とある従者と王子の在り方

佐倉奈津(蜜柑桜)

第1話


 日が落ちてからもう長らく経ち、屋外は勿論のこと、館の中でも人の声が聞こえなくなった時分である。屋敷の一角で、まだ明かりの灯った部屋の窓が開けられた。


「ああ、開けると外は結構、涼しいですね」


 入ってくる風に気持ち良く息を吸い込み、ロスは窓にかかっていた薄布をまとめながら背後の人物に話しかける。


「夕方までかなり蒸し暑いと思ったがな。シューザリーンほどの都ではないから緑地も多いし、標高もやや高めだから寒暖の差が大きいのだろう」


 机の上の書類に目を落としたまま主人のカエルムが答える。羽根ペンを止めこそしないが、先ほどから着崩していた上着の留め具をもう一つ外し、軽く扇いで風を入れた。重要な政務書類を扱っていて締め切りにしていたため、室内の気温が大分上がっていたらしい。

 この度、二人が来ていたのはシレア国王都シューザリーンから遠く離れた辺境の地だった。州長が新たに就任するのに合わせて地方官や自警団員の入れ替えもあり、各部署の人員増減に伴う業務変更、及び給料の見直し等々の確認が必要だったのだ。通常なら書面で済む事柄も多いが、歴史的に王都と繋がりの薄かった土地だけに、実態に即しているかどうかを見定めるためにも視察を兼ねて訪問することになったのである。自警団は国防団の末端組織に当たるため、最高司令官のロスが随行しなけらばならないのも当然だった。

 空になった水差しへ檸檬水を注ぎ一口含むと、喉もかなり渇いていたのに気がつく。窓のところからロスが戻ってくるのでもう一つの杯も水で満たすと、カエルムは卓まで近づいたロスに手渡した。


「これも残り数枚に署名したら終わりだ。州長のところには私が持っていくから、ロスはもう自警団の方へ行っていてくれ」

「あと少しなら待ちますけれど」

「いや、渡すついでにさっきの夜盗の件も少し話すだろうから遅くなる」


 いま二人がいるのはこの州の行政の中枢になる館で、州長官の任期中の居所になる。王族が視察に来た場合には大抵、この館に泊まるが、今回は査察と親交を兼ねてカエルムもロスも共に自警団の宿直所に泊まることになっていた。翌朝の早朝訓練から参加する予定なので、その点でも都合が良い。


「先に戻って休んでいてくれ。自警団も、特に新顔などは私がいない時間があった方が気楽に話せる者もいるだろうさ」


 自警団の面々の中でもカエルムの性格を知っている古参の団員なら、王子が同宿しようが大して気に留めないだろうが、新たに入団した若い団員はそれこそ緊張してしまうだろう。彼らを慮っての意見であり、ロスにも異論はない。


「それではお言葉に甘えて失礼します。まあ心配無いと思いますが、一応、身は気をつけてくださいね」

「分かっている。そちらもな」


 言われた通りロスが屋敷を辞する準備をしている間にカエルムも書類を仕上げたらしく、二人は共に部屋を出て、廊下で別れた。表扉から外に出てみれば空には朧月が出ていた。街灯の少ない道から見上げると妙に白い明かりが強く感じる。ロスは門を押し開けた。この街の道はシレア城下に比べれば舗装が粗く、踏み出せば靴底で砂利の音が立つ。

 州長官の館からすぐのところで、道は二手に別れる。自警団宿直所に向かう右の道へ体を向けたところで、妙な音を耳が捉えた。

 足を止めれば——間違いない。虫の音に混じって、自分以外の者が石ころを踏むざらついた音。一人ではなく複数人か。普通に歩いているようには聞こえない。急いでいると思えば止まるという繰り返しだ。辺りを伺いながら進む輩がよくやる動きだ。


 ——なんかまた変なのに当たったのかもしれない。


 ついてない、と内心で愚痴る。この土地の自警団に顔を出すのは久しぶりで、中には話の合う者もいたため、正直なところ少し楽しみにもしていたのだ。

 しかし不穏な動きを感知して放っておくわけにもいかない。これも仕事である。愛剣の柄に手をやり、ロスは一度踏み出した足を別の方へ向け直した。







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