第46話 伝えたかったこと
突然の叫び声に、多くの警察官は落ち着きを保ちつつ辺りを見渡す。
「あそこだ!」
警察官が指した方を見ると、体長二メートルはあるツキノワグマがいた。
ヘムカたちから二十メートルほど離れた場所から警察官たちの方へ向かって突進し始めた。
とはいえ、幸いにも松の木々が邪魔で思うように突進できないようである。その間にと、多くの警察官が森の外へと戻って行きそれを追うように熊も追いかけた。
丁度警察官から離れた場所にいたヘムカたちは木の陰に隠れ、やり過ごすことにした。
「ヘムカ、大丈夫?」
「うん」
何度聞いたかわからないようなやり取りを終え、少し時間が経った。熊はどこかへ消えただろうかと、樹は松の間から帰り道を覗き見る。しかし、丁度帰り道で警察官を追うのを諦めており近くを呑気に闊歩しているように見えた。
誰がどう見てもまだ出るのは危険だった。
「ねぇ、佐藤さん」
ヘムカはよくよく考えたが、佐藤の名前を呼んだことは少なかった。
常に二人一緒にいるのだから、わざわざ主語を用いる必要がなかったのである。樹は毎回ヘムカの名前を使っていたようだが。
「どうしたの?」
「出所したら、必ず迎えに行くからね」
「ああ、頼んだよ。きっと、その時にはヘムカもすっかり大人なんだろうな。十年ぐらいだったら、ぎりぎり高校一年とか二年とか?」
樹は十年後のヘムカの姿を想像するが、全く想像できない。背を高くし、制服を着せた姿を想像する。
「え?」
しかしヘムカは、その樹の発言が理解できず思わず聞き返した。
「ん? 何か変なこと言ったか?」
何か間違っているだろうかと、樹は今言った言葉を反芻するが何もおかしな点はない。
「何で十年後が高校一二年……?」
ヘムカは八歳である。少なくとも高校三年生でなければおかしい。
「いやだって……。そういや、ヘムカの年齢って聞いたことなかったな。六歳くらいか?」
その言葉に、ヘムカは衝撃を受け物言いたげな視線で樹を見た。
ヘムカは同じ年齢と比べても明らかに身長が低いのである。
しかし、それは当然の結果でもあった。食材にありふれている日本と、弥生時代同然の生活をしていたヘムカ。摂取した栄養の量が段違いで違うのだ。
「……八歳」
その言葉を受けて樹はどこか重くなった空気を感じ取り、ただ一言述べた。
「……すまんかった」
だが、こんな何気ない会話がヘムカにとっては楽しくて楽しくて仕方なかった。
「ふふっ……ははっ……」
堪えきれなくなったヘムカは、失笑してしまう。そして、樹もまたそれに釣られて笑ってしまう。
最後に二人で朗らかな空間を満喫できた。
だが、ヘムカの頬に涙が伝う。
今、この時と直後に待ち受けている事実。あまりに差が大きすぎた。
このままだと、きっとまたもや駄々をこねてしまうかもしれない。だが、前回は異例中の異例。今後やったとしても、許可は降りないのだ。
「なんかヘムカ、この頃やたらと泣いてるな」
思い返すだけでも、毎日のように泣いている気がする。
樹は泣いているヘムカをあやすため、抱きしめながら頭を撫でる。
「佐藤さんも、だよ?」
ヘムカは、気づいていた。樹も同様に泣いていることに。
「ああ、そうだな……」
樹は泣いていることを自覚したのか、一気に涙が零れ落ちる。そんな中、ヘムカはある決意を固めた。
「ねえ、佐藤さん」
「どうしたの?」
「私ね、佐藤さんのことが好き。出所したら結婚しよう」
ヘムカは、すらすらと言ってのけた。
樹のためにこの思いを封印するつもりだった。でも、ここまで来て告白しないというのは無理だったのだ。
「八歳は結婚できないぞ」
樹はただ、法律上無理なことを伝える。
「じゃあ、大人になったらいいの?」
樹の返事は、どちらの意味にもとれる文言だった。ヘムカは諦めずに確認する。
「そうだな……人を殺したこんな僕だけど、それでよければ。後、出所してもヘムカの気持ちが変わらなかったらね?」
樹は一瞬考えるも、ヘムカの顔を見て妥協したのか、それとも本当に添い遂げる覚悟があるのか承諾した。
「……ありがとう」
ただ一言、ヘムカはお礼を述べて樹の胸の中に飛び込んだ。
樹が優しく頭を撫でてやると、近くから物音が聞こえる。熊が近づいてきたのかと思い、警戒態勢に入るが出てきたのは警察官だった。
「先程の熊ですが、遠くに行ったことは確認済みです。どうぞこちらへ」
ヘムカと樹は離れるも、並び合って警察官の後に続く。しかし、その表情には何の屈託もない。やがて、森を抜け道路上へと出た。そして、樹を待っていた警察官が樹の前に来る。
「佐藤樹、殺人および道路交通法違反諸々の容疑で逮捕する。異論はないな?」
逮捕状を見せられた樹だが、一切抵抗はない。
「はい」
大人しく両手首を差し出し手錠が嵌ると警察車両に乗せられる。そして、すぐに捜査のためか警察署へと向かっていってしまった。
警察車両を見送るヘムカに、警察官とは別の人物が近づいてくる。
「ヘムカさんだね?」
近づいてきたのは、若い女性だ。
「はい、そうです」
「私、児童相談所のものです。来てくれますか?」
彼女は、ヘムカを保護すべく警察からの依頼でやってきたのだ。
これに対するヘムカの答えは、もちろん決まっている。
「はい」
ヘムカは児童相談所の車に乗せられると、今後どんな人生を歩むのかということを考えつつ児童相談所へと向かっていった。
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