第9話 トンネル探訪2

 そういえば、今、心霊スポットにいるのって、アレだよな。ヌッ、と。俺と愛花の影があることろに、もう一つの影が差す。幽華の影、ではない。


「お待たせ愛花ちゃん♪暑いなか待っててくれてありがとね。ん?寺田もいたのか。ごめんね~、愛花ちゃん~。寺田なんかと一緒に待たせちゃってさあ」


「いやいや、飯島が俺を誘ったんじゃないか。愛花と俺とで態度が違いすぎるでしょ」


「何を当たり前のことを言ってんだよ寺田。愛花ちゃんは今日のスペシャルゲストだ。なんでお前と同等に扱わないといけないんだよ」


「ちょっと飯島君、そんなそんな言い方ってないじゃない。ナヲと普通にできないの?」


 苛立ちを隠そうともせずに飯島に問うた。


「気にしなくていいよ愛花。別に今に始まったことじゃないし」


「それが良くないっていっているのよ」


「まあまあ、寺田もこう言ってるし、男同士なんて、この程度ならジョークで言い合うのが普通だからさあ」


「飯島が一方的に悪口を言ってるだけじゃない!」


「そうなのだ!ナヲ君にごめんなさいって言うのだ!」


「愛花ちゃんは本当に優しいネ。俺、惚れちゃいそうだわー」


 どうやら幽華のことは飯島には、見えていないらしい。本来は見えないんだから、これが普通の感じか。今まで俺には普通に見えていたし、愛花にも最初以外は見えているようだ。見える、見えないの基準がどこにあるのかって、考えたこともなかったな。自分と愛花にだけ見えているという優越感に浸って、思考がストップしていたのかもしれない。確か、ウチの母親とかにも見えてなかったよな。後で直接聞いてみるか。


「じゃあトンネル行くぞ、遅れるな」


 集合時間に十分以上遅刻してきたヤツがよく言うよ。愛花もゲンナリした様子で溜息をついた。ずっと考えていたけど、ここらで言っておくか。


「ぶっちゃけ愛花がついてくる必要はないんだぞ。実際に来てみて分かったけど、このトンネル結構汚いし、雰囲気だけでも暗い感じだろ?」


 愛花は何か言いたげに口を開くが、それよりも先に飯島が食いついてきた。


「何言っちゃってんだよ寺田。愛花ちゃんも来た方が楽しいに決まっているだろ。こういうところに一人で入るとか退屈じゃんかよ」


「飯島には付き合いきれない。自分勝手も程々にしないと、ろくなことにならないよ」


 俺も少し頭に血が上ったか?喧嘩腰になってしまった。と、未だに白装束の幽華がこちらに近付いてきた。


「あのねナヲ君、ちょっとヤバいかもしれないのだ」


「どういうことだ?」


 小声で幽華に聞き返す。


「霊体の幽華には分かるのだ。このトンネルの中から、おびただしい量の瘴気を感じるのだ。これほどの悪感情の渦の中にいたら、危険なのだ。しかも、空間が歪んでいる気がするのだけど…」


「確かに、なんだか気持ち悪いかも」


 急激に寒くなってきた気もする。空気中から熱が吸い取られていくような感じ。飯島も異変に気付いたっぽい。


「なんか…変じゃね?具体的には分からん」


 勘は鈍そうだけど。愛花の様子が気になり、後ろを見やる。果たして、愛花はその場にへたり込んでいた。


「どう、しよナヲ、息が、しづら、いかもっ」


 ハッハッと不規則に生きをはく様を見て、呑気ではいられない。愛花の元へ走ろうとする。


「あれ?」


 視界が、俺の見ている映像がゆらゆらと、いや、ふわふわとぼやけて、いく…?

