手を……繋ぎたい
そのコンマ一秒の瞬間に俺は昔の記憶を思い出した。
―――――――――――――――――
「ねぇ、隼人?」
「ん、どうした葵?」
あれは、夕暮れ時。
蜜柑色に輝く教室から見て、おそらく高校2年生だろう。
学ラン服を身に纏い、部活がオフの日。時間ギリギリまで教室で復習をしている隣で葵が鼻歌を歌いながら待ってくれていたのをよく覚えている。
「——隼人ってさ、好きな人っているの?」
「す、好きな人? なんで急に―—」
「いやぁ、さっ。私たちってずっと一緒だったじゃん? 他の異性と遊ぶことなんてあんまりなかったし、どうなのかなぁ~~って」
「どうなのかなぁ~~って、なぁ。そう言われるとなかなか難しいものがある」
そうか、思い出した。
俺と葵はここで道を別たれたのか。
ここで俺は葵を選んでいなかった。
もうすでに俺は選択をして、その選択を間違えて——ここまで歩みを進めてきたのか。
ここで、もし俺が——
「しいて言えば、誰かいるの?」
「う~~ん、好きな人、ねぇ」
外では野球部のノックの音、吹奏楽部の演奏。
多くの部活が声をあげている、学校という名の世界の中で俺は少し考えた。
考えて、考えて、考えて。
——その先に待っていた答えが
『俺は———―多分、葵のことが好きなのかもなっ』
『っ——!? わ、私!?』
『あぁ。葵の事なら何でも知っているつもりだし、女子はお前くらいしかいないからな』
『べ、別に——私以外いるでしょうが?』
『お、いいのか? まぁいるにはいるぞ? ほら、マネージャーとか』
『い、いじわる……』
『ははっ、冗談だよっ、冗談っ』
『え、s、すす、好きじゃ——ないのっ』
『そっちの冗談じゃねぇ……。まったく、言わないと分からないのか、葵は?』
『べ、べべ、別に……私、馬鹿じゃないしっ』
『学年29位だもんなっ』
『な、なんかそれは、隼人に言われるとムカつくしぃ』
『俺は2位だからな』
『うぅ……』
『まぁ、そんなこと置いといて、だ。とにかく、言いたいことはな』
『っ——』
『俺は、葵のことが好きだ』
『……』
——そんな、そんな、そんないい未来があったのかもしれないというのに、俺はあそこで葵を選んではいなかった。
「強いて言うなら……マネージャーかな、佐藤さん? 優しいし」
「っ——そ、そっか」
「ん、どうした?」
「いやぁ……なんでもないっ。ただ、ね。私ってつくづく……報われないんだな、と」
「報われない?」
「いや、なんでもないっ。隼人、私っ。応援しているから頑張ってね!」
涙をはらんだ苦しそうな笑顔。
あの時は考えていなかったが、今なら分かる。この笑顔は偽りだったのだと。
俺の選択の間違いで、でもその間違いはゲームの様には修正できない。
本当に、後悔だ。
今になって。償えない後悔。
俺のことをずっとそばで見てきたのは葵だけだ。昔から、ずっと昔から一緒に生きてきたのは葵、彼女だけだった。
それを理解できなかった、幼い俺にずっと大人になっていた葵は見守ってくれた言う事実が凄まじく悔しい。
どうして、分かってあげられなかったんだ。
そんな後悔、今更だと言うのに。
拳に力が入る。
下唇を噛んだ。
今度は真正面から、受け止めろ。
何もできないと、その先を見て——何もしないのは怠惰だ。
一度の失敗で、終わらせるのはもっと怠惰だろう。
———————————————————
まるで宝石のように煌く碧眼、陽の光を反射させるほどに艶があるさらさらな銀髪。今にも折れてしまいそうな細い腕と脚、日本人離れした色白さ。少し身体を動かしただけでも揺れる胸に、いつもとは違う桃色の照った唇が俺を妖艶なる世界へ誘おうとしているのが分かる。
ごくッと生唾を飲み込んで、喉を鳴らした俺はぐっと力を入れて身構える。
(これが、大事なことだったのか……)と冷静に頭の中で考えていたが、俺の心臓は時を止めるかのように激しく鼓動を繰り返していた。
「————っ」
漏れ出る吐息に、微かに香るシャンプーの匂い。
周りにいるはずの見物客はいつの間にか感じなくて、俺の目には葵しか映っていなかった。
その小さな身体を俺の方に抱き寄せて、上目遣いでこう告げる。
「私っ————隼人と、ずっと一緒に居たい」
脳天に何かが直撃したのか?
