第2話 亜麻色の髪の乙女
連れてこられたのは場末のモーテルだ。道中の道順は幹線道路を外れてからさっぱり知らない土地になってしまった。
「やっと好き勝手できるわ。いやー我慢できなくてそのへんの公衆トイレいいかと思ったけど……」
ヒナはどうすることもなくドアとベッドのちょうど中間で立ち尽くしていた。知らない男と密室に二人きりなのは言うまでもないが、こういうときに取るべき態度が皆目分からなかったこともある。まして好意的に捉えられる行為を率先して行うつもりもなかった。自立した思考が失われているのだ。
「なに突っ立ってんだ?お?」
対面した男は羽虫を払う身軽さでヒナに拳を振るった。握りこめられた右手が鼻っ面に触れ、鈍い痛みが広がる。
ヒナは突然のことに呆気にとられ何が起きたのか理解できずにいた。何故か鼻全体に焼けるような鈍痛がして鼻水が急に垂れてきていた。服に垂れたその液体を見るとそれは赤かった。
(あれ、鼻水って赤かったっけ?あれ?あたし……)
抑えてもなお垂れ続ける血液は掌に溜まり、指の間から幾つもの線となって伝い流れる。痛みよりも思った以上に多い出血がヒナの冷静さを失わせる。
「あ、ああ……」
「鼻血出したくれえで何?」
理不尽な暴力に晒された。そしてこれが男のやりたいことであり、これよりも痛く辛い仕打ちが待っているのだと予想することは何ら苦労するものではなかった。
「服脱げよ。でないと次は歯ァ折るぞ」
修復不可能な部位を破壊すると宣言された際の恐怖はなかなかのものだ。一度それが行われてしまえば傷ならば時間とともに消え記憶も薄れゆくが、欠けた部位は恒久的にそのままに記憶も定着する。トラウマとなって。
「い、いや……です」
「あ?なんつった?」
喉から絞り出した言葉は辛うじて音の体を保っていたが、掠れ、涙に滲んで上手く発声ができない。
涙で視界がぼやける。もはや力で抗う精神力は残されてはいない。待ち受けているであろう地獄を少しでも遠ざけてやろうと必死だった。震え、笑う膝を折り床に伏し力の限り懇願した。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。それだけは許してくださいお願いです……」
なりふり構っていられる状況ではない。これがヒナにできる最善策であり、男にとって待ちわびた態度と言葉でもあった。嗜虐心をそそる、弱者に相応しい振る舞いである。
「あ?これからだべ?これから面白くなるんじゃねえの」
下げられた頭を踏みつけ男は言う。額がカーペットにめり込み抵抗を増しても力を加えることをやめようとしなかった。怖気づくヒナに苛立ちを隠せないようで、そのまま革靴の
「うっ……ううっ、ぐすっ」
「おら、立てや」
力なく倒れべそをかくヒナの前髪を掴み無理やりに立たせる。毛根が引っ張られる痛みに耐えかねぶらさがるようにしてヒナは立たされる。顔は一度しか殴打されていないためまだ綺麗な顔立ちのままであったが、目から鼻から流れ出たものでメイクは流れぐしゃぐしゃになっていた。
「おーいい顔してんじゃん。これこれ俺が見たかったのはこれよ」
愉快痛快と言わんばかりの笑顔で空いた片方の手をヒナの顎に添える。剝きだした歯は不自然なほど白く磨き上げられていた。男の瞳にヒナの縮小しきった瞳孔、怯えた表情が反射する。
ヒナの顔面は蒼白で、歯の根が合わないくらいには恐怖に染め上げられていた。すべての均衡が崩れ落ちる寸前であった。
「ああ……っ助けて、ください……」
スラックスの股の付け根から液体が徐々に浸透してゆく。ヒナは失禁した。生理現象それすらも彼女には制御できなかった。
「ありゃ漏らした?はーめんどくせえ。俺の服が汚れんだろうが」
カーペットにも広がる染みを気持ち悪そうに避け、今一度拳を握りしめた。腕を後ろに引き、今度はヒナの腹部に拳を突き立てる。それは鳩尾の少し下あたりにめり込み胃を圧迫したのであった。
揺れる視界、押し上げられる内臓は痛みをひきつれ胃液を込みあがらせた。男は何が起こるか察知したのか、ヒナから手を離し二、三歩後ずさる。
虫唾が走る。どうにか堪えようと口を覆ったが、結果は覆らない。胃が収縮し内容物が逆流してゆく。
「ぐっ……」
くぐもった呻き声を上げ、身を屈めたヒナはすべてのものを吐きだした。堪えられなかったのは事実であったが、半分はもうすべてがどうでもよくなったからだ。身体の内部でさえ守るべき存在がなくなったのだ。尊厳すら先の失禁で崩れ去っていた。投げやりになっていた。
男が飽きるまで暴力を振るい終えると次に待っているのは己の尊厳を根から奪い去る行為が加えられるに違いなかった。それまでにこの状態に至れたのは唯一の救いではなかろうか。
喉の奥が胃酸で焼けひりひりと痛んだ。
「おら、こっち来いや」
ヒナの乱れた髪を再び掴みベッドへと引きずってゆく。ヒナはされるがままだ。
「さて、これからが第二ラウンドだよーん?笑えやオイ」
崩れ落ちたヒナは天井を仰ぐ。
(あとどのくらいで私は帰れるのかな……)
男の手がヒナのバックルに伸び、そして――。
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