 あ………これ………まずい…く…………………そ……。


「ナヲ君!」


 ハッとする。まぶたを開いたことを自覚する。視界には幽華。不安だったのか、幽華の顔は曇っている。俺と目が合って、少し柔和になったように見えるのは自惚れだろうか。


「あ、起きた…。おはようなのだ」


「プッ。何だそれ」


「ちょっ、笑ったのだ⁈酷いのだ~!…じゃなくて、早くここを出るのだ」


 状況が理解できない。でも、幽華が焦っている。ヤバいことになっているのは明白だ。


「幽華、とりあえず落ち着いてくれ。多分、逃げてどうにかなる段階ではない。ひとまず整理させてくれ」


「ナヲ君がそういうなら、落ち着くのだ」


「助かる。それと、起こしてくれてありがとうな」


「あ…エヘヘ」


 うんうん、幽華に不安そうな顔は似合わないからな。さてと、何があった?それ以前にチェックすることもある。ここはどこだ?周りを見渡す。天井から橙色の光が怪しく注ぐ。背中からは、ひんやりしたコンクリートの感触が染みてくる。先程まで頭を預けていたのか、後頭部にも同じ感触がある。お尻にも冷たさがある。俺は壁にもたれかかる格好をしていた。ここはトンネルの中だ。かぶりを左右に振れば、出口が一つずつ存在している。外は薄暗くなってきている。少し時間が経っているのかもしれない。


「なあ幽華、他の二人はどこだ?」


「二人ならナヲ君の足元で寝ているのだ」


「え?うお!ビビった」


 すぅすぅと眠る愛花はいいとして、口を思いっきり開けて気を失っている飯島が、キモ過ぎてビビってしまった。でも、二人とも無事で良かった。とりあえず愛花から起こそう。


「…すぅ…すぅ」


「おーい、愛花ー、起きろー」


 寝てる女の子を起こすのって遠慮しちゃうな。案の定、眠り姫は目を覚ましてくれない。


「ナヲ君、ふざけている場合じゃないのだよ」


「う、申し訳ない。幽華、代わりに起こしてくれないか」


「はあ~。分かったのだ」


 クソでか溜息をつかれてしまった。こういうのは同性間でやった方がいいんだよ。…言い訳ですよね、すみません。幽華は愛花のもとに寄り添うと、慈愛に満ちた表情としなやかな体の動きから、大きく大きく息を吸って発した。


「マナカン!」


「きゃん!」


 一発で愛花を目覚めさせた。まさに一喝!というような幽華の大きな声は、空気をビリビリと震撼させる。ちなみに「きゃん!」は愛花の声だからな。俺の名誉のためにも。


「あれ?ユウだ。それにナヲもいる」


 いまいちピンときていないらしい。一応、寝起きで霊とご対面しているのだけど、もう幽華には慣れた様子の愛花であった。たくましく成長しているな。


「…思い出してきたわ。心霊スポットの入り口で急に体調を崩して、息も苦しくなって、そのまま倒れ込んでしまったんだわ」


 まだ意識が覚醒していないのかな。怯えることはなく、かなり冷静だ。


「俺たちがトンネルの真ん中で気を失っているのは、間違いなく心霊スポットに巣くう悪霊の仕業であろう。何が目的なのやら」


「幽華が目を覚ましたときから、何も起こっていないのだ。でも、分かるのだ。幽華たちが来た方とは逆の出口にアイツがいるのだ」


 その出口とは、やはり件の交通事故があったところだ。


「アイツっていうのは、今はこっちを見ているのか?」


「ずっとこっちを見ているのだ。全く動かないでいるけど、何かを待っているようにも見えるのだ」


「だとしたら、不用意に動けないぞ」


 同じ霊なだけあって、よく分かっているのだろう。幽華がいてくれるのと不在なのでは雲泥の差だ。もしかしたら悪霊は幽華を警戒して、近付いてこないのではないだろうか。あり得るぞ。ちょうど今は白装束というオールドスタイルによって、普段よりかオバケ感が出ている。


