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「端的に言ってしまうと、ここは『絶華ぜっかちぎり』の続きを望みすぎたコアな読者の念が創り上げた世界のようです」


 澄村すみむらさんが私を連れ込んだのは、近くにあった茶店だった。


 ──ここ、紅珠こうじゅりょうが下町でよく行っていた店……!!


 作中に出てきた店が、私の頭の中のイメージそのままに顕現している。……いや、私がそのイメージの中に入り込んでしまった、って言った方が正しい状況なんだってことは分かっているんだけども。


 とにかく、創作者にとってこの状況はまさにパラダイス。テンションを上げずにはいられない……!!


「ほら、二次創作ってあるじゃないですか? それのすごい版だと思ってもらえれば」


 ひっそり内心だけでテンションを爆上げしていた私は、澄村さんの言葉に居住まいを正した。


 説明を聞いていて思い出した。そんなこと言ってる場合じゃないんだった。


「いや、なぜそんな世界に作者澄村さん担当編集が転移するハメに?」

「その理由は、どうやらあれのようです」


 ふたつの湯飲みにお茶を注いでくれていた澄村さんが急須の先で店の奥を示す。


 その先に視線を向けた私は、本来ならばあり得ない光景にギョッと目を剥いた。


 ──紅珠と涼と、涼と瑠華るかと、涼と……あれ誰っ!?


 奥のテーブルでお茶を楽しんでいたのは、主人公コンビである紅珠と涼だった。間に二人のお気に入りの甜点心を置いて和気あいあいとお茶を飲んでいる。実にほのぼのしていて、作者としては眼福以外の何物でもない。そこは特に問題ない。


 問題はその隣のテーブルで、なぜかそちらにも涼がいて、そっちの涼は第三皇子の右腕的存在である参謀キャラ・瑠華と何やら親密な雰囲気でお茶を楽しんでいた。


 ちなみに瑠華は男だ。いかにも女性的な名前のついた、女顔の美人さんだけど、しっかり男。公式で潜入捜査のために女装もさせたし、ヒロインである紅珠より襦裙じゅくん姿が似合うと描写されているけれど、ガッツリしっかり男だと作中で明言したし、本人もそう言っているし、何より性格が作中一の男前。


 そんな存在であるはずの瑠華はなぜか今、妙に女性的に頬を染め、はにかむような笑みを浮かべて涼……というか、この場合は『李陵りりょう』って言った方が正しいんだろうけど……とにかくヒーローとお茶をしている。


 そこまでは百歩譲ってまぁよしとして、最大の問題が店の最奥のテーブルについたコンビだった。


 そこにいるのも涼なんだけど、なぜかこっちの涼は私が書いた覚えのない男キャラと親密そうにお茶を楽しんでいる。……というか、親密を超えた空気というか、……ストレートに言ってしまうとR18BLを彷彿させるような、ピンク色っぽく見える空気というか……。無性に『あーっ!! お客様っ!! お客様ぁぁぁぁぁっ!!』と叫びながら間に割り込みたくなる空気が大絶賛醸造中だった。


「ど、どういうことなんですかこれっ!?」


 私は声を潜めて澄村さんに詰め寄る。そんな私に澄村さんは軽く肩をすくめてみせた。


「言ったでしょ? 『絶華の契り』の続きを望みすぎたコアな読者の念が創り上げた世界だと」

「私、あんなの書いてません……!!」

「二次創作の世界では、読者が何を望み、創り上げようとも自由なんですよ」


 それは確かにそうだとは思いますがっ!! てか店内の割合を見るにBL需要の方が多そうに見えるんですが気のせいですかっ!? 私はあくまで涼×紅珠推しというか、それ以外のカプは認めていないんですけどもっ!!


「しかし、膨大な数の念がひとつに合わさっていることから、ある問題が生まれました」

「問題?」


 澄村さんの声に私は首を傾げる。


 その瞬間、店表から悲鳴が上がった。


「妖怪だっ!!」

「妖怪が出たぞっ!!」


 その声にハッと私は店表を振り返る。そんな私の傍らを間髪入れずに一陣の風が駆け抜けていった。涼紅ペアの紅珠と涼だ。さすが現職呪術師コンビ。行動が早い。私が書いた最強呪術師コンビはやっぱりこうでなくちゃね!


 そんな風に私が内心でやんややんやと拍手を送っている間に李瑠ペアも表に駆けていく。


 だが一組だけ、動きが見えないペアがいた。


「……?」


 いつまで経っても現れない影に、私は思わず後ろを振り返る。


 そんな私の視線の先で、モブ涼ペアが変わることなくイチャついていた。雰囲気はもう完全にR18。いつ視界にモザイクがかけられてもおかしくないくらいには。


 ……じゃなくてっ!!


「ちょっ……!?」


 ──これはあれですかっ!? 『妖怪なんてほっといて俺を構えよ』的なアレですかぁっ!? ここで涼が動き出さないとか、解釈違いにも程があるんですけどっ!?


