第4話 ニコイチ
この不可解な状況下、昨夜は禄に寝ることが出来なかった。冷房の効いた室内に、ハナの温もりが心地良くて……気がつけば寝てしまっていた。
何か夢を見ていた気がするけれどそれが何なのか思い出せず……
目が覚めると、どこからかいい匂いが漂ってきた。隣りにいたハナの姿は無く、寝ぼけながら階段を降りるとその匂いは一層濃くなっていく。
「おはよナツ。今ね、ビーフシチュー作ってるの。一緒に食べようね」
夢の続きは、無垢な笑顔から始まった。
「寝ちゃってごめん……」
「気にしないで。知らない場所で不安になると……誰かに甘えたくなるよね」
ハナも幾度となく経験してきたのかもしれない。それでも一人で頑張ってきたのだろう。
「偉いね、ハナは」
「ふふっ。きっと……この日の為に私は一人ぼっちだったんだよ」
「えっ……?」
「じゃなきゃナツと出会えなかったと思う。なんだか不思議だよね」
そう言って笑うハナ。その言葉に……胸の奥が疼いていた。何故か分からないけれど、少しだけ心が軽くなる。
「せっかくだし味見する?」
「いいの? ビーフシチュー大好きなんだよね」
「ふふっ。はい、どうぞ」
小皿に盛られたソレは、今まで食べたビーフシチューの中で一番美味しかった。
思わず頬が緩んでしまう程、安らげる味。
「ナツって何でも美味しそうに食べてくれるね。作り甲斐があるよ」
「そうかな? ハナが隣にいるからだよ。なんてね」
笑いながら冗談まじりで言うと、ハナの顔は赤らんでいた。色白なのでよく分かる。
「ハナ大丈夫? 熱でもあるんじゃない?」
「だ、大丈夫だよ! そうだ、来るときに汗かいちゃってたから一緒にお風呂入ろうよ」
「えっ?」
「うちのお風呂大っきいんだよ? 私が背中洗ってあげるね♪」
……いいのか?
倫理観が問われる。
俺の中にある倫理の塔。
俺が歩んできた人生全てが詰まっている。
紆余曲折した人生だが、それでも崩れる事の無かったご自慢の塔だ。
そしてこれからも崩れる事はないだろう。
その塔が出す答は唯一。
断るのだ、俺よ。
「ナツ行こ♪」
「うん」
倫理の塔、崩壊。
◇ ◇ ◇ ◇
「ナツ、なんで隠してるの?」
「いや、なんだか恥ずかしくて……ごめん……」
割り切れ。
今だけは、今だけは俺は女。ハナが嬉しそうにしているんだから、それに応えないと。
二人で体を洗っても余裕があるほど広い浴室。
お互いの背中を洗い合う。
「……ハナってホント色白。滅茶苦茶綺麗だね」
「ナツは白い方が好きなの?」
「うーん……あんまり関係ないのかな。例えば好きになった人が色白だったとしても、それはその人がたまたま白かったってだけで……ただ、ハナの肌の色は凄く好きだな」
「ナツ……照れちゃうよ」
「ご、ごめん……」
「……でも嬉しい。ありがと、ナツ」
そう言ってハナは背中ごしに抱きついてきた。神様、ありがとう。
女の子同士の距離感がいまいちよく分からないけど、こんな感じなのだろうか。でもこのピンクな感じは嫌いじゃない。
心の中の雄が侵食されてきているのかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇
風呂を出ると、ハナは化粧水やクリームを顔に塗っている。見慣れぬ文化、自然と興味が湧いてくる。
「そんなに塗らなきゃいけないの?」
「えっ? ナツはやってないの!?」
「よ、よく分かんない……」
「……私が教えてあげるね。顔貸して」
せっかくなのでハナに身を委ねる事にした。
手のひらは温かく、柔らか指使いに顔が蕩けていく。
「鼻とか目の下とか、この辺はシミになりやすいからちゃんと塗らないと……うん、いい感じ。ほら、モチモチでしょ?」
「確かにモチモチ……かも」
「ナツも明日から…………」
「ハナ、どうしたの?」
「明日の事を考えたら寂しくなっちゃって。ごめんね、大丈夫だよ」
俺からハナを抱きしめる。
何が正解か分からないけど、こうしなきゃいけない気がした。
慣れない行動に、鼓動が速くなる。
「ハナ……明日って土曜日だよね? その……ハナが良ければなんだけど……えっと……」
「ここに居てくれるの?」
「うん、私も帰ったら一人になっちゃうから。なんだかニコイチだね」
「ニコイチ?」
「二つで一つ、っていう意味」
「ニコイチ……良い言葉。ナツと私はニコイチだね♪」
その透き通る程輝く笑顔に、心が揺らぐ。
例えこの人生がどんな結末になろうとも……ハナだけは泣かせたくない。
でも神様、出来ることなら…………
「ナツ、ビーフシチュー食べよ」
「…………うん。一緒にね」
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