「とは言えこんな可愛い幽華を怖がるかなあ」


「こんなときまで、ナヲ君は何を言っているのだ⁈」


「アホな発言を聞いて私も意識が覚醒したわ。ナヲのアホな発言を聞いて!ね!」


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 しかし、幽華の存在は大きいかもしれない。今更だけど心霊スポットに行くにあたって、自分も霊を引き連れて見参するって普通じゃないな。肝試しって本来、霊が出るかもしれないっていう怖いものみたさでやるものだ。幽華と出会ったことはイレギュラーだけど、向こうの悪霊もそんなやつらが来ることは想定外なのではないか。…そうだよな。幽華もいるんだし、ここは幽華VS悪霊のデスマッチという手段もある。


「幽華は悪霊とバトルとかできるのか?」


「できないのだ!今の一言でナヲ君が考えていることは大体、想像つくのだ!」


「ユウに酷いことしたら許さないわよ!」


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 女性陣から総バッシングを受けてしまった。


「でも、本当にどうしたらいいの?」


「あっちも様子を窺っているのだ」


 現場は膠着状態になっていく。


「ん、んごっ。…………何だ?どうなってやがるんだ」


 やっと起きたのか。幽華の大声でも目覚めなかった飯島が、マイペースに体を起こした。もともと、この男には期待なんてしていないけど、ここまでダラダラされると困りものである。


「起きたか、飯島。手段は分からないけど、俺達はトンネルの中に運ばれたらしい。あんまり不用意な動きはしないでくれ」


「そうなのか?…って何で寺田が俺に命令してんだよ。こんなとこ、さっさと出ればいいだけだろ」


 こんなときまで我を出してくるのか。仲違いしている場合ではないのに。俺までヒートアップしたら泥沼だ。努めて冷静に対応しなければならない。


「聞いてくれ、飯島。今回このトンネルにくるにあたって俺を誘ったのは、現状みたいにヤバくなったときに、知恵を借りたかったからだろ?これは飯島が言っていたことだ!お願いだから一人で突っ走らないでくれ」


 もちろん本音は違うのだろうけど、他でもない飯島本人がいったことだ。俺がこのトンネルに行ってもいいと思ったのは、ヤバくなったら飯島は俺を頼ってくれるから。 この最低限のルールがあるから了承したはずだ。それなのに。


「いやいや、寺田、調子にのるなよ。お前なんて愛花ちゃんに来てもらうためのダシに決まってるだろうが。立場を弁えろよ!オレに指図するんじゃねえ」


 うっわ、マジかよ。腹の中では、それくらい周囲を見下しているんだろうとは思っていたけど、まさか直接面と向かって言ってくるとは思わなかった。寝ぼけているからか?いずれにしても、この発言は失言だ。


「へえ、ナヲをダシにして私に来てもらうためだったのね。よくもまあ、そんな最低なことをするわね。おまけに本人がいるのにご丁寧にカミングアウトまでしちゃって、そんな人と一緒の空気を吸うなんて、虫唾が走るのだけど」


 このように愛花が激怒するに決まっていた。飯島は本当にアホ、というより天然なのか?確かに愛花は飯島の背面にいたけど、気付かないなんてことある?さっきまで一緒にいたじゃん。


「マ、愛花ちゃん⁈そっか、後ろにいたんだ。ダメだよそんな言葉遣いしちゃあ、さっき言ったのだって、ジョークに決まってるでしょ。ね?」


「こっちに寄らないでよ。一人でさっさと出るんでしょ?早く行けばいいじゃない」


「いや、違うじゃん。オレ、一人で~なんて言ってないじゃん」


 いつかはこうなると、思っていたけど、よりにもよって今か。


「この人、幽華的に苦手なのだ」


 指をさしながら幽華は、無表情で言ってのけた。俺もさっきの発言で、本当に無理だなって結論に至った。本格的にトンネルを出たくなってきたぞ。


「!ナヲ君!アイツがいなくなっているのだ!」


「本当にいなくなったなら喜ばしいけど、それはないよな」


 幽華の声が聞こえている愛花は、自体を理解して怯え始めていた。


「ねえ、やっぱり逃げた方がいいんじゃないの」


「じゃあ、俺と一緒に逃げようか」


 事態がわかっていない飯島がマジでウザい愛花はもはや聞く耳もたずって感じの対応だ。確かに今なら全員助かる。邪念が多少入っている者もいるが、逃げようという意識も一つになっている。このタイミングしかない。


