第142話 何もしなくていい子だから

「さっきまでと雰囲気が全然違う……」

「第二階層はどうやら森林タイプのようね」


 階段を降りた僕たちを待っていたのは、鬱蒼と木々が生え茂った森の中だった。

 見上げてみると天井らしき岩肌が見えるので、一応ダンジョンの中だと分かるけれど、それがなければどこかの森に迷い込んだようにしか思えない。


「洞窟と違って、全方位に敵が潜んでいる可能性がある」


 確かに狭い洞窟なら、魔物が来る方向も限られているけど、こうした開けていながらも遮蔽物の多いところは、普通の冒険者にとってはなかなか探索するのに厄介な場所だろう。


「ふふっふ、こういうときこそ、わたしのギフト【狩人の嗅覚】の真価が発揮されるのよ」


 アニィが自信満々に胸を張る。


「と、言っている傍から、さっそく魔物らしきものが近づいてきたわ」


 アニィが指をさす方向。

 まさにそこから木々が揺れる音が聞こえてきて、警戒していると、そこに現れたのは、全長一メートルを超す巨大な蜘蛛だった。


 タラントラと呼ばれる蜘蛛の魔物である。


「くもおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」

「ぐべっ!」


 突然、アニィが叫んで僕に飛びついてきた。


 そうだった。

 アニィは虫が大の苦手なのだ。


「ほい」

「~~~~ッ!?」

「こここ、こっちくんなああああっ!」


 と、アニィは真っ青な顔で怒鳴りつけるけれど、タラントラはすでにセナの剣で真っ二つにされている。


「大丈夫だよ、アニィちゃん! もう倒したから!」

「ほ、ほんとに……?」


 僕に抱きついたまま、恐る恐る振り返るアニィ。


「あっ、ちょっと待っ――」


 慌てて止めようとしたけれど、遅かった。


「ぎいやあああああああああああああああああああああっ!?」


 断末魔のような悲鳴が轟き、耳がキンとなった。


「見ない方がいいって言おうとしたのに……」

「何でー? やっつけたのにー」

「虫が苦手なのって、グロテスクだからだよ。むしろかえってグロくなっちゃったから……」


 アニィが見てしまったのは、両断された蜘蛛である。

 生きていたときの方がまだマシで、僕だって見たくないくらいだ。


「も、燃やしておきますね」


 サラッサさんが雷撃で焼き尽くしてくれた。


「ううう……」


 けれどその後も、今のがトラウマになってしまったのか、アニィはまったく役に立たず、菜園の真ん中に蹲ってしまった。

 最初の自信はどこにいったのか……いや、それは言わないでおこう。


「ですが、アニィさんに頼れない分、気を付けて進まないといけないですね……」


 そう言っている傍から、茂みからまた別のタラントラが飛び出し、襲い掛かってきた。

 ただし結界に激突し、ひっくり返ってしまったけれど。


「……前言撤回していいですか? ジオさんの結界があれば心配なさそうですね……」

「よかったね、アニィちゃん! アニィちゃんは何もしなくて大丈夫そうだよ!」

「ううう……どうせわたしなんて、何の役にも立たないもん……」


 追い打ちをかけるようなことを言う妹を、僕は咎める。


「こら、言い方ってものがあるだろ」

「ほえ? 何もしなくていいって、最高だと思うけど……?」


 こいつの価値観、ほんとどうにかならないものかな……?


 森林型の階層では、主に昆虫系や獣系、それから植物系の魔物が多く出現した。

 樹木がいきなり動き出したときには驚いたけれど、どうやらトレントという木の魔物らしい。


 アニィがいないため奇襲にまったく気づけないものの、菜園の結界のお陰で攻撃を受けることは一度もなかった。


 やがて、この階層もゴールへと近づいてくる。


「ボスがいるみたいだけど……アニィがこんな状態だし、やめておいた方がいいかな?」

「事前に得た情報だと、トレントの親玉のようですね」

「アニィ、昆虫でなければ大丈夫?」


 シーファさんが訊くと、アニィは蹲ったまま頭を縦に振った。


「あはは……どうせわたしは何もしなくていい子だから……」


 自嘲気味の笑いが零れる。

 ……完全にメンタルをやられてしまったみたいだ。


「いいなー、あたしも何もしなくていい子になりたーい」

「お前は戦え」


 そうして僕たちはボスがいる場所へとやってきた。

 ちょっと開けた空間があって、その真ん中に巨大な樹木が立っている。


「あれがこの階層のボス、エルダートレントです」


 僕たちが近づいていくと、生い茂った葉っぱを揺らして動き出した。

 幹の洞の部分が目や口のように現れ、ゴホーゴホーと不気味な音を鳴らす。


 さらに手下のトレントたちがどこからともなく集まってくる。

 こちらは木の根っこを足のように蠢かせて移動するけれど、どうやらエルダートレントはその場から動くことはないらしい。


 その代わり、枝を鞭のように振るったり、大きな木の実を飛ばしたりして攻撃してくる。

 もちろんすべて結界で弾いてしまう。


「あれ? なんか結界に張り付いて……うわっ?」


 エルダートレントが飛ばしてくるのは木の実だけかと思いきや、その中には虫の魔物もいた。

 幸い目を瞑っているアニィには見えていないけれど、どうやら敏感にそれを察知したらしく、


「無理無理無理いいいいいっ! 虫イヤああああああっ!」

「大丈夫だよ、アニィちゃん。小っちゃい虫だから」

「そう言う問題じゃないわよおおおおおおっ!」


 小さいと言っても、人間の頭くらいの大きさはあるけどね……。

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