吸血鬼譚Killer Girl ~ハンターの姉vs吸血鬼の妹~

石黒陣也

プロローグ

第1話

 1:

「いてっ」

 プリントの端に指を滑らせ、浅く切れてしまった。

「大丈夫? 高行くん」


 生徒会室で一緒に作業をしていた誌原希美さんが俺の指へ手を伸ばし、両手で抱えた。


「血が出ちゃってるね」


 ウェーブのかかったショートカットの同級生。少しふっくらした表情は、口調と共に穏やかさと柔らかさがある。


 その誌原さんが何を思ったのか突然、俺の指を口に咥えた。


 どきりと心臓が高鳴り始める。ぬめりと柔らかい彼女の舌。少しだけ声を漏らした彼女は、穏やかな姿とは違って官能的だった。


 痛みが走る。


「あたっ」


 誌原さんの口に咥えられている俺の人差し指に、ちゅっと少し吸い付いた音を立てて、誌原さんが咥えていた俺の指を離した。


「噛んじゃった」


 それから彼女は「保健室から絆創膏とって来るね」と言って、生徒会室から出て行く。


 しんと静まった生徒会室の窓からは、夕焼け色が赤々と入ってくる。


 そんな中で誌原さんの――口内の感触が残る自分の指を見て、俺は顔が熱くなって動けなくなった。

  


「きつくないかな?」

「大丈夫、丁度良いくらい」


 誌原さんが持ってきた絆創膏は今、俺の指に巻かれている。彼女が巻いてくれた。

 がたんがたたんと廊下まで響く引き戸の音。静まってしまえば、運動部の声が遠く聞こえてきた。


「さ、行こっか」

 生徒会室に鍵を掛けた誌原希美さんが振り返って言って来た。

 心臓に、高鳴った余韻がまだ残っている。耳の裏が熱くて火照って、


「あ、ああ」


 なんだろうか、直視できなくなってる……。


 普段はおっとりとしてあまり目立たないが、たまに可愛らしい仕草をするんだなと、密かに見ていた――そんな子が、健全な男子学生(自分)に熱を持たせるようなことをするなんて。


「何をぼーっとしてるんですか」


 ドキリとして、うおっと声を上げて仰け反ってしまった。


 誌原さんがこちらにやや前屈みになって顔を覗き込んでいる――そして、顔の下の制服の隙間――首元から下着の端が。


「うん? どうしたの?」


 この子は無防備すぎる。


「な、なんでもない。行こうか」


 ……体が変にぎくしゃく。緊張する。

 職員室へ向かって、誌原さんと歩く。


「遅くなっちゃったね」

「そうだね」

「家の人は大丈夫? 何か言われちゃうかな?」

「いや、俺年の離れた兄貴と二人暮らしだから」

「そうなんだ」

「誌原さんこそ――」


 言いかけたところで、不意に誌原さんが立ち止まった。

 俺も脚を止めた。


「うん?」 


 目の前には、


 二年の女子学生。先輩がいた。


 名前は分からない。履いている上履きの色で、一つ上の上級生だと分かったぐらい。


 その二年の先輩が廊下で、窓辺から遠くを見ている。艶やかな長い黒髪が夕焼けの色で濡れたようになっていて――呆けてしまった。


 本当に綺麗だと思った。あっけに取られるほどに。

 二年の先輩が気づいてこちらに向く。


「何かしら?」


 二年の先輩が言って来た。さして何の表情もない顔で言ってきたので、冷ややかな印象が見える。


 謝ったのは誌原さん。


「ごめんなさい。つい立ち止まっちゃいました」


 にっこり笑顔。からかいも悪意も微塵に感じない、誌原さんの笑み。


「……そう」


 俺達が立ち止まったままだったからか、二年の先輩が立ち去ろうとする。

 脇を通って行く二年の先輩。誌原さんが声を掛けた。


「そろそろ学校閉まっちゃいますよ」

「分かってるわ」


 ……そのまま、二年の先輩の背中は、廊下の階段へ消えていく。


「綺麗な人だ」


 居なくなってからぽつりとこぼれてしまった。


「……高行君ああいう人が好みなんですね」


 言ってしまってから、からかわれた。くすくすと鈴のように笑う誌原さん。


「そういう意味じゃなくて、その、あの」

「そういう意味じゃなくて?」


 悪戯っ子のような笑みの誌原さんが聞き返してきて、


「じゃあ、私みたいな子供っぽいの駄目ですね」


 と言ってきた。


「――え?」


 つい間の抜けた声が出た。


 それが聞こえたか聞こえなかったのか、誌原さんは両手を後ろに組んで職員室へ向かって歩き出す。


 呆然としていると、誌原さんは立ち止まりこちらに振り向いて、


「早く帰ろ」


 意地悪く小さい舌を出してきた。

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