氷咲こおざきさん、こちらへ」


 思わず椅子を蹴って立ち上がった私を澄村さんが引き止めた。私の腕を引く澄村さんの力は存外強い。その強さに驚いた私は、澄村さんに引っ張られるがまま店表に出た。


「あれ、見てください」


 さらに指示された先を見た私は、カパッと口を開いたまま固まってしまった。


「この都をおびやかす妖怪は、全部私が倒してみせるんだからっ!!」

「うふふ……さぁ、美しき闇に一緒に沈みましょう……?」


 今度増殖していたのは紅珠だった。


 私が書いた通り凛と退魔術を振るう紅珠が、お姫様みたいな豪華な衣装に身を包み、妖艶な笑みを浮かべながら妖怪をはべらせた紅珠を相手取ってド迫力の呪術対決を繰り広げている。どうやら正統派紅珠と闇堕ち紅珠の対決であるらしい。


「ど、どどどど?」


 ──どうなってんのっ!? 闇堕ち紅珠が涼と戦うっていうならシチュエーションとして美味しいかもしれないけど、紅珠同士が戦うって物語が破綻して……あ、でも、平行世界の境界が破れて、とかならアリ?


 ……って、そんなこと言ってる場合じゃないっ!! そもそも紅珠は闇堕ちしないっ!! するならどちらかと言えば涼でしょっ!?


「氷咲さん、複数人の念が凝り固まって作られたこの世界では、妄想の数だけ設定と物語があるんです」

「こんなの無茶苦茶じゃないですか! 矛盾だらけで壊れちゃいますよっ!!」


 本来、この世界にいる涼は一人。


 紅珠だって一人。


 どのキャラだって一人ずつしかいない。


 同一のキャラが複数存在していて、そのどれもがちょっとずつ設定が違っていて、それぞれが物語を紡いでいるのだとしたら、矛盾だらけで物語が破綻してしまう。


「だから、私達がこの世界に呼ばれたんですよ」


 澄村さんは不敵に微笑むと一歩前に出た。


「この世界に対する編集権限を持った、私達がねっ!!」


 バッと澄村さんは片腕を振り抜いた。その動きに呼び付けられたかのように澄村さんの手元に赤い光が走る。まるで書き上がったばかりの原稿に直しの赤文字が入るかのように。


「編集権限『御提案』っ!!」


 澄村さんの声が周囲の空気を叱咤する。


「『矛盾している設定が発生しています。ご確認ください』っ!!」


 澄村さんの声とともに相対していた二人の紅珠に向かって赤い光が走る。私が目を瞠る先で、二人の紅珠は赤い光に呑まれた。光が駆け抜けた後には更地に還された地面だけが残っている。


 ──澄村さんの赤入れで弾かれたんだ……!


「私はこの世界に呼ばれてから、ずっとこうして矛盾を潰し続けてきました」


 赤い光が起こした風の余韻に髪と袿を揺らしながら、澄村さんはゆっくりと私を振り返った。


「ですが、私だけでは限界なんです。あくまで私が振るえる力は『御提案』。その場その場での対処だけで、根本を正すことはできない」


 澄村さんの言葉に、私はさらに目を丸くした。その瞬間、手の中にあったスマホの画面がパッと明るくなる。思わず視線を落とすと、久々に見る小説編集画面に私が打った覚えのない文章が表示されていた。


『涼と紅珠は突如現れた妖怪と相対していた李陵は瑠華を庇って前へ出る「俺を置いてどこへ行くつもりだ」紅珠は符を構え紅珠は妖艶に微笑み』


「根本を正せるのも、正統な続きを綴ってこの世界の時を進めるのも、作者である氷咲さんにしかできないことですっ!! 氷咲さん! この世界を救ってあげてくださいっ!!」


