第34話 巨大魚
いきなり彼女たちの前に現れたのは、あの超巨大な魚の魔物だ。
「(う、嘘でしょっ!? 何でこんなところにいるの!?)
三人の中で最も愕然としたのは、【狩人の嗅覚】を持つアニィだった。
大きな魔物が近づいてくれば、必ずその前に気配を察知することができる。
それが【狩人の嗅覚】の力だ。
しかしこれほど巨大な魔物がここまで接近しているというのに、今の今までまったく気づかなかったのだ。
まるで忽然と姿を現したかのようである。
「(は、早く逃げないと!)」
セナが慌てて叫んだ。
驚きのあまり硬直状態にあったアニィは、その言葉でようやく今取るべき最も重要な行動に気づかされた。
「(に、逃げるわよ!)」
これだけの巨体だ。
人間が足元の蟻になかなか気づかないように、相手がまだこちらの存在に気づいていないことに賭け、アニィは踵を返す。
そのとき、彼女たちの希望を打ち砕くように、巨大魚が向きを変えた。
「「~~ッ!」」
そしてこちらを飲み込まんとばかりに、大きく口を開く。
奥に見えるのは奈落のような暗闇だった。
終わった――と思いきや、巨大魚は口を開けただけでそれ以上、接近してはこない。
ただの威嚇か。
餌にするにも美味しくなさそうだと思ったのか。
ともかく九死に一生のチャンスだ。
アニィとセナは一目散に走り出す。
だが、
「(シーファ!? 何やってんの!?)」
彼女たちにリーダーであるシーファが、あろうことか武器である槍を構えたまま、動こうとしないのだ。
まさか恐怖で身体が竦んでしまったのか。
しかしどんな時でも冷静な彼女に限って、そんなことがあるのか。
焦りからアニィの頭の中で思考が空転する。
「(……あまり威圧を感じない)」
「(えっ?)」
シーファが零した一言に、アニィは耳を疑った。
「(少なくとも、ボルケーノほどじゃない)」
「(な、なに言ってるのよ!? どう考えてもあれより遥かにヤバいでしょ! 早く逃げるわよ!)」
必死に叫ぶアニィだが、どうしたわけか、シーファはその場から動かない。
一方で巨大魚もその場にとどまったままだ。
「(平伏せ)」
そのときシーファが巨大魚へと命じた。
【女帝の威光】。
敵を威圧し、その力を弱体化させることができる。
だが強敵相手にその効果はどうしても限定的になってしまう。
この巨大魚ともなれば焼け石に水だろうと、アニィは推測し、
「(えっ!?)」
我が目を疑った。
巨大魚の口の一部が、どういうわけかボロボロと崩れ出したのだ。
何が起こったのかとアニィとセナが目をしばたたかせる一方で、シーファは「やはり」と頷いた。
「(これは巨大な一匹の魚じゃない。小さな魚の集合体)」
言われてよく見てみれば、崩れたと思った体の一部が、せいぜい数センチほどの小さな魚と化してふらふらと泳いでいる。
【女帝の威光】は弱い生き物ほど効果を発揮し、時には気絶させることもあった。
つまり一体一体の強さは、せいぜいその程度ということだ。
「(なるほど、だからわたしも接近を感知できなかったのね)」
アニィは納得する。
「(じゃあ、見掛け倒しってことじゃん!)」
タネが割れてしまえばこちらのものだと、セナが剣を構えた。
「(でも油断はできない。この群れを統率している存在がいるかも)」
シーファが注意を促す中、セナは巨大魚あらため、巨大集合体へと突っ込んでいく。
「(援護する。平伏せ、雑魚ども)」
シーファの声で魚が気を失ってバラバラと崩れ、セナが剣を振るいながら斬り込む。
「(やーっ、えーいっ、てやーっ!)」
「(平伏せ、平伏せ、平伏せ)」
二人のコンビネーションで、瞬く間に集合体が削られていった。
どうやらシーファのギフトは、彼らにとって天敵のようで、言葉一つで簡単に動きを抑えることが可能だった。
このままではマズいと考えたのだろう、集合体が一斉に突撃してきた。
「(~~っ!)」
「(いたたたたたたっ!?)」
一瞬で視界が魚色に染まる。
次々と身体に体当たりを喰らい、一発一発は弱いものの、痛みが全身に蓄積していく。
十数秒ほど耐え抜き、ようやく視界が晴れた。
これで終わったかと思いきや、集合体は大きくUターンすると、再び彼女たちを狙って突進してくる。
「(平伏せ……! 平伏せ……! 平伏せ……!)」
「(ぎゃーっ、痛い~~っ!)」
シーファの言葉で何匹かは動きを止めるが、焼け石に水だった。
一方の彼女たちは全身打撲で思わず膝をつく。
このまま何発も集団突進を喰らい続けるわけにはいかない。
しかし無情にも三度目の攻撃が彼女たちを襲った。
「(うぎゃ~~~~っ!)」
汚い悲鳴を上げるセナ。
そのとき視界の端を、ちらりと黄金色のものが過った気がした。
「(っ! お前か~~っ!)」
刹那、直感的に彼女は剣を振るっていた。
ザンッ!
見事その頭部を斬り落としたのは、周囲の魚よりも一回り以上は大きい黄金色の魚だ。
次の瞬間、巨大な集合体を形成していた魚たちが、まるで何かの拘束から解かれたかのように、一斉に四散していった。
「(な、何が起こったの……?)」
「(助かった?)」
シーファたちがセナの元へと駆け寄ってくる。
「(何かこいつ倒したらバラバラになっちゃった)」
そういってセナは黄金色の魚を見せる。
「(なるほど。つまりこれが他の魚を操っていた張本人。……張本魚?)」
「(セナ、よくあれだけいる中から狙ってこいつを倒せたわね……)」
「(チラッと見えて、気づいたら反射的に斬ってたー)」
あれだけいた無数の魚たちが、今や周囲には一匹も見当たらない。
たった一匹の魚が操っていたことに驚くばかりである。
「(魚っていうか、魔物よね、こいつ)」
「(結局これ、ネームドボスとかいうやつだったのかなー?)」
「(その可能性は高い。見掛け倒しではあったけれど、それでも普通に強かった)」
どっと疲れを感じつつ、彼女たちはすぐに地上へと帰還するのだった。
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