第19話 卵が孵った

 直径三十センチほどの大きな卵。

 それは菜園で栽培した魔物の卵だった。


「魔物の卵っていうくらいだし、魔物が生まれてきちゃうんだよね?」


 魔物というのは基本的に狂暴で、人間とは相容れない存在だ。

 果たしてそんなものを孵してしまって大丈夫なのか。


 まぁでも、魔物の赤ちゃんならそんなに危険ではないだろう。

 万一のときは僕でも倒せるはずだ。


 妹にバレないよう、卵は菜園の中に隠して孵化するのを待つことにした。


「おはようございますー」

「リルカリリアさん、おはようございます」


 いつものようにリルカリリアさんが収穫物を受け取りにやってきた。


「実はちょっと見てもらいたいものがあるんです」

「何でしょうー?」


 もちろん魔物の卵ではない。

 僕は新たに栽培できるようになった、高品質の野菜たちをリルカリリアさんに確認してもらうつもりだった。


「これはまたー、随分と立派ですねー?」

「はい。今までのものより品質のいい野菜を作れるようになったんです」

「……い、今までのものより、ですかー」


 リルカリリアさんが少し頬を引き攣らせた。


「食べてみてもいいですかー?」

「あ、はい。でも生ですよ?」

「問題ないですー。ジオさんの野菜なら生でも美味しいですからー」


 そう言って、リルカリリアさんはそのままニンジンに齧りついた。


「――――――――」


 その瞬間、まるで時間が止まってしまったかのようにリルカリリアさんが硬直。

 そのまま後ろに倒れ込みそうになったので、僕は慌てて小さな身体を支えた。


「だ、大丈夫ですかっ?」

「――ハッ?」


 意識を取り戻すリルカリリアさん。


「い、今もしかして、うち意識飛んどった……?」

「は、はい」


 うち?

 なんか言葉遣いが……。


「す、すいません……美味しくなかったですか?」

「いえいえーっ! むしろこれ、美味しすぎですよーっ!」


 リルカリリアさんは慌てて否定した。

 いつもの言葉遣いだ。

 さっきのは気のせいかな?


「美味しすぎて意識が飛んでしまったんですーっ!」

「そ、そうですか?」

「ジオさん自分でも食べてくださいー」


 僕はナスビを手に取る。

 大きくて艶のある美味しそうなナスビだ。


 だけど幾ら美味しくても意識が飛ぶなんて大袈裟だろう。

 そんなふうに思いながら、僕はそのまま齧りついた。












「――はっ!?」


 気づくと僕はその場に立ち尽くしていた。

 あれ? 今、何をしていたんだっけ……?


「あ、リルカリリアさん? いらっしゃってたんですね」

「記憶まで飛んでますーっ!?」

「どうされたんですか? って、何で僕、食べかけのナスビを手に持ってるんですかね?」


 それに、口の中一杯に広がるこの旨味は……?


「思い出してくださいですーっ! ジオさんが今までより質のいい野菜ができたからって、食べさせてくれたんですよーっ!」

「あっ!」

「思い出してくれましたかーっ?」


 ようやく記憶が蘇ってきた。


「生で食べただけでこんなことになるなんて……」

「恐ろしい野菜ですー」


 リルカリリアさんが戦慄している。


「これはさすがに売れませんねー」

「えっ、どうしてですか?」

「危険すぎですー。この野菜を求めて戦争が起きかねないですよー」

「せ、戦争……?」


 それはさすがに大袈裟すぎないかと思ったけど、リルカリリアさんが言うのだからそうなのかもしれない。


 というわけで高品質の野菜はひとまず封印することになった。

 栽培してしまった分は我が家で消費するとしよう。


「……」

「どうしたんですか? そんなにじっと見て……」

「じゅるり……」


 高品質の野菜を見つめるリルカリリアさんの口からつーっと涎が垂れた。


「……ハッ?」

「もっと食べたいんですね?」

「そそそ、そんなわけあらへん! いえ、ないですーっ! わたくしにも商売人としてのプライドがじゅるり……」


 結局、リルカリリアさんに全部あげることにした。

 うちは幾らでも栽培できるしね。








 フルフル……。


「あっ、卵が少し動いている!」


 魔物の卵が小さく振動しているのを見つけ、僕は思わず声を上げた。

 菜園に隠しておいたけど、それから卵のことが気になって、一日に何十回も様子を見にきてしまっていた。


「もう少しで孵るかもなー。よしよし」


 卵を抱き締めて撫でてみると、それに反応してくれたのか、振動が大きくなる。


 幸いセナは明日まで帰ってこないらしい。

 なんでも新たなエリアに泊まり込みで挑戦中するとのこと。


 今晩は女子三人でテントに宿泊するそうだ。

 楽しそうでいいなぁ。


 セナがいないなら、今日の夜は卵と一緒に寝ることにしよう。

 なんだか愛着が湧いてきてしまったな。


 僕は卵と一緒に毛布に包まった。

 抱き締めていると、振動がはっきりと伝わってきた。

 なんだか生命を感じるね。


 そして明け方のことだった。


 ピシピシッ!


 卵に入る亀裂の音と強い振動で僕は目を覚ました。


「おおっ、生まれそうだ!」


 恐らく中から卵を割ろうとしているのだろう。

 僕は頑張れ頑張れと応援の言葉を投げかける。


 ピシピシピシピシッ!


 ついに殻に穴が開いて、中から小さな腕が飛び出してきた。

 その拍子に卵がころんっとひっくり返る。


「よし、もうちょっと!」


 ピシピシピシピシピシピシッ!


 やがて赤ちゃんが通り抜けられるほどの穴が開き、中から這い出してきた。


 まだ目は開いていない。

 だけど母親を探すように頭をキョロキョロさせている。


 僕は優しく包み込むように赤ちゃんを抱え上げた。


「ニィー」


 か細い鳴き声を上げた赤ちゃんは、


「……猫?」


 どう見ても猫だった。

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