第14話・貴方がそれを望むなら

「風岡さん、本気ですか?」

 博は先生の顔を崩さず、ナイフを抜いたハルナさんを見た。

「貴方の素性は知っています。無試験入学できたところを敢えて受験してきたことも。しかし……」

「これから一年間師と仰ぎ、導く標の実力を知りたいのです」

 油断なく身構えながら、ハルナさんは博を見る。

「どうか、一戦」

「仕方ありませんねえ」

 博はぱちりと指を鳴らした。

 オレたちの座っていた椅子や机がオレたちごとスライドして、教室に角に寄せられる。

 超能力……? いや、魔法?

「ならば、五分間」

 博はスーツのジャケットを脱ぎながら言った。

「私は素手で、最後の一分になるまで攻撃しない。先に相手の急所に得物を当てた方の勝ち。それでいいでしょうか」

「分かりました。感謝します」

 博は机の上に置いてあったストップウォッチを、かちりと鳴らした。

「開始」

 ゆらり、と影が動いた。

 ハルナさんが風より早く床を蹴って博に襲い掛かったのだ。

 まずいよ博、いくらお前が勇者だとしても、ハルナさんは強いんだよ?

 そして、ハルナさんの襲撃には容赦がない。

 目、喉、心臓、急所と呼ばれる急所をえげつないほど狙ってくる。

 博はそれを間一髪か二髪の所で避けている。

 このままじゃ、本気であのナイフで急所抉られるぞ……?

 右、上、上、下、左、右、下……。

 ナイフのラッシュ。

 それに博は耐えている。

 鋭いナイフの切っ先に当たらないで。すれすれのところで。

 その動きは、剣舞を連想させるほど優雅で、華麗で。博の命がかかってるだなんて、忘れさせるほどの動きで。

「クッ」

 ハルナさんが息をついた。悔し気に。

 そして、ストップウォッチがラスト一分を告げた瞬間。

 猛反撃が始まった。

「く、うううううううっ!」

 見えない!

 博の右手が見えない。代わりに、ハルナさんの肩が、腕が、足が、弾かれたように後ろに反らされる。

 そして、十秒経ったか経たないか。

 博がぴたりと動きを止めた。

 手刀が、ハルナさんの喉に当てられている。

「参りました」

 ハルナさんは頭を下げた。

「体捌きのご教授、ありがとうございました」

「なんでだよ、勝てただろ、本気出せば!」

 那由多くん……。

 散々怒られた相手の負ける瞬間が見たいからってさあ、女の子に戦わせといて……。

「勝てない」

 ハルナさんは冷静に言った。

「誰も気付かなかった? 三人もいて?」

「は?」

「いや……何が、あったんだね」

 那由多くんと土田のおっさんが首を傾げる。

「貴方は?」

 話を向けられて、オレはさっきの戦闘を思い返した。

 ハルナさんの猛攻を読み切ったように……。博は……攻撃をよけて……。

 ……あ。

 優雅に舞うかのような博の動きに、唯一足りなかったもの。

 それは。

「移動? もしかして、一歩も、動いていない?」

「そう」

 少しオレのことを見直した顔で、ハルナさんは言った。

「安久都先生は、わたしの攻撃ターンの間、その場所から一ミリも動いてなかった。体捌きだけで、わたしの攻撃を避けていた」

「気付きましたか。それも二人も」

 博は汗一つかかず「安久都先生」の顔に戻り、教卓に戻ってパチンと指を弾く。

 再び椅子と机が元通りの場所に戻った。

「私も、勇者となるために一年間、この学校で訓練をしました。それにプラスして自己修練と派遣任務。私が学校を卒業して、五年経っていません。五年間鍛えれば、皆さんがこのレベルとなれます」

「む、無理だよ無理」

「なれます」

 博……安久都先生は繰り返した。

「私も最初は求職の為だけに来た、ひ弱で、体力も技術も能力も根性すらなかった一日本人でした。訓練に嫌気が差して逃げ出そうとしたこともあります。しかし、耐えて一年、勇者のひよことして認められ、三年後には異世界の存亡を決する戦いの中心に居て、そして今、皆さんの目の前にいます」

 そう。

 中学校の頃の博は、オレと同じ、ゲーマーで勉強にも運動にも興味がなかった。興味がわいたのは、何らかの形でゲームに関係していた部門だ。戦略ゲームで歴史とか。勉強が全部ゲームだったらオレら最高点なのになって笑い合っていた。

 それが、今、となって、オレの目の前に立っている。

 弱い存在を助けるべく前に出る、となって……。

「学校のパンフレットを受け取って、入試を通過し、そして自分の意志でここに来ることを選んだ。その時点で、皆さんはなのです。もちろんここから去って普通の一個人として生きていくのも、それはその人の人生。私たちは止めませんし止められません。その選択肢を選んだ生徒は何人もいます、ですが、考えてください」

 そこで先生は一旦言葉を切って、言った。

「自分の培った力が、何かを救えるということを」

 教室はしん、としていた。いつもなら何か言いだす那由多くんまでもが先生の言葉に惹かれて黙り込んでいる。

「勇気とは、様々です。例えば、電車でご老人に席を譲るのも勇気です。断られたら、怒られたら、そんなことを思いながらも立ち上がって席を譲る行為。それを絞り出せば、何千、何万と言う人たちを助けられる。助けた人たちに感謝の笑顔を向けられる。……それはとても誇らしく、素晴らしいことです。自分の勇気が、この人たちの笑顔を引き出した。ありがとうと言ってくれた。……逃げ出そうと思った私が残った理由が正にそれ。課外授業で行った異世界のモンスターに襲われていた人を何とか助けた。決して強いとは言えない私がやったこと。それに、その人はとても感謝してくれました。ありがとうと何度も言ってくれました。それが、嬉しかった。どんな報酬よりも、どんな偉い人のほめ言葉よりも」

 …………。

 なあ、博。

 お前はオレの知らない十年で、何をやって来たんだい?

「……なれるでしょうか」

 震える音が鼓膜を打った、

 土田のおっさんの声。

「六十間近、デスクワーク、そして使い込んだ上で退職……そんなクズのような私にも」

「なれます」

 先生は断言した。

「貴方がそれを望むなら」

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