ、兄妹仲が良いのはいいことだ。私の所はもう絶望的だから」


「……ダズル様は、未だにシュトラールに敵対心があるのか。立太子も既に確定しただろうに何が不満なのやら……」


「ーっ!あぁ、すまない。答えづらい話をしてしまったね。まぁ反抗期もあるんだろう、忘れてくれ」


 ミゲルが眉根を寄せた事で失言に気づいたシュトラールが話を変える。


「ところで、あの日以来たまにアンジュが使っている言い回しはどこの地方の言葉なのだろうね。言語学には長けているつもりでいたのだけど、調べても該当するものが見つからなくて気になっていたんだ」


 『可愛らしいから使うのは全然構わないのだけど』と呟くシュトラールに、ミゲルは『あの圧力が滲み出る姿が、可愛い……⁇』とは思いつつも会話を返す。


「あー……もしかしたら、最近市街で人気の読み物か何かに使われている造語のような物かも知れないな」


「おや、心当たりでもあるのかい?」


「クインテットの学術院に向かう通りの店に、同じような言い回しを使う娘が居たんだ」


 聞けば年の頃も同じくらいの、大通りでも有名な人気菓子店の看板娘だという。一度見かけたら印象に残る、愛らしく華やかな町娘だとか。母は既に亡く父親と祖母と三人暮らし。

 意外と気が強くしっかり者だと、ミゲルは言った。


「詳しいね」


「……一度、学術院で顔を合わせたもので」


「あぁ、あそこは学力さえあれば身分問わず門を開いているからね。しかし、クインテットの学術院に独学で入れたなら本当に逸材だな……」


「…………そうだな」


「また溜めたね。さては成績で負けて喧嘩でも売ったんだろう」


「負けてない!首位に並ばれただけだ!!」


 喧嘩を売ったことは否定しないのか、と苦笑しつつも、話の続きを促した。


「それで、その優秀なお嬢さんと君はどうなったんだい?」


「それが、店仕事があるからと相手にもされなくて……。無理矢理引き止めたら、張り手を喰らった」


 その言葉に、頬杖をついていた肘がテーブルからずり落ちる。


「……え?町娘が?」


「あぁ」


「いや、別に身分で差別する気はないんだが。初対面で?」


「うん」


「国内でも有力な学者も務める学術院の広間で……本気の張り手?」


「とてもいい音が響いた」


「そ………れ、は、流石に君も驚いたろう」


「びっくりした。12年の人生の中で2番目にびっくりした出来事だった」


「……ちなみに1位は」


「アンジェリカに野菜スープをぶちまけようとしてキレられた日」


「あぁ……」


 納得してしまった自分に最早笑うしか無い。その事件現場にはシュトラールはいなかったが、話は大体聞いている。何でも従者達曰く、すっっっっごかったらしい。


「ま、まぁとにかく。その彼女とは結局どうなったんだい?」


「流石に謝られて、自分も悪かったから無礼は不問にした。確かに仕事の妨害は悪かったからな」  


「大事になっていなくて良かったよ」


 その後は彼女と一度も顔を合わせないままにミゲルがこちらに帰ってきてしまったので、結局それっきりらしい。


「ただ、ひとつ後悔している事があって」


「なんだい?」


「あの時、叩かれる前の彼女の言葉は聞き取れなくて流してしまったが、もっとちゃんと聞いておけば良かったと」


「…………理由は聞かないでおくよ」


 どこかうっとりした遠い眼差しで空を見上げたミゲルに、既に手遅れだったかとシュトラールは密かに項垂れた。



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