人の優しさとアンドロイドの涙
蓮見庸
人の優しさとアンドロイドの涙
身寄りのなかったひとりの少女カウラ。
彼女は子供のいない老夫婦にもらわれ、その両親に愛情を注がれて育ち、今日で5歳になった。
その誕生日の夜、彼女のところにアンドロイドがやってきた。
彼はリカルドと名付けられ、教育係としていっしょに暮らすことになった。
「リカルド、わたしがいろいろ教えてあげるわ。何でも聞いていいわよ」
「はい。ですがひと通りのことはすでに学習しています」
「なによ、いやなロボットね。せっかくなんでも聞いていいっていってるのに」
「それではカウラ、ヒトは涙を流すことがあると教えられました。けれどワタシにはいまだにそれがどういうことなのかよく理解できません。ヒトはどんなときに涙を流すのでしょうか?」
「涙? そんなの決まってるじゃない。人っていうのはね、楽しいとき、嬉しいときに大笑いして、涙を流すのよっ!」
「それでは、涙を流しているときは、楽しい、嬉しい感情のときなのですね?」
「そうよ、当たり前じゃない。他にも聞きたいことがあったら、なんでも聞いていいわよ!」
「はい、カウラ。そうさせてもらいます。いろいろ教えてください」
* * *
10年後、多感な時期を過ごしていたカウラは人生の哀しみを知った。
「カウラ、お帰りなさい」
「ただいま……」
「カウラ、どうしましたか? 泣いているのですか?」
「違うわ……」
「涙を流しているように見えますが」
「………」
「今、楽しいのですか?」
「え? そんなわけ、ないじゃない……」
「では、嬉しいのですか?」
「だから、違うっていってるじゃない!」
「はい、申し訳ありません。今日はお友達のアレックスは一緒ではないのですか?」
「なによ、リカルドのバカっ! 分からないの? ふられたのよ! 彼、別の
* * *
やがてカウラは科学者としてその道を歩みはじめた。
研究所でめぐり逢ったパートナーとの間には子供が生まれ、幼いころのカウラがそうだったように、リカルドが教育係となった。
けれど、このまま幸せな日々が続くと思っていたある日、不幸なことに、カウラを残して家族全員を事故で失ってしまった。
あまりにも突然のことだった。
「ねえリカルド、みんなのことちゃんと憶えてる?」
「はい。みなさんの思い出はすべてデータに記憶されています」
「……そうね。でもこれからは新しいデータは蓄積されていかないのよ」
「はい、それはすこし残念です」
「ええ、とても残念だわ……。今はこんなにも悲しいのに、いつかこんな気持ちも忘れちゃうのかしら……」
「カウラ、泣いているのですか?」
「ええそうよ。リカルド、人は悲しいときにも涙を流すのよ」
「悲しいとき、ですか?」
「それから悔しいときにもね」
「悔しいとき?」
「いろんなときに涙を流すなんて、へんな生きものよね。あなた達のほうがよっぽどまともに見えるわ」
* * *
「おばあちゃん、またね〜!」
「えぇ、みんなお父さんとお母さんのいうことをちゃんと聞くのよ。また顔を見せてちょうだいね」
窓の代わりに壁に掛けられた大型モニターの映像が消えると、部屋の中はベッドの上に座っているカウラとリカルドのふたりだけになった。とても静かな部屋だった。
「この歳になって、こんなにたくさんの子供ができるとは思ってもいなかったわね」
「そうですね。ヒトは面白いものですね」
モニターには今度はいくつかの黄緑色の輝点が表示され、じわりじわりと動いていた。
その光はこの星から離れていく宇宙船の姿。若者とその子供たちを乗せた宇宙船。
「これでやっと安心ね」
「はい。若者がみんなこの星を出ていく選択をするとは思いませんでした」
「あとはみんなで何とかして生きていってもらうしかないわね」
「そうですね。けれど確実に滅ぶと分かっているこの星に残ることに比べたら、たいしたことではないでしょう。しかもそのために年老いた人たちが命懸けの選択をしてくれたのですから、彼らだってその思いをなかったことにすることなく、必死に生きようとするでしょう。すべてカウラのおかげです」
「あなたもよくやってくれたわ。なんだか、ホッとしたわね…」
カウラはベッドに横になり、星々の
「カウラ、泣いているのですか?」
「いいえ、違うわ…」
「では、どうして涙を流しているのですか?」
「それはね……ねぇリカルド、これまでいろいろあったわよね」
「はい。ワタシがカウラのところに来てから、システムのアップデートは3回、ボディーのメンテナンスは12回行いました。それから…」
「あなたはいつもそうだったわよね…。でも、そんなあなたにずいぶん助けられたわ」
ふふっとカウラは嬉しそうに笑った。
「カウラ、楽しいのですか?」
「ええ、楽しいわ」
「嬉しいですか?」
「ええ、もちろんよ」
「だから涙を流しているのですか?」
「リカルド、教えてあげるわ。わたしが涙を流しているのはね、あなたの優しさを思い出していたからなのよ…」
「ワタシの、優しさですか?」
「ええ、そうよ。あなたは知らないでしょうけれど、これまであなたには何度も助けられたのよ…」
カウラはベッドの横に座るリカルドの瞳の奥の色を覗き込むようにいった。
「そのような記録はありませんが、ワタシの知らないときに何度も危険な目に遭っていたのですか?」
「そうじゃないわ……いえ、でもひょっとしたら、そうともいえるかもしれないわね。人生の危機っていうのかしら?」
ふふふっとカウラはまた嬉しそうに笑った。
「人生の危機ですか…?」
「人はね、悲しいとき、悔しいときにも涙を流すっていったの憶えてる?」
「はい」
「でもね、ほんとはそうじゃなかったみたい…」
「それはどういうことでしょうか」
「人はね、誰かの優しさに触れたときに涙を流すの。今のわたしがそうよ。悲しいときに支えてくれて、その悲しみの裏側やその先には必ず希望があるんだと教えてくれる誰かの優しさ、悔しいときに話を聞いてくれる誰かの優しさ、楽しいときや嬉しいときに一緒に喜んでくれる誰かの優しさ……そんなものを思ったときに涙を流すのよ」
「誰かの優しさ、ですか…」
「そうよ。わたしはね、そんなとき、その優しさと心が共鳴するような感じがするのよ。その相手がどう思っているのかはわからないけど、わたしはぜんぜん構わないわ。あなたにうまく伝わるかしら……?」
「ワタシには心がないのでわかりませんが、先ほどの言葉からすると、ワタシがその誰かなのですか?」
カウラはそれには答えず、ゆっくりと目を閉じた。
「もう休んでいいわよ…これまでずっと、ありがとう……………」
「…カウラ? カウラ?!」
『心拍数…ゼロ、呼吸…ナシ、体温…低下中、応急処置…不能、蘇生の可能性…ゼロ』
リカルドはカウラの手を取ったが、彼の体の中に埋めこまれているセンサー類は、カウラの体がすでに生命活動を停止したことを告げていた。表に出すことはなかったが、その体はもうかなり前から病に蝕まれていた。
静かに手を戻し、ふと彼女の顔を見ると、リカルドに話しかけたそのまま、優しく笑っているようだった。
「……カウラ。ワタシにもあなたの、いえ、ヒトの優しさというものがわかったような気がします」
リカルドの頬を、ひとすじの涙が流れていた。けっして流れるはずのない涙が。
人の優しさとアンドロイドの涙 蓮見庸 @hasumiyoh
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