「みんな、今から全力で入り口までダッシュするぞ!」


 俺の号令を皮切りに全員で走り出す。タン、タン、タンと俺達の走る音がトンネル内に響き渡る。ただでさえ肌寒いトンネル内の空気に加えて、入り口から唸りをあげた冷風が体に当たる。行く手を拒まれているような感覚に陥る。でも、大して長いトンネルでもない。あと少しで外に出られる。そのとき、気付いてしまった。


「おい!何してんだ飯島!」


 飯島は走っていなかった。先程まで俺達もいたトンネル中央に立ち尽くしている。こちらを向いてはいるが、俺の声が届いているようには見えない。ぼーっとしている。猫背のまま、左右に小さく揺れている。


「これ、変だよな」


「ちょっと、ナヲ、何してるの⁈早く!」


「止まっている場合じゃないのだよ」


 二人が俺を急かしてくる。


「待ってくれ!飯島がまだ来てないんだ!」


「はあ⁈アイツ、何なの本当に!」


 苛立つ愛花の意見はもっともだ。


「気持ちは分かるけど、置いていくのはマズいだろ。何より今の飯島は普通じゃない気がするんだ」


 幽華が俺のところまで戻ってきた。


「あれは…取りつかれているのだ。ナヲ君、あの人かなりヤバい状態なのだ。悪霊があの人の体に入ってしまっているのだ!」


「やはりか。助けてやらないとな」


 その飯島はゆっくりと俺達に背を向けると、おぼつかない足どりで一歩、また一歩とゾンビのように歩を進める。行きつく先は丁字路のトンネルの出口。例の交通事故現場だ。思い当たるは最悪の結末。トンネルの外は帰宅ラッシュで交通量の多い時間帯に差し掛かっている。そんな場所へ人に憑依した悪霊が向かおうものなら、車道に身を投げるなんてことも考えられる。そんな可能性があるところに向かわせられない!


「すまない!愛花、先に帰っていてくれ!俺と幽華でアイツの目を覚まさせてやる!」


「マナカンは怖がりさんだから来ちゃダメなのだ」


 俺と愛花の言葉を受けて、葛藤した表情を浮かべる愛花。


「な、何で二人とも、そんなに平気なのよ~!」


 進むことも戻ることもできずに、その場にへたり込んでしまった。トンネルからは出た位置にいるし、あそこなら大丈夫か…。改めて、憑依された飯島の方へ目を向ける。歩く速度は速くはないが、いつ走り出すかも分からない。俺と幽華は小走りで飯島との距離を縮めていく。その距離十メートルくらいだろうか。俺達は警戒から自然と足が止まる。


「勢い勇んで来たはいいけど、俺達のできることなんて、たかが知れてるんだよね」


「え。まさか、ナヲ君、何の策も無しにここまで戻ってきたのだ?」


 幽華が信じられないものを見た、という顔をしている。


「そういう幽華は何かアイデアはないのかよ。一応同じ霊なんだから、弱点とか分からないのか?」


「分からんなのだ!大体、霊って言っても幽華は動き回れる浮遊霊なのに対して、アイツはこのトンネルに巣くう地縛霊なのだ!全然違うのだ!」


 なるほどなあ。霊って一緒くたにまとめて考えていたけど、霊の中にもまた、カテゴリ分けがあるらしかった。勉強になるなあ。しかし、今はオカルト知識を蓄えている場合ではない。目の前にいる悪霊への打開策を練らなければならない。


「悪霊は今、飯島に憑依している状態な訳だろ。その状態から見えるのって飯島の目線なのか?それとも、飯島の後ろから眺めているような、いわゆる三人称視点で見えているのか?」


