-66- 歪みの中で

 蒔苗たちが着々とダンジョン攻略の準備を進める中、赤い歪みの内側に囚われた人々は救いの手が差し伸べられるのをじっと待っていた。

 これまでのダンジョン発生に巻き込まれた例と違い、歪みの内部の時間は止まることなく流れている。

 彼らは外界との通信が断絶した空間の中で、なにが起こったのかを把握できないまま、不安な時間を過ごしていた。

 それは蒔苗が通う鴨茅かもがや高校の生徒たちも例外ではない。


「あー、早く姫が助けに来ないかなぁ」


 左月芽衣さつきめいは教室の窓側の席に座り、赤い歪みを眺めながらぼやいた。

 鴨茅高校では異変発生に際し、生徒たちを一度は体育館に避難させたが、その後いつまで経っても事態が収束の気配を見せないため、集団ヒステリーなどを警戒し、生徒たちをそれぞれの教室に帰した。

 体育館に大勢押し込められているより、親しみのある教室で自由に過ごしている方が落ち着くだろうという学校側の対応に生徒たちは感謝していた。


 実際、異変発生直後は精神が不安定になる生徒も多かったが、特にモンスターが出現することも、何か体に異常が起こることもなかったため、今では仲の良いグループで固まって時間を潰していたり、中には自主勉強している生徒までいる。


「こんな時にまで勉強って私感心しちゃうな~」


「芳香はいつでも勉強しないのにね」


「おおぅ……。芽衣ったらこんな時でもツッコミ鋭いんだから」


 そんな中でも特にリラックスしている3人。

 愛莉あいり芳香よしか芽衣めいは教室の窓際で赤い空間の歪みをずっと観察していた。

 他の生徒はその歪みが怖いので、窓の近くには来ない。

 クラスどころかこの学校全体から見ても、彼女たちの態度は異常だった。


 担任の先生は彼女たちを不安からおかしな行動をとっていると判断し、保健室に連れて行こうともしたが、緊張がピークに達していた先生の方が逆に保健室に運ばれてしまった。

 友達との雑談も、自主的な勉強も、普段通りの行動をして精神を落ち着かせるという恐怖への対抗策だ。

 しかし、彼女たち3人は明らかに他の生徒に比べて落ち着いていた。


 その理由を知る者はいない。

 本人たちを除いて……。


「ねぇ、愛莉。姫がどのタイミングで私たちを助けに来てくれるか賭けない? 私は今日にでも突入してくると思ってるよ」


「うーん、今日中ってのは無理じゃないかなぁ。いろいろ準備もあるだろうし、何より蒔苗ちゃんとは『明日は絶対に学校に来て』って約束してるから、来るのは明日な気がするな」


「……あー、賭けはやめやめ! 愛莉にそう言われると明日な気がしてきたわ。でもそれだと今日1日暇だなー! せめてネットにつながればなー!」


「たまには静かに本でも読めってことかもね。図書室にいっぱいあるし」


 そんな会話をしながらも、彼女たちは空間の歪みを見続ける。

 歪みはただぐにゃぐにゃ動いているだけのように見えるが、実際はこの時点で新たなる変化が起こり始めていた。

 しかし、彼女たちがそれに気づくはずもなく、他愛のない会話は続いていく。


「それにしても、蒔苗が学校休んでて良かったねぇ~。一緒に巻き込まれてたら絶望だったよ」


「ほんとそれ! というか今朝のニュース見た? 姫ったらついに機体からオーラを出せるようになったんだよ! それでビュンって感じに槍を投げてさ!」


「見た見た。流石にあれはビックリしたねぇ~。テレビにおととい生で見たばかりのDMDが映ってることだけでも十分驚きなのに、それを操ってるのは友達でしかもオーラまで出すんだもん。なんかヤバそうなモンスターまで仕留めちゃうし、蒔苗ってすごいよね~」


「いやぁ、姫はやる時はやる奴だと思ってたけど、ここまでとはねぇ。私も友人として鼻が高いよ」


「……でも、それが原因で蒔苗は学校を休んだんだよね」


 芳香の言葉に3人の間の空気が少し重くなる。

 そんな中、次に口を開いたのは愛莉だった。


「蒔苗ちゃんと会いたいな。本当なら放課後にサプライズでお見舞いに行こうと思ってたのに」


「それがまさか、私たちの方が心配される立場になるなんてね!」


「このパターンって、もし元気に救助されても病院に直行だよね~」


「こんな異変初めてだから、内側にいた人間は全員検査かもね」


「じゃあ、姫と一緒に検査入院じゃん!」


「そうなったら病室は一緒にしてもらわないとね~」


 萌葱蒔苗の存在こそが、彼女たちの心の支えだった。

 真実の蒔苗を知っただけでなく、マシンベースで実際に彼女がアイオロス・ゼロを動かす姿を見たからこそ、強く蒔苗を信じることが出来た。

 愛莉たちは折れることなく蒔苗を待ち続けるだろう。


 しかし、心の支えを持たぬ者にとってこの状況はあまりにも過酷だ。

 非常食を食べ体を維持することは出来ても、心までは維持できない。

 時間が経てば経つほど精神は削られていき、いずれ限界が来る。

 その狂気は伝染し、取り返しのつかない事態を招くだろう。

 そうなってしまえば、愛莉たちとてどこまで冷静でいられるかわからない。


 だからこそ、蒔苗たちは明日で決着をつける決意を固めた。

 新たなるアイオロス・ゼロを含めた4機のDMD、それを操る4人の操者によるチームがダンジョンに挑む。

 そして、人々は知ることになる。

 迷宮王の遺産を受け継ぎ、やがて新たなる迷宮王と呼ばれる少女の存在を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る