いや、烏の糞でも掛けられたのか?
様々な思考がぐちゃぐちゃに重なり合って頭が理解をしようとしてくれなかったが、葵の瞳が微かに揺れているのが見えた。
「ぇ……あ、葵?」
「私、ずっと……隼人が好きだったよ?」
「す、好き? お、俺を?」
「うん、好きっ。いや、嘘」
「え——ど、どっち」
「好きじゃない――――大好きっ」
にぃ―—と歯茎を見せながら笑みを漏らす彼女。
いつもになくいじわるな笑みだった。
そんなこと言う彼女の呆気を取られた俺はすぐに言葉が出なかった。
『お前は何をやっている?』
頭の中で何かが言った。
『一度の間違いを正したいんだろ?』
あの走馬灯で、俺は。
『ならば、彼女の言葉に誠心誠意向き合え。逃げるな、驚いたふりなんかして、逃げるんじゃねえ』
逃げたくはない、でも体が、心が反対方向を向いて逃げようとしている。
噛み、殺して、動け、俺。
「——ははっ、言っちゃった」
「——」
「これがね、私の言おうとしていた大事なことだよっ」
今にも泣きそうで、でも言い切ったと満足している笑み。
ここまで脆そうな葵は見たことがない。
いや、嘘だ。
あの選択から彼女は少しだけ大人になっていたんだ。
俺が見ていないだけで、葵は——ずっと前から脆かったんだ。
ガラスの強度のように硬そうで、でも一点を刺激したらすぐに砕けるように脆い。
葵はずっと、そうだったんだ。
「————ははっ、ど、どうしよっ」
そんなぐちゃぐちゃな笑顔を見て、俺は——
「——っ‼‼」
「え——」
俺は、飛びついた。
そして、彼女を覆うように抱きしめる。
「ど、どどどど―—ど、した――の」
「どうしたも、こうしたも……伝わらないか?」
感じる温かさ。
そして、優しさ。
柔らかく、でもな芯のある小さな体。
俺の両腕で事足りる大きさの葵にふと、笑みが零れる」
「つ、つた―—わらない」
「わざわざ、言わないと駄目か?」
「っ——だ、だめ」
「はぁ……葵はまったくもって、我がままだな」
「い、言ったし……言って、分からないっ……」
吐息が耳元で揺れる。
温かいな、葵は。
「——俺は」
「うんっ」
「——葵の事」
「うんっ」
「——たくさん知ってるよ?」
「——んっ……な、ずるぃ……」
ちょっとしたいじわるに反応するのも葵のいい所だな。
「ははっ、冗談……まぁほんとだけど」
「それは知ってるし……」
「じゃあ、言うぞ?」
「——っ」
「葵」
「は、はいっ——」
「好きだ。付き合ってくれ」
「——っん! うん‼‼ 私も、好き‼‼」
ぎゅっと手のひらの様な彼女は俺のことをより強く抱きしめる。
この小さな身体にどれだけの思いが詰まっているのか。そのすべては分からないけど、頑張って、足りない気持ちを埋めようと必死に抱きしめているのはよく分かる。
まったく、可愛い。
綺麗で、可愛くて、愛らしくて……ようやく掴めたのか、俺は。
幼馴染という不確かな関係から、恋人になれたのか。
俺に、そんな大役。
できるのかな。
「て」
「手?」
「手を……繋ぎたい」
「手か? ハグまでしてるのに?」
「うん、だって……恋人っぽくない?」
「ま、まぁそうか」
そうして、俺は葵の手を握った。
体よりも小さくて、柔らかくて、手に取るように分かるほどに細くて、愛らしい指。
ぎゅっと力を入れると、葵もまた返してくれて、握っているのが心地よかった。
「っ……な、泣いて……いいかなっ」
「……あぁ、思う存分」
<あとがき>
まず、第一章の終わりです。
恋人なんていう響き、どこか儚く感じますな。
とりあえず、一旦お別れですかね。
次は第二章で。
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