「それくらいなら分かるのだ。憑依っていうのは宿主の体の中に入って、自分の体として動かす技なのだ。マリオネットみたいに動かすのとは、少し違うのだよ」


「つまり、飯島の視界が、そのまんま悪霊の視界になるわけだ」


「正確には、悪霊だけが見ている視界なのだ」


「ありがとう。突破口が見えたよ」


 俺の言葉に一瞬驚いた幽華だが、すぐに口角が上がった。


「それでこそ、ナヲ君なのだよ」


 それでこそ、か。認められるって、いいものだな。期待に報いるべく、頭をフル回転させるのだった。


…。


「待て!」


 俺は一人で、悪霊に憑りつかれた飯島の前に立ちはだかり、声を発した。俺の声がトンネル内に反響する。その声がくぐもり、小さくなり、やがて消え去る頃、飯島、もとい、悪霊が顔を上げる。舐めるような視線に怯みそうになるが、堪える。


「頼むから飯島を返してくれ」


 ダメ元だけど説得を試みる。


「邪魔ヲスルナ」


 飯島の口が開いてそう告げた。その声は聞いたことのない若い男の声。耳に直接、声を注がれるような気持ち悪さがある。不快感に侵されながらも、悪霊に詰め寄る。


「本当にお前は、憎しみだけでこの世に留まってしまったんだな」


 俺の言葉が届いているのか、いないのか。悪霊も俺に、ゆらりと迫りくる。


「相性の悪い人間に憑依するのは難しいだろ?だからこそ、上手く肉体を動かせず、ゾンビみたいな歩き方しかできない」


「ナンダ、オ前」


 悪霊がピタリと止まる。興味がこちらに向くのが分かった。なんだ、ちゃんと会話できそうじゃん。相変わらず、その鳥肌の立つ声には慣れないけどね。


「良かったら俺の体に入らないか?俺はお前を拒まない。どうせ飯島の肉体で車道に飛び出してやる~、くらいの考えだろ?なら、俺でもいいだろう?俺の体をくれてやる。こんな都合のいいヤツ他にいないぞ?」


 さらに一歩、悪霊に近付く。


「…コッチニ、来ルナ」


 悪霊が後ろに重心を傾けた。連動して一歩後退する飯島の足。貴方にビビっていただけるとは光栄至極。でも、本番はここからだ。たたみかける。


「どうして逃げるんだ?俺は、この身をくれてやると言っているんだ!お前は、そんな姿になって!憎しみに心を侵食されて!まだなお、死を恐れているのか!」


 ギリリと歯ぎしりの音がこちらまで届く。


「知ッタヨウナクチヲ聞クナ!ソコマデ言ウナラ、オ望ミ通リ、全部奪ッテヤル!」


 俺の発言に憎悪を爆発させた。飯島の体からフッと、力が抜けていく。目を閉じて意識が消えた飯島の体が、不格好に地べたに崩れ落ちていく。受け止めようと両手を伸ばす。

             ぐぅわぁん。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。/

 入ってくる   俺の中に     気持ち   許さない  地に落ちる飯島

 握りつぶされる  意識が遠のく   悪い   異臭がする     死にた

 コントロールされてるおかしくなりそうこんなはずじゃない  吐きたい 柔らかい                             

 て チカ くらくらするくらくらくらくらくらくらくらくらくらくらくら 寒いいい

 け チカ ぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐらぐ

 助 スル  飲み込みたい苦い酢臭い塩辛い飲み込みたい飲み込みたい飲み込みたい


 俺一人では、どうすることもできない。俺一人では、ね。頼んだぜ、相棒!


「あいあいさーなのだ、ナヲ君!その憑依、キャンセルするのだ~!」


 俺の体の中から、もとい、俺の口から快活な女の子の声が発せられる。


「ナンダ!ナゼ、憑依デキナイ!」


「ナヲ君の中には入れさせないのだ~!うりゃりゃりゃ~!」


 声の主は幽華。両腕をぐるんぐるんと縦回転させているのが分かる。その動きって雑魚キャラがやるイメージだけど、勝てるのか…?


