第13話 温泉を取り戻せ!(後編)

「――あらぁん? この気配、もしかして月の聖女かしらぁん?」


 声がして振り向くと、セクシーな巨乳のお姉さんがわたしたちを見下ろしていた。


「こんなところで会えるなんてとんだ奇遇ねぇ」

「え、えっと、ど、どちらさまでしょうか……?」

「フフ、かわいいじゃない。いいわぁん……そそるわぁん……」


 ジュルリ、と舌なめずりをした。

 鋭く長い四本の犬歯が印象的なお姉さんだ。


「あ、あんたがこれをやったの!?」


 ミーちゃんがキッ、とにらみつける。


「そうよ、ここの温泉は美容にいいの。だから源泉をせき止めて私だけの温泉を作ったの。人間にはもったいないわ」


「ミミさん……、村で戦ったネクロマンサーが言っていた『あの御方』というのは、もしかしてこの女性のことではありませんの?」


 ベルちゃんの言葉を聞いてお姉さんは笑った。


「そうそう、あのジジイを倒したんだったわね。新しい魔法が開発できたら足を舐めさせてあげる約束だったけど、面倒事を残して死ぬなんて恥知らずな眷属けんぞくね。……まあ、今はそんなことよりも」


「え?」


 フ、と消えたかと思うと、いつのまにか目の前に立っていた。


「あ、あれ?」


 トン、と心臓に指を当てられた。


「さあ月の聖女ククリル……私色に染めてあげるわ……」


 ズズズズズッ……


「わっ!?」


 メイドさんの服が、ヤミーに染まって黒いドレスに変化していく……。


「月の聖女は夜を統べる私にこそふさわしい……」

「……ぁ」


 そして、きつく抱きしめられた。

 胸と胸が密着する。

 お姉さんの体はびっくりするくらいに冷たいけど、やわらかくて気持ちがいい。

 それにすべすべだ。


「好きよククリル……それは誓いのドレス……」


 舌は首筋を這い、徐々に上にのぼり、カプ、と耳を噛まれた。


「――っ!」


 思わず体が震える。


「ふふ……かわいい……」


 顔を離すと、お姉さんの唇に血が付いているのが見えた。

 お姉さんはじゅるり、と舌で舐め取ってしまった。


「ああ……おいしい、これが月の聖女の味なのね……たまらないわ……」


 うっとりと目を細め、自分を掻き抱くようにして震えている。

 と、またしてもわたしに向き直り、両肩に手を乗せられた。


「さあ、永遠に私のものになりなさい……」


 顔が近づいてくる。


「はっ……はっ……はっ……はっ……」

 

 鼓動が早い。

 息が、苦しい。

 お互いの熱い息が触れる。

 そして――


「んっ」


 唇を、やわらかな唇でふさがれた。


「――クーちゃん!」


 ミーちゃんの声が聞こえた。


「クーちゃん! 払い除けて! クーちゃん!」


 ちゅっ……ちゅる……


 わたしは金縛りにでもあってしまったかのように動くことができない。


「……フフ」


 お姉さんが顔を離すと、唾液が糸のように伸びた。


「…………」


 ぼんやりとそれを見ていたら、


「あ、れ……?」


 ぐらり、と視界が揺れた。

 ド、ド、ド、と心臓が早鐘のように脈打っている。

 き、気持ち悪い……


「お姉さま!」

「クーちゃん!」


 お姉さんは唇を舐めて妖艶ようえんな笑みをうかべている。


「あ、あれぇ……?」


 ミーちゃんとベルちゃんがなにか叫んでいるけど、うまく聞き取れない。

 視界が、思考がぼんやりしてしまう。


 ふたりは、武器を構えてお姉さんと向き合っている。


 怒っている……わたしのために怒ってくれているんだ……。

 でも、武器を持つ手が小刻みに震えているのがかすかに見えた……。

 本当は怖いんだ……それなのに、わたしのために立ち向かってくれて……。


「こ、こんなのっ……!」


 腰帯からムーンライトスティックを抜いて、念じる。

 光が、力が全身を駆けめぐるのを感じる。

 

 お姉さんが目を剥いてこちらを見つめている。

 わたしは、一気に力を解き放つ!


「――ムーンライト・セレナーデ!」


 キラキラキラキラ……


 漆黒に染まったドレスが純白に染め上げられていく。

 まるでほんとうの花嫁さんみたいだ。


「……へぇ」


 お姉さんがまた舌なめずりをした。


 うん、クリアに見える。

 音も聞こえるし、もう大丈夫。


「クーちゃん!」

「さすがですわお姉さま!」

「え、えへへ……」


「さすがは月の聖女といったところかしら」


 お姉さんは舐めるような目つきでコツコツと歩を進めてきた。


「あのまま、お人形さんになっていれば話は早かったんだけど……」

「む、むん! って、あっ!?」


 と、焦ってスティックを落としてしまった。


「ドジっ子ね。そういうところもかわいいわ」

「はわ、はわわわわ……!」


「クーちゃん!」

「お姉さま!」


 ふたりの叫びにも似た声が響いた。

 スティックを拾い上げたけど、目の前にはお姉さんの白い足があって――。


「さあ、今度こそ私のものにしてあげる」

「っ!」


 ――シュッ!


