第59話 ヒヤリ・ハット


 人生で何回か訪れるヒヤリ・ハット。

 でも、この出来事はそんな言葉を超えていた。


「夏ちゃん、あそこにあるキノコって食べれそうじゃない?」


 キーちゃんが指差す先。隣が小さな崖になっている木に生えているそのキノコは……


「うん、あれ多分ヒラタケじゃないかな。食べられるよ」


「ふふっ、いっぱいあるね。私採ってくるよ」


「危ないよ? 私が行くから」


「ううん……夏ちゃんのおばあちゃんに言われたから。まずやってみる、って。ね?」


 いつもよりアクティブなキーちゃん。

 こうやって小さなきっかけで少しずつ成長していくのかな。

 流石は教育者。なんとなく、おばあちゃんが付いてきた理由が分かった気がする。


「うーん、あとちょっと……採れた! 夏ちゃん、採れたよ!」


 なかなか見れないキーちゃんのピースサイン。私も負けてられないよね。

 お返しに可愛らしくピースサインをした、その時だった。


「きゃっ!!?」


 戻り際、足元が崩れて崖下へとキーちゃんは滑り落ちていった。 


「キーちゃん!! 大丈夫!!?」


「うん、なんとか……っ……」


 そこまで深くない崖。

 慎重に降りて、様子を見に行く。


「無事で良かった……どこか怪我してない?」


「……足を捻っちゃったみたい。痛くて動けないかな……ごめんね」


「……戻って人を連れてくるよ。寂しいかもだけどちょっと待って── 」


 その時、奥の川沿いで何かが動いた。

 動物なのは確定だとして、人前に現れるって事はもしかして…………

 巨大なシルエットが、ゆっくりと姿を見せてきた。


「……熊、だよね?」


「…………」


 キーちゃんは言葉にならない様子で固まっている。

 どうやら熊もこちらを警戒しているようで、距離はそのままにウロウロと彷徨いている。

 今出来る最善の選択肢は……


「キーちゃん、私がおんぶするよ。この川を下ればみんながいる所だし」


「でも……大変だよそんなの……」


「いいから、友だちでしょ? ホラっ」


 熊に背を向けないよう、常に向き合いながら気合を入れて立ち上がる。

 重っ……

 キーちゃんは小柄だし軽い方だと思う。

 それでも歩く度に息が切れ身体が悲鳴をあげている。

 こんな時、男だったらな……

 

 後ろ歩き、次第に熊の姿は見えなくなった。


「ハァハァ…………」


「夏ちゃん? 大丈夫……?」


「へ、平気平気。痛くない? ごめんね、揺れちゃうけど……」


 ただでさえ不安なこの状況。

 少しでも安心させてあげないと。



 ◇  ◇  ◇  ◇



 足はフラフラだし、腕はパンパンだし。

 どれくらい歩いたのかな……

 

「ハァハァ……ハァハァ…………」


「っ……ごめんね……夏ちゃん……」


 背中で鼻を啜る音がする。

 泣かないでキーちゃん、大丈夫だから。


「熊に会えるなんて……あははっ、ラッキーだよ……ね……っ!!?」


 後ろの方角にいた筈の熊は何故か私達の目の前に現れた。

 突然の出来事に、頭が回らない。

 只々、死という恐怖が駆け回る。


「……わ、私を置いて逃げて……お願い……」


「……嫌だ。絶対に離さない」


「夏ちゃん……」


 どうしたらいい?

 何をすれば?

 考えろ……斜面……直立……


「キーちゃん……私の事信じてくれる?」


「うん、夏ちゃんだもの」


 私を抱き締める手がより一層強くなる。

 目の前の距離で立ち上がる熊。

 ソレ目掛けて思い切り走り体当たりする。


 川沿いで運良く下り坂になっているその場所はまさに運が良かったとしか言えなかった。

 

 そのまま後ろに倒れた熊。

 後はがむしゃらに走る。

 何回も転んだけど、キーちゃんの震えている身体が私を奮い立たさせる。


「ハァハァ……」


「夏ちゃん! 後ろっ!!」


 振り返ると物凄い勢いで走ってくる熊。

 焦って躓いてしまい、その場に倒れてしまう。


 動こうにも身体が言う事を聞かない。


「クソッ、動け!!」


 なんとか這ってキーちゃんの所へ。

 もうこうするしかない。


「夏ちゃん……」


「大丈夫だよ。私がついてるから」


 抱き締めて覆いかぶさる。

 運がよければ私が食べられているうちに誰かが来るだろう。


 ハナ……


 ……待てど襲いかかってこない熊。

 目を開けるとそこには──


「ご立派でした、お嬢様」


「フジ…………もー、遅いよ」


 熊を絞め殺したフジ。

 人間技じゃないよね。


「申し訳ありません……ギリギリまで待てと奥様に言われていたので……」


 その瞬間、気が緩みその場に崩れ落ちてしまった。

 膝の震えが笑っちゃうほど止まらない。


「恐かった……死ぬかと思ったよ……」


「私が生きている限りは……必ずお嬢様をお守りします。私は奥で血抜き処理をするのでお二人はここで待っていて下さい。直に組長達が来ますから」


 そう言って熊を抱えて森の奥へと入って行った。


「あーあ、死にぞこなって損した気分だよ。キーちゃん、大丈夫?」


「うん……私は……あっ、夏ちゃん手から血が……」


「あ、ホントだ。夢中で気が付かなかったよ、あははっ」


 キーちゃんはポケットからハンカチを出してそれを巻いてくれた。

 それから優しく微笑んで、私の手を撫でてくれる。


「……夏ちゃん、守ってくれてありがとね。なんだか物語の主人公みたいで……ふふっ、カッコよかった。まるでヒーローだね♪」


「でも結局フジが片付けたし……あははっ、ダメだなー私……っ!!?」


 小さな身体で抱きしめられる。

 頬には温かくて柔らかい感触。


「キ、キーちゃん!!?」


「ふふっ、二人には内緒だよ? 夏ちゃんの友だちで私……幸せ。ありがとね」


 

 ◇  ◇  ◇  ◇



「ナツー、お肉焼けたクマー♪」


 熊の焼き肉に熊鍋。

 ハナは熊の毛皮を被って熊ごっこ。

 今日はホントに熊づくし。


「キーちゃん、足の具合はどう? ナチョスー、しっかり頼むぜー?」

「大分良くなったかな。夏ちゃんは悪くないよ、それに……」


 ふと目が合って、互いに微笑んでしまう。


「なになにー? なんかあったのかー?」

「ふふっ、秘密。ね、夏ちゃん」


「あははっ……ねっ♪」


 擦り傷と捻った足首は私達を強く結びつける。

 ヒヤリ・ハットは絆を深める香辛料。

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