「グウ!クソオ!追イ出サレルゥ」


 いけました。実体を持たない悪霊は、うっすらとだが確かに目の前に這いつくばっている。憎々しげに俺を見上げる目は、猛禽類を彷彿とさせる。マジで逃げ出してえ。相手はいつまた襲い掛かってくるか分からない。その前にネタバラシといこうか。憑依されなくても、苦しい思いはしてしまうみたいだからな。


「残念だったな悪霊!実はお前と相対するための策として、俺のn「幽華たちの勝ちなのだ~!お前に憑依される対策として先に幽華を自分自身に憑依させたのだあ!幽華だって憑依くらいできるのだ!エヘン!一人の肉体に、二体の霊が入ることなど基本できないのだよ!先に憑依している霊が許可を出せば、二体目が憑依できることもあるらしいけど、そんなことは幽華が許さないのだ~!」


 ドヤ顔で意気揚々と言い切った。体のコントロールを憑依されている幽華に取られているので、さっきの台詞も俺の口で幽華がしゃべった。俺が言いたかったんだけどなあ。しかも、途中でコントロール権を奪われたんですけどお!そんな俺たちの様子を見て、悪霊はさらに目つきを険しくする。


「ク、ソガアアアア!ズ、頭ニ乗ルナ、メスガキィィ!モウ一度憑依ヲ…」


 また来る気か?


「もう俺の体には入れない!まだ分からないのか!」


 お?自分の体のコントロール権が戻ってくる。もちろん幽華の魂は、俺に憑依したままだ。


「ククッ、コッチダヨ」


 やられた!狙いは飯島の肉体か!あれ、でも、今の飯島って…。


「ヌッ?コイツ意識ヲ失ッテヤガル!コレデハ…」


「残念だったな悪霊!俺はここまで計算したうえでだn「幽華たちの勝ちなのだ~!お前がずっと襲ってこなかった時間はこのイイジマとかいう男が起きるのを待っていたからなのだ!おそらく、ナヲ君、マナカン,イイジマの中で最も憑依する波長が合っていたからなのだ!だから、イイジマがまた気を失ってしまえば、憑依はできないのだよ!それを狙ってナヲ君は、お前を挑発したのだよ!どうだ~~!」


 …またコントロール権を奪われてしまった。饒舌に話す幽華は控えめに言って、イキっていた。まあ、おおよそ幽華が言った通りだ。知識を持っていたのは幽華だ。口ぶりから幽華も憑依できることが分かった。そこから、諸々の憑依の能力や、発動条件も教えてもらった。魂の相性が良ければ、肉体の動かし方もスムーズになるし、体力の消費も少ない。ならば、ふらふらと歩く憑依された飯島は、一度悪霊が抜けてしまえば、もう体に入れないくらいに体力を消費しているのではないか、と。見事に予想は的中して、悪霊を這いつくばらせることに成功した。


「クソ、フザケヤガッテ…」


 かなり弱っていて、あと少しに見える。


「ナヲ君、ラストは幽華に任せてほしいのだよ」


「分かった。幽華を信じるよ」


「ありがとなのだ」


 これだけ憑依され続けても、俺と幽華は微塵も疲労感を感じなかった。最高に相性がいいらしい。幽華のやりたいことは、手にとるように分かった。相棒に最後の一手を託そうじゃないか。幽華は憑依を解除して、俺の体から抜け出す。この際、悪霊に見つからないようにする必要がある。今の俺は、悪霊が乗っ取れる状態になってしまっている。悪霊は疲れ果てて、周りが見えていない。あまり時間はないけど、幽華を信じているぞ!


「ン?オイ、何シテ」


 顔を上げる悪霊のプレッシャーが、再度こちらを向く。くっ、ヤバいかも。そのとき幽華と目があった。準備完了ってわけか。俺は大きく息を吸って、発した。


「うわああああああああ!」


 悪霊の後ろの視線をやりながら、力いっぱい喚く。頼む!後ろを見てくれ!叫んだのは、後ろを向かせるためのチープな子ども騙しだ。果たして、全力の子ども騙しが悪霊の意識を後ろに逸らした。トンネルの丸みがかった天井。その中央にいる。重力を無視して、こちらから見ると逆さまで立ち尽くしている。前髪は垂れて、力感のない白装束の女。こちらを目がけて一歩、また一歩と近付いてくる。