「…………え?」


 反射的に閉じてしまった目を開く。

 すると、


「……な、なんでお団子が飛んでくるのかしらん?」


 お姉さんが怪訝けげんな顔でお団子をつかんでいた。

 と、ミーちゃんが斬りかかった!


「――やっ!」

 

 意表を突いた攻撃だったけど、結局は後ろに下がって避けられてしまった。

 お姉さんの手から離れたお団子が宙を舞う。


「…………」


 ジリ、とお姉さんと相対するミーちゃん。

 ベルちゃんも杖を構え、いつでも死霊さんを呼び出せるようにしている。


「……フフ、まあいいわ。今日はこのくらいで引いてあげる」


 フ、と空気が和らいだ。

 お姉さんから放たれていた殺気が消えたのだ。


「私は魔王軍は幹部、グレーチェ・スティリル・アルセラート・アンダーハート、また会いましょう?月の聖女ククリル……、必ず私のものにしてあげる……」

「え? グ、グレーチェ、モンデミソラーメン?」

「ちがうわ、グレーチェ・スティリル・アルセラート・アンダーハートよ」

「……?」

「まあ、いいわ。これまでの長い人生、名前なんていくらでも変えてきたのだから。私を規定するのはこの美貌だけ……」


 お姉さんはきびすを返して顔をこちらに向け、


「ごきげんよう月の聖女ククリル、今日は楽しかったわ……」

「あ、あの! ド、ドレス! ありがとうございます!」

「……え?」

「あの、えっと……このドレス、すごく素敵だから!」

「……フフ、ホントにかわいい子……」


 うっとりとした目つきで去っていった。


「……はぁ」


 大きく息を吐く。

 

「――せ、せ、せ、せ、聖女様っ!」


「わっ」


 シュバッと瑠々ちゃんがやってきた。


「やっぱり瑠々ちゃんだったんだね。助けてくれてありがとう。それにお団子、おいしかったよ」

「あ、あのっ、る、瑠々、瑠々、るるるるるるっ……」

「るるるるるる?」


 瑠々ちゃんのお顔はみるみる赤くなって、

 

「ひゃ、ひゃあああっ!」

「あ」


 またシュバッ! と去っていってしまった。

 まるで風のようだ。


「お姉さま!」


 と、ベルちゃんが駆けてきた。


「さあ、早く源泉を浄化なさって! お口を! お口をゆすぐのですわ!」

「も、もう大丈夫だよ。気分もよくなったし」

「ちがいますわ! あの女の唾液をゆすぐんですの!」

「え~? もしかしたらボインさんになれる成分が含まれてるかもしれないのに……」

「そんなもの含まれていませんわ!」

「……ん?」


 と、ミーちゃんがせつなげにこっちを見ているのに気が付いた。


「どうしたのミーちゃん?」

「へっ!? あ、いや、な、なんでも……」

「ん?」

「…………」


 ミーちゃんは、心臓のあたりのお洋服をキュッ、とつかんで。


「あ、あの、あ、あたしも早く口をゆすいだ方がいいような気がするな~、なんて……」

「ミーちゃんもそう思う?」

「もちろん! で、でもクーちゃん次第ではあるけど……、あはは……」

「……?」


 ミーちゃんはどこか挙動不審で、いつものミーちゃんじゃない。


「ミミさん、やはりあなたも……」とベルちゃん。

「ち、ちが! ちがうよ! あんなの不可抗力だってわかってるし! あは、あはは!」

 

 今度は耳まで真っ赤になってわざとらしく笑いだした。

 ベルちゃんはやれやれと首を振っている。

 いったいどうしちゃったんだろう?


「お、おほん!」


 とミーちゃんはひとつ咳払いをして、


「さっきのあいつ、ヤミーに染めることができるなんて魔王軍の中でもトップクラスの奴なんだと思う……。い、いろいろ気を付けないとね!クーちゃん」

「う、うん……」


 でも正直なところ、お姉さんのことをあんまり悪くは思えなかった。

 かわいいって言ってくれたし、こんなにかわいいドレスをくれたんだもん……。

 ああ、純白のドレス、それは女の子のあこがれ……。


「――んんっ!」


 いけないいけない。

 パパには

 お菓子をくれたからといって知らない人に付いていってはいけないワン!

 って言われたことあるし。


 もう子どもじゃない。それくらいわかるつもりだ。

 お姉さんが落としてしまった瑠々ちゃんのお団子を拾って頬張ほおばる。


「もぐもぐ……」


 お洋服をくれたからって、好きになっちゃいけない。

 気を付けなくっちゃ!


(つづく)

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