 ヒュッ、と音が聞こえた。


「……あ」


 それが自分の喉が息をする音だととっさに気付けなかったのは、物理的に首を締められたかのような苦しさに胸を突かれたからだった。


 ──苦しかった。悲しかった。この世界の続きを書けないことが。


 息をするように世界を紡いできた私にとって、書くことを奪われるのは、呼吸を奪われることと同義。


 あふれては零れ落ちる言葉を止めることなんて、ほんとはできない。


 吐き出したいのに、吐き出す自由を奪われた私は、自分から溢れ出す物語そのものに押し潰されそうになっていた。


 ──書いていいんだよって、続きを待ってるんだよって、ずっと誰かに言われたかった。許されたかった。


 私は思わずスマホを握りしめて、きつく唇を噛みしめて、スマホを握りしめた手にすがるように顔を伏せた。


 ──でも、私は続きを待っていてくれている人達の所へ続きを届けることができなくて。私の力不足で、読者のみんなにも、この世界にも申し訳なくて、苦しくて、悲しくて。


 ……その苦しみから逃れたくて、私はこの世界から逃げ出した。逃げて、逃げて、逃げた果てに思い付いたのが、首吊り自殺で。


 だけど。


「……っ」


 ──誰よりも私が、この世界を愛しているから。


 だけど、他でもなく、この世界そのものが、私を指名して助けを求めてくれているならば。


 この世界そのものが、他でもない公式作者に続きを望んで、この世界に呼んでくれたというのであれば。


 ──私は、その思いに、報いたい。


 私は一度、意識して深く息を吸った。白紙の執筆画面を前にして、少しだけ威儀を正す、あの瞬間のように。


「……ごめんね」


 ここで声を上げても、届いてほしい人には届かないと分かっている。


 それでも私は顔を上げて声に出して呟いてから、両手でしっかりとスマホを構え直した。


「この世界を愛してくれて、ありがとう」


 息を吐き切るとともに指を滑らせ、表示されていた文章をオールデリート。翻した指先で、まっさらに還したフォームに新しい文章を叩き込む。


 彼らの新しい未来を紡ぐ、正統なる物語を。


『店表に飛び出した紅珠と涼が見つけたのは、昼日中の市中に現れるはずがない妖怪だった。それでも二人に焦りはない。視線だけで役割分担を決めた二人は、民を守り妖怪を討つため、混乱の最中に飛び込んだ』


 ブワリと、私の手元から光があふれる。青い燐光を撒き散らしながら広がった光はあっという間に全てを焼き払う勢いで矛盾だらけの世界を書き換えていく。


『涼の結界が妖怪を隔離し、紅珠が編んだ退魔術が妖怪をうがつ。突如として現れた妖怪は、高位呪術師二人によってあっさりと退けられた』


 その光を従えて、最後の一文を叩き込んだ私は、魂の底から声を張り上げた。


「世界の創造者は命ず ここに新たな物語を刻め 作者権限『公式更新』っ!!」


 一際強く輝いた光が、私の視界もろとも世界を焼き尽くす。


 音も、空気も、何もかもが、私を中心に解きほぐされて、丁寧に編み直されていく。


「…………れ…ぞ!」

「無事に討伐された!!」

「現場に駆け付けたのが『当代絶華』だったらしいぞ」

「なんだってっ!? 紅珠様と李陵殿下かっ!?」


 その光が引いて周囲に音が戻ってきた時、私の視界から涼も紅珠も消えていた。ただ街を行く人々が主人公達を称賛している声だけがどこからともなく聞こえてくる。


「さすがです、氷咲さん」


 柔らかな声に振り返ると、澄村さんが声以上に柔らかな笑顔を向けてくれていた。まだ手にスマホを握りしめて呆然としている私に向かって、澄村さんは右手を差し伸べてくる。


「でも、これだけじゃ終わりません。矛盾は、まだまだ山積みなんですから」

「澄村さん……」

「行きましょう、氷咲さん。まだ書き出されていない、物語のはるか先へ」


『今度こそ、相棒として私はこの手を離しませんよ?』と続けた澄村さんは、軽く片目をつむってみせた。


 そんな澄村さんの姿が、涙でジワリと歪んでいく。


「わ、たし……私、は」


 ──ずっと、書きたいと思ってきて。誰よりもその資格があるはずだと思いながらも、同時に私は誰よりもそれを許されるべきじゃないと、思ってきた。


 自殺を考えるまでに思い詰めた感情が、胸の中で荒れ狂って言葉になってくれない。


 喜びも、戸惑いも、罪悪感も、興奮も。


 色んな物が混じって、溶け合って、何って言うのが正しいのかなんて、分からない。


 ……だけど、もしも。


 自由に心のままに叫ぶことを、この世界が許してくれると言うならば。


「私、は……っ!!」


 涙で揺れる声をグッと呑み込んで、スマホを握りしめた手の甲で乱暴に目をこする。もう一度澄村さんを見上げた私は、あの頃みたいに強気に笑えていただろうか。


「この世界を愛する気持ちはっ!! その気持ちだけは……っ!! 誰にも負けないつもりです……っ!!」


 私の言葉に、澄村さんは穏やかに頷いてくれた。


「ええ、知ってますよ」


 その言葉に、またウルッと涙腺が緩んだ。それを必死にこらえて左手に抱えたスマホを強く胸に抱き、私は自分の右手で澄村さんの手を取る。


「行きましょう、今度こそ一緒に。この世界に、正統なエンディングをもたらすために」

「はいっ!!」


 私の手を握り返してくれた澄村さんの手は力強かった。だから私も強く澄村さんの手を握り返す。今度は、離れてしまうことがないように。




 私の名前ペンネーム氷咲こおざき柚希ゆき


 商業書籍デビューを飾ったものの次作を打ち切られ、絶望ののちに自作品の中に転移を果たすという、世にも数奇な命運を歩み始めたしがない創作者。


 そんな公式作者の異世界執筆記は、まだまだ最初のページを紡いだばかり。


 

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