 タッ…タッ…。


 裸足の足裏が天井を掴む度に、トンネル内に反響する。束の間の沈黙。そして、来る。


 タタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ。


 女が走る。天井を蹴って、蹴って、蹴って。低くうなり声をあげながら。そして。悪霊の真上でピタ、と止まる女。


 ぐりん。


 真下を向く。落ちた。


「ウアァァァァァアぁぁぁぁぁぁ!」


 悪霊が叫んだ。二体の霊は俺の目の前から消えた。


「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」


 戦慄の光景に息を乱した俺は、なんとか呼吸を整えていく。すると消えた二体の内の一体が、地面から顔を出した。


「にゃはは~♪びっくりしたのだ?びっくりしたのだよね!やったのだ~!幽華の大勝利なのだ~!」


 現場の緊張が一気に弛緩する。幽華の笑顔が、全てが終わったことを知らせていた。


「あの悪霊が見えないけど、もう大丈夫ってことでいいんだよな」


「完全に姿を消したのだ。気配もないのだよ」


 先程まで長らく感じていた悪寒も消え失せている。


「しかし…迫真の動きだったよ。いや、マジで」


「ナヲ君、怖がりまくりだったのだ!最高に気持ちいいのだよ!あ、マナカンにも教えてあげなくちゃ。お~い、マナカーン、もういいよ~」


 トンネルの外で隠れていた愛花を呼ぶ。


「ユウ~!ナヲ~!」


 全力で走ってくるあたり、心細かったのだろう。ここに気を失った飯島もいるけど、鮮やかにスルーですね。


「何とかなったよ。心配かけて悪かった」


「バカナヲ!ユウがいたから助かったんだからね!」


 返す言葉もございません。


「マナカン、聞いて、聞いて!幽華が渾身の、オバケ動きでついに!ついに!ナヲ君を驚かせてやったのだよ!ついでに悪霊も」


「悪霊はついでかよ!」


「幽華はずっと、ナヲ君をびっくりさせたくて一緒にいたのだよ♪」


 上目遣いでそんなことを言われてしまった。


「あの、私、トンネルの外で何か役立つものはないかと思って、アプリ版幽華のガチャを回していたの。そしたら、成長チケットっていうアイテムが当たったわ。試しに使ってみたら“幽華の 器用さが 上昇した”ってメッセージが出たのだけど、何か変化はあった?」


「「それ(なの)だ!」」


 俺と幽華の声がハモった。


「俺の知る限り、逆さ歩きは幽華が唯一できなかった動きだった。それを段階すっとばして出来るようになっていた。歩くどころか走り出すものだから、ビビったよ。本当に幽華なのか疑っていたレベル。でも、そっかあ。愛花がアイテムで幽華のスペックを上げていたんだな」


「マナカンすごいのだ!ファインプレーなのだ!幽華ね、今なら逆さ歩きできるかもって、自信がどんどん湧いてきて、自分でも不思議だったのだ。きっとアイテムの力以上にマナカンの気持ちが伝わってきたのだ!ありがと、マナカン!」


「よく分からないけど、役に立てたみたいね」


 裏で愛花が支えてくれていたなんて、本当に頭が上がらない。


「俺、当面は愛花の言うことには従うよ。ここ最近でいっぱい迷惑かけたし、少しずつ返していきたいんだ」


「ふうん。いい心がけね。それなら今晩は幽華を借りていこうかしら」


「え、それはちょっと。さっきの天井を走る幽華を見て、新しい動画の案が浮かでいるから。アプリ版幽華も、やはり幽華がいないと始まらないしだな」


「話が違うじゃないの!私だって幽華とお話しとかしたいわよ!今日の出来事も私は何も知らないのよ!アプリ版幽華だって、さっきガチャを回しまくったから、使いたいアイテムが山ほどあるのよ~!」


「フフーン、幽華、大人気なのだ♪」


 帰ったら愛花との、仁義なき幽華争奪戦が始まる。


 そういえば、寝転がって気絶している飯島は、俺が処